日月神示を繰り返し読む 2024年05月12日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

⑭日月神示 アメの巻①

天の日津久の大神のお神示です、特にお許しをいただいて書いて知らせます、十二の巻を説いて知らせるのです、この巻はアメの巻と申してください、この度は昔から無かった事を行うのですから人民には分からない事ですから、素直に従うのが一番です、惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民は申していますが、それが一番の間違いだと申しているのです、惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿なのです、今の臣民は神を無視しているのです、それでは惟神も神道もないのです、心を大きく深く広く持ってください、いよいよとなるまでは落しておくので見当が取れないので、良くこの神示を読んでおいてください、世界中に顔向けが出来ないようなことがないようにしてください、足元からトリが立ってもまだ目が覚めないのですか、神示を裏の裏まで良く読んでください、この道は普通の神信心とは根本から違うのです、三千世界の大道なのです、所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるのです、イスラムの十二の流れの源泉(みなもと)が分かる時が来たのです、命がけで御用をつとめていると思い込んで実は邪魔ばかりしているのです、金や学や知恵では大峠は越せないのです、神はしなさいと申すことと、してはいけないと申すことがあるのです、裏の裏とはその事です、よく心得て取り違いしないでください、手のひらを返すのです、手のひらを返させるのです、この度の岩戸開きは人民を使って人民を助けるのです、人民は神のいれものとなって働くのです、それが御用なのです、いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならないのです、神の仕組みがいよいよとなったのです、天の大神様は慈悲深くてどんな偉い臣民にも底知れず、地の大神様は力があり過ぎて人民には手に負えないし見当がつかないのです、そこで神々様をこの世から追い出して悪神の言うことを聞く人民ばかりになっていたのです、七五三(しめ)は神々様を閉め込んで出さないためのものなのです、鳥居は釘付けの形なのです、基督(キリスト)の十字架も同様です、キリスト信者は改心してください、キリストを十字架に釘付けしたのはそなた達なのです、懺悔してください、〇とは外国のことです、⦿が神国の旗印です、神の国と外国との区別が間違っているのです、大きい心を持ってください、鏡を掃除してください、上中下の三段に別けてある違う血統(ちすじ)を段々に現わすのです、びっくり箱が開くのです、八九の次は十です、何事も裏腹と申してあるのです、他人が他人がと思っていた事は実は自分の事なのです、良く神示を読んでいないとキリキリ舞いしなければならないのです、日本が日本がと思っていた事が外国の事である事もあるでしょう、上下にひっくり返るのです、分かりましたか、餓鬼(がき)までも救わなければならないのですが、餓鬼は食べ物を与えれば救われるのですが悪と善と取り違いしている人民や守護神、神々様を救うのはなかなか難しいのです、悪を善と取り違え、天を地と信じている臣民人民はなかなか改心は難しいのです、自分自身で改心出来なければ今度はやむをえない事が起きるのです、自分ほど偉い者はないと天狗になっていて、気をつけるように言わなければ分からないほど悪に染まっていますので、こんなミタマは今度は灰になるのです、もう待てない事になったのです、草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのです、種は残して育ててやらなければならないのです、草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのです、出世するのですから嬉しいのです、草木から動物虫けらが生れるのです、人の身(み)を神に捧げるのです、神の御身(みみ)となることは嬉しいでしょう、惟神のミミとはその事です、神示を良く読めば分かるのです、この道は先に行く程広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道なのです、神示を良く読んでください、どんな事でも人に教えてやれる様に知らせているのです、イロハに戻すのです、一二三(ひふみ)に返すのです、一二三(ひふみ)が元です、天からミロク様が水の御守護されて、日の大神様は火の御守護なされるのです、この事が魂までよく染み込んでいないと御恩は分からないのです、悪も善に立ち返って御用するのです、本来は善も悪もないのです、⦿の国を真中にして神国になるのです、日本も外国も神の目からは無いのです、神の国があるのみなのです、分かりましたか、改心すれば・(たま)の入れ替えをしてその場から良い方に廻してやるのです、何事も自分がしているなら自由になるのですが自分の自由にならないのはさせられているからです、この位の事が分からないのでは神の臣民とは言えないのです、国々所々に宮柱を太敷キ立てて宣言(祝詞)してください、この先は神示に出した事でも少しも自分の考えでは何事も一切が成就しないのです、まだ我を出している臣民ばかりなのです、従う所には従わなければならないのです、従えばその日から楽になって来るのです、高い所から水が流れる様になると申して知らせてあるのです、世界の臣民が皆手を引き合って行く時が来たのです、それでもまだまだ一苦労二苦労あるのです、頭で分かっても肚(はら)で分からなければ発根(ほっこん)の改心が出来なければまだまだ辛い目に遭うのです、人民は自分で首をくくる様なことになる事は分かったでしょう、天の御三体の大神様と地のお土のご先祖様でないと今度の根本のお建て替えは出来ないのです、分かっても中々分からないでしょう、ミタマの洗濯が足りないのです、今度は自分で自分の心を改めてください、神は改めていますが神から人を改めさすのでは人民が可哀想ですから自分自身で改めてください、改まっただけおかげあるのです、今度の岩戸が開いたら末代の事です、天地の違いほどに何事も違うのです、信者を引っ張りに行かないでください、神が引き寄せるから、役員の所にも引き寄せるから、訪ねて来た人民は親切を尽くして喜ばせてやってください、人民が喜べば神は嬉しいのです、草木も喜ばせてやってください、神示を良く読めばどうしたら草木動物が喜ぶかということも知らせてあるのです、今までの心を大河に流してしまえば何もかも良く分かって嬉し嬉しとなるのです、まだまだ世界は日に日にせわしくなって言うに言われない事が起きて来るのですから表面ばかり見ていると分からないので心を大きくして世界の民として世界に目をとどけてください、元のキの神の子と渡って来た神の子と渡って来る神の子と三つが揃わなければならないのです、アとヤとワと申してあることが段々に分かって来るのです、実地のことは実地の誠の生神でないと出来はしないのです、臣民はお手伝いなのです、雨風さえどうにもならないのです、生物がどうして息しているのかさえ分からないでいるのに何でも分かっていると思っているのが鼻高(高慢)だと申しているのです、今の内に改心すれば名は現わさないで許して良い方に廻してやるのです、早く心を改めてください、神示に書かせたならば日月の神が天明に書かせるのですからその通りになるのです、皆で仲よく相談して悪い事は気を付け合ってやって下さい、それがまつりなのです、王(おー)の世が逆様の王の世になっているのを今度は元に戻すのですから、その事を早く分かっていないと一寸の地の上にも住めない事になるのです、今度の戦(いくさ)が終わったら世界一平一列一体になると知らしてありますが、一列一平のその上に神が鎮座しているのです、神無き一平一列は秋の空(グレン)なのです、魔の仕組みと神の仕組みを早く旗印を見て悟って下さい、神は臣民人民に手柄をさせて万劫末代名を残して世界を唸らすのです、これまでの事は一切用いられない事になるのです、論より実地を見て早く改心するのが結構なのです、何事も苦労なしには成就しないのです、苦労なしには誠はないのです、三十年で一切(ひときり)です、ひふみを肚に入れてください、イロハも肚に入れてください、アイウエオは早くたたんでください、臣民はえらい取り違いをしているのです、宮の跡は草ボウボウとなるのです、祭典(まつり)の仕方をスッカリと変えさせるのです、誠の神の道に返えさせるのですから今度は誠の生神でないと人民でやろうとしても出来はしないのです、神示を良く読んで神示を良く肚に入れてください、神示を肚に入れると胴がすわるのです、世界からどんな偉い人が出て来てどんな事を尋ねられても教えてやれる様になるのです、神示を胴に入れて頭を下げて天地に働いてください、おまつりしてください、素直になればその場からその場その場で何事も神が教えて、力をつけて導いてやりますから、どんな神力でも授けてやるのです、一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)と授けられて神人となるのです、自分さえ良ければそれでよいとまだ思っている臣民はまだ神人とはなれないのです、自分一人では生きて行けないのです、神ばかりでも生きて行けないのです、爪の垢でさえだてに付いているのではないのです、分からないと申してもあんまりなのです、まつりしてください、地(つち)にまつろってください、天(あめ)にまつろってください、人にまつろってください、草木動物にまつろってくださいと、くどく知らせてあるのにまだ分からないのですか、神を拝むばかりがまつりではないのです、待ちに待った日の出の御代となったのです、一二三(ひふみ)いろはの世は来たのです、身欲の信心をしている臣民人民は今に神示が聞けない様に入れものがつんぼになるのです、きびしくなって来るのです、毒にも薬にもならない人民は今度は役に立たないのです、悪気がないばかりでは一二(ひつき)の御民とは言えないのです、あら楽し、黒雲一つ払いけり、次の黒雲も払う日が近いのです、淋しくなりたら神示を尋ねて来てください、神示を読まなければ益々分からない事になるのです、天国に底ない様に地獄にも底が無いのです、どこまでも落ちるのです、鼻高の鼻を折らなければ人民が何んと申しても神は承知出来ないのです、神の心が分かった臣民から助ける御用にかかってください、助ける御用とは清めの御用であります、天地をよく見て悟ってください、三四五(みよいづ)の御用は出来上がってしまわないと御用している臣民にはさっぱり分からないのです、使われているから分からないのです、出来上がってからこれは何んとした結構な事であったかとビックリするのです、アメのひつ九のか三とはアメの一二の神です、アメの「つきひ」の神です、元神です、ムの神です、ウの神です、元のままの肉体を持っている御神様です、つちのひつ九の御神様です、つちの「ひつき」の御神様と今度は御一体となりなされて、今度の仕組みを見事に成就なされるのです、分かりましたか、九二つちの神を大切にしてくださいとくどく知らせてあるのです、今までの臣民人民は九二(土)の御先祖の神を疎かにしていと申して知らせてあるのです、神は千に返るのです、九二土を造ることが何んなに難儀な事か人民には分からないのですが、今度さらつの世にするには人民もその型の型の型位の難儀をしなければならないのです、それで耐えることが出来ない臣民が沢山あるのです、元の神の思いの何万分の一かの思いをしなければならないのです、今度世が変ったら、臣民はこの世の神となるのです、国の洗濯はまだまだ楽ですが、ミタマの洗濯は中々に難しいのです、人民が可哀想なので延ばしに延ばしているのです、いくら言い聞かせても後戻りばかりなのです、言い聞かせて改心出来なければ改心する様にする以外にもう手段は無い様になっているのです、何時どんな事があっても神は知らないのです、上から下まで誰にも今までの様な我儘はさせないのです、役員は馬鹿にならなければならないのです、大のつく阿呆になってください、逆様の大きな阿呆にはならないでください、誠の阿呆でないと今度の誠の御用はなかなか出来ないのです、命を捨てて命に生きる時であると申してあるでしょう、非常に利巧な臣民人民はアフンとなるのです、今にキリキリ舞いするのが目に見えないのですか、何時も変らない松心でいてくださいと申してあるのです、建て替えしたらなら世界は一旦寂しくなるのです、神が物を申している内に改心しなければならないのです、後悔は間に合わないのです、大難を小難にしてくださいと祈ってください、如何様にでも受け入れてよき様にしてやる仕組みの神の心が分からないのですか、天災を待つのは悪の心、邪であると知らせてある事がまだ分からないのですか、国が負けると大変を待ち望んでいる臣民が沢山あるのですが、そんな守護神に使われていると気の毒になってしまうのです、よく神示を読んでください、今の守護神は悪の血筋眷属なのです、悪も御役なのですが奥表に出ては誠は治まらないのです、悪結構な世は終わって、善結構、悪結構、卍(ホトケ)結構、基(ヤソ)結構、儒結構の世となりなる神の仕組みが近くなって来たのです、世の元からの仕組み、中行く仕組み、あっ晴れ三千世界結構であるのです、心の不二も晴れ晴れとなるのです、結構結構なのです、甘くても辛(カラ)くてもならないのです、甘さには辛さがあるのです、天の神様ばかりではならないのです、くどく申してここまで知らせているにまだ分からないのですか、心をさっぱりと大河に流して神示を読んでください、神は何時までも待てないのです、辛さには甘さが陰にあるのです、この道理はよく分かるでしょう、水の味も火の味も結構なのです、恐い味のない様な結構な恐さであるのです、喜びであり苦しみであるのです、この道理はよく分かりましたか、神の御恵み神の御心は分かりましたか、御心とは三つの御心です、一と十と・とであるのです、御心結構です、世の元の神の仕組みが現われて、三千世界光り輝く、あなさやけ、神の智と学の智とは始めは紙一重なのですが、先に行くほど運否(うんぷ)が出来て来て天地の差となるのです、⦿の神の薬のやり方は悪の神の毒のやり方となるのです、神の御用が人の御用です、人の御用が神の御用なのですが、今の臣民は神の御用するのと人の御用するのと二つに別けていますが、見苦しい者にはこれからは御用させない事に決まったので気を付けておくのです、何事も順正しくやってください、神は順であるのです、順が乱れた所には神のハタラキは現われないのです、何もしないで良い事ばかり待っていると物事は後戻りになるのです、神の道には後戻りは無いと申してあるでしょう、心得てください、一(ハジメ)の火が消えているのです、まだ分からないのですか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾(が)の様な心では今度の御用は出来ないのです、表面(うわつら)を飾って誠の無い教えの所には人集まるのですが、誠の道を伝える所には臣民はなかなか集まらないのです、見ていてください、いくら人が少なくても見事なことを致して御目にかけるのです、縁ある者を一時に神が引き寄せると申してあるでしょう、人間心で心配しないでください、目まいする人もいるのです、ふんのびる人も沢山出て来るのです、行けども行けども白骨ばかりになるのです、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだどえらい仕組みをして上に上がるのですが、上に上がりきらない内にグレンとなるのです、せめて三日天下が取れたら見物なのですが、悪の仕組みが成就しないことは世の元から分かっているのですからもう無茶な事は許さないのです、軽い者程上に上に上がって来るのです、仕組み通りなっているのですから臣民は心配しないでください、今度神の帳面から除かれてしまったら永遠に世に出る事は出来ないのです、近慾に目がくらんで折角のお恵みを外さないでください、神は気を付けておくのです、人の苦しみを見てそれ見た事かと言う様な守護神に使われていると気の毒が起きるのです、世を建て替えて先の分かる世にするのです、三エスの神宝(かんだから)と、3S(スリーエス)の神宝とあるのです、毒と薬で裏腹なのです、五と五では力は出ないのです、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力は生まれないのです、力が生まれるからカスが出来るのですから掃除するのが神の大切な仕事なのです、人民もカスの掃除をする事が大切な御役であるのです、毒と薬と薬と毒です、搗き混ぜてこね混ぜて、天晴(あっぱれ)この世の宝とする仕組みなのです、分かりましたか、一方の3Sだけしか分からないので人民はいつも悪に落ち込むのです、この道は中行く道であると申して知らせてあるでしょう、力が余っても、力が足りなくてもならないのです、しっかりと手を握ってじっと待っていてください、誠の教えばかりでは何もならないのです、皆に誠の行いが出来て来ないとこの道は開けないのです、理屈は言わないでください、いくら立派な理屈であっても行いが出来なければ悪であるのです、この世の事は人民の心次第なのです、天の岩戸を開いて地の岩戸開きにかかっているのです、自分一人の力だけでは何事も成就しないのです、手を引き合ってやってくださいと申してあることを忘れないでください、霊と肉と共に岩戸を開くのですから、実地の大峠のいよいよとなったらもう堪忍してくださいと何んな臣民も申すのです、人民には実地に目に物を見せなければ得心しないですし、実地に見せてからでは助かる臣民は少ないですし、神も閉口なのです、ひどい所ほど身魂に借銭があるのです、ミタマの悪い事をしている国ほど厳しい戒(いまし)めがあるのです、五と五と申してありますが五と五では力が出ないですし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカスが出ますし、カスを出さなければ力は出ないですし、それで神は掃除ばかりしているのです、それで神の臣民は神洲清潔にする民なのです、キが元と申してありますが、キが餓死(うえじに)すると肉体も餓死するのです、キが息吹けば肉も息吹くのです、神の子は神のキを頂いているのですから食べる物が無くなっても死にはしないのです、キを大きく持ってくださいと申してありますが、キはいくらでも大きく結構に自由になる結構な神のキなのです、臣民の利巧が無くなれば神のキが入るのです、神の息が通うのです、凝り固まると凝りになって動きが取れないので苦しいのです、馬鹿正直ではいけないと申してあるでしょう、三千年余りで身魂の改めをして因縁だけの事は否でも応でもさせるのですから、今度の御用は三千世界のことですから、この神示を読まなければどこを探しても人民の力では見当取れないのです、どこを探しても分かりはしないのです、人民の頭でいくら考えても知恵を絞っても、学があっても分からないのです、すぐに分かる様な仕組みならこんなに苦労はしないのです、神々様でさえ分からない仕組と知らせてあるでしょう、何より改心が第一であると気を付けてあるでしょう、神示が肚に入れば先(未来)が見え透くのです、この地(つち)も月と同じなのですから人民の心のままに写るのですから、人民の心が悪くなれば悪くなるのです、善くなれば善くなるのです、理屈は悪であると申してあるでしょう、悪の終りは共食いです、共食いして共倒れとなるのです、理屈が理屈と悪が悪と共倒れになるのが神の仕組みであると分かっていても、どうにもならない事に今に世界がなって来るのです、逆に逆にと出て来るのです、何故そうなって来るか神示を読んで分かってください、オロシヤの悪神の仕組みは人民には一人も分かっていないのです、神には良く分かっている今度の仕組みですから仕上げを見てください、この方に任せておいてください、一切心配無くこの方の申す様にして見ていてください、大舟に乗っていてください、見事に光の岸に着けて喜ばせてやるのです、どこに居ても助けてやるのです、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神様に祈ってください、世の元からの生き通しの生神様を拝んでみてください、日月の民を練りに練り、大和魂の種にするのです、日月の民とは日本人ばかりではないのです、大和魂とは神の魂です、大和の魂なのです、まつりの魂です、取り違いしない様に気を付けておくのです、出かけの港は九九(ココ)なのです、皆に知らせてやってください、いくら道進んでいても後戻りなのです、この神示が出発点です、出直して神示から出てみてください、我を張ってやる気ならやって見てください、九分九分九厘で鼻がポキンとなるのです、泣き泣き恥ずかしい思いとなってお出直しとなるから気を付けているのです、足を上げて顔の色を変える時が近づいたのです、世を建て替えて広い光の世にするのです、光の世とは光無き世であるのです、この方の元に引き寄せて目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのです、気を付けていてください、どこに行くつもりですか