日月神示を繰り返し読む 2024年05月07日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

⑨日月神示 岩戸の巻 

岩戸の巻を書いて知らせます、岩戸を開くには神と人とが共に「えらぎ、にぎわう」のです、神カカリになって歌い舞うのです、人がウズメのミコトになるのです、ウズメのミコトとは女だけではないのです、男もウズメなのです、女のタマは男、男のタマ(魂)は女と申してあるでしょう、闇の中で踊り唄うのです、皆の者がウズメとなってください、夜明けを告げる十理(とり)となってください、神カカリになって舞い唄ってください、誠の神カカリでないとこれからは何も出来ないのです、キをつけてください、キが元なのです、キから生れるのです、心は配れと申してあるでしょう、心の元はキです、総ての元はキであるのです、キは喜びなのです、すべての臣民にそれぞれのキを植えつけてあるのです、うれしいキはうれしキことを生むのです、かなしいキはかなしキことを生むのです、おそれはおそれを生むのです、喜べば喜ぶことがあるのです、天災でも人災でも臣民の心の中で動くキのままになるのです、この道理は分かるでしょう、爆弾でも当たると思えば当たるのです、恐れると恐ろしいことになるのです、ものはキから生れるのですからキが元です、くどくキをつけておくのです、ムのキが動けばムが来るのです、ウのキが動けばウが来るのです、どんな九十(事)でもキがあれば出来るのです、キから生まれるのです、勇んで神の御用をつとめてください、二二は晴れたり日本晴れ、びっくり箱がいよいよとなったのです、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのです、早く改心しないとハルマゲドンの大峠を越せないことになるのです、大峠になったらどんな臣民もアフンとしてものを言えなくなるのです、大きな取り違いをしていたと地団駄を踏んでもその時では間に合わないのです、十人並みのことをしていては今度の御用は出来ないのです、すべてが逆様に返るのです、大洗濯大掃除をしてグレンなのです、二二に花が咲くのです、この方はこの世の悪神とも現われるのです、閻魔(えんま)とも現われるのです、悪と申しても臣民の申すような悪ではないのです、善も悪もないのです、審判(さばき)の時が来ているのに気づかないのですか、その日その時に裁かれているのです、早く掃除洗濯してください、岩戸はいつでも開く(アク)のです、善の御代が来るのです、悪の御代が来るのです、悪と善とタテ別けてどちらも生かすのです、生かすとは神の息に合わせることです、神の息に合えば悪は悪ではないのです、この道理をよく肚(はら)に入れて、神の心を早く汲み取ってください、それが洗濯です、天(あま)さかり地(くに)さかります御代(みよ)となるのです、臣民の心の中に埋めておいた花火がいよいよひらく時が来たのです、赤い花火も青い花火も黄色の花火もあるのです、それぞれのミタマによって、花火の色が違うのです、ミタマ通りの色が出るのです、金の真似はしないでください、金は金、鉄は鉄、鉛は鉛としてミタマを磨いてください、地土(くにつち)の軸が動くのです、フニャフニャ腰がコンニャク腰になってどうにもこうにもならないことになるのです、その時にこの神示を心棒に入れてください、百人に一人位は何とか役に立つのです、あとはコンニャクのお化けなのです、北から南から宝を出す時が近づいたのです、世の元からの仕組みですからめったに間違い無いのです、これから先はいよいよ臣民には分からなくなるのですが仕上げを見てください、何事も神の申すことを聞いて素直になるのが一番なのです、神示が出ない時が近くなったのです、神示が出なくなったら口で知らせるのです、この神示を早く腹に入れないと間に合わないことになって来るのです、西にも東にもみな宝があるのです、北の宝は潮満(しおみつ)です、南の宝は潮干(しおひる)です、東西の宝も今に分かって来るのです、この宝はあっぱれ、この世の大洗濯の宝なのです、人民のイクサや天災ばかりで今度の岩戸を開くと思っていたら大きな間違いです、戦や天災でラチがあく様なチョロコイ仕組みではないのです、あいた口がふさがらないことになって来るのですから、早くミタマを磨いてコワイものが無いようになっていてください、肉体のコワさではないのです、タマのコワさなのです、タマの戦や災いは見当取れないでしょう、真通理(まつり)が第一と申しているのです、神のミコトに聞いてください、それにはどうしてもミタマを磨いて神かかれる様にならなければならないのです、神カカリと申してもそこいらにいる天狗やキツネや狸ツキではないのです、誠の神カカリです、右を行く人、左を行く人をとがめないでください、世界のことはすべて自分の心に映り、心に映っただけのことしか出来ない道理なのです、この道は真中(まなか)を行く道だとくどく申してあることを忘れないでください、今までの様な宗教や教えの集団は潰れてしまうのです、神が潰すのではないのです、自分で潰れるのです、早くこの神示を魂にして誠の道に生きてください、俳句は俳句と申してありますが、天理教は天理教、金光教は金光教だけの教えなのです、この神の申すことは天の道、地の道、人の道です、今度の岩戸開きの大望(たいもう)が終了してもすぐに良いことばかりにはならないのです、二度と無いことなのですから臣民では見当取れないことですから、肚の底から改心して素直に神の申す通りにするのが何より結構なことなのです、神の国の昔からの生神の声は世に出ている守護人の耳には入らないのです、世に出ている守護人は九分九厘まで外国ミタマ(魂)ですから生神の声は聞こえないのです、外国の悪の三大将よ、いざ出て来てみなさい、マトモからでも上からでも下からでも横からでも、いざ出て来てみなさい、この神の国には世の元からの生神が水も漏らさない仕組みをしているのですから、いざ出て来て得心出来るところまでかかって来てください、敗けても悔しくないように攻めて来てみなさい、堂々と出て来てください、どんな手でもかかって来てください、その上で、敗けてこれはどうしても勝てないと納得するまでかかって来てみなさい、学が勝ったなら従ってやります、神の力に勝てないことが心から分かったなら末代どんなことあっても従わせて元の神の誠の世にして、改心させて、万劫末代口説(くぜつ)のない世にするのです、富士と鳴門の仕組みが分かって来たなら、どんな外国人でも改心するのです、それまでに神の国の臣民が改心していないと気の毒な事が起きるのです、天狗や狐は誰にでもかかってモノを言うのですが、誠の神は中々にチョコラサとはかからないのです、善き代になったら神はモノを言わないのです、人が神となるのです、この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからないのです、神が誰にでもかかって、すぐに何でも出来ると思っていると思いが違うので気をつけておくのです、神カカリに凝るとロクなことはないですからホドホドにしてください、この道は中行く道です、戦が終わったでもなく、終わらないでもなく、上げることもおろすことも出来ず、人民の智や学や算盤では、どうにも出来ないことになるのが目の前に見えているのですから、早く神の申す通りに素直に言うことを聞いてください、長引くほど、国は散り散りに無くなるのです、米があると申して油断しないでください、タマがあると申して油断しないでください、命があると申して油断しないでください、この神示を良く読めば楽になって人々から光りが出るのです、辰の年はよき年となっているのです、早く洗濯してください、悪の仕組みは、日本魂をネコソギに抜いてしまって日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画なのです、日本の臣民は悪の計画通りになって、尻の毛まで抜かれているのにまだ気づかないのですか、上からやり方を変えてもらわなければ下ばかり変えても何うにもならないのです、人の上に立っている人は日に日に悪くなって来ているのです、メグリある金でも物でも持っていたならよい様に思っているのですが、大きな取り違いなのです、早く神の申す言葉を聞いてください、世界の何処を探しても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道を知らせる所はないのです、この道の役員は上から見えない所によいことがないと今度の御用はなかなかにつとまらないのです、洗濯を急いでください、掃除を急いでください、家の中が治まらないのは女にメグリあるからです、このことよく気を付けておくのです、村も国々も同様です、女のメグリはコワイのです、節分からは八回拍手を打ってください、神がはげしくなるのです、心にメグリを積むと動物のイレモノになるのです、神のイレモノを動物等に自由にされていて、それで誠の神の臣民だと申しているのは、分からないと言ってもあまりにもひどいのです、ゴモク吐き出してください、ゴモクをそのままにしておくと段々大きくなって始末出来ないことになって、しまいには灰にするより手がなくなるのです、石が流れて木の葉が沈むと申してあるでしょう、今がその世なのです、改心してキレイに掃除出来たら、千里先にいても、ひつきの神と頼めば何んなことでもさせてやるのです、この神は世界中どこにでも届く鼻を持っているのです、この世を造ったこの神なのです、この世に分からないことは何一つないのです、神の御用さえつとめてくれたならば、心配ごとが嬉し嬉しのことになる仕組みです、日本臣民ばかりではないのです、どこの国の民でも同様に助けてやるのです、神にはエコがないのです、誠の者は千人に一人なのです、向うの国にはまだまだドエライ仕組みしていますから今の内に神の申すことを聞いて、神国は神国のやり方にしてください、人の殺し合いばかりではケリはつかないのです、今度の勝ち負けはそんなチョロコイことではないのです、トコトンのところまで行くのですから神も総活動なのです、臣民は石にかじりついてもやらなければならないのです、その代わり今後は万劫末代のことですから何時までも変わらない誠の神徳を与えるのです、言われないことや神示に出せないことも知らせることがあるのです、言葉が違うから、精神が違うから違うことになるのです、言葉を正しくすれば、正しきことになるのです、日本の国は元の神の血筋の混じり気のないミタマで、末代世を治めるのです、何事も末代のことですから、末代動かない様に定めるのが大望なのです、上の臣民はこのままで何とかかんとか行ける様に思っていますが、その心は我よしです、今度は手を合わせて拝むばかりでは駄目だと申してあるでしょう、今度は規則が決まったなら昔より難しくなるのです、負けられないことになるのです、神魂(カミタマ)の臣民でないと神の国には住めないことになるのです、この世治めるのは地の先祖の生神の光を出さなければ、この世は治まらないのです、今度はトコトン掃除しなければ、少しでも混じり気があれば、先になってまた大きな間違いとなりますから、洗濯々々とくどく申しているのです、神は一時は菩薩とも現われていたのですが、もう菩薩では治まらないのですから、いよいよ生神の性来を現わしてバタバタにラチをつけるのです、今の学ある者は大きな取り違いをしているのです、大国常立尊大神と現われて、一時は天もかまい、地の世界は申すに及ばず、天にも昇り降りして、⦿(モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りをクッキリ現わさなければならないと申されているのです、早く洗濯しないと間に合わないのです、この道の役員は自分で苦労して人を助けるのです、人を助ける心でないと我を出して自分のことを思っているとグレンなのです、仏もキリストも何も彼もスッカリと救わなければならないのです、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるのです、今度はハッキリ区別するのです、昔からの因縁なのです、この方の元に参って、昔からの因縁やこの先のこと良く聞いて得心出来たら、肚の底から改心して誠の御用をしっかりつとめあげてください、逃げ道をつくってはならないのです、二つ三つの道をつくってはならないのです、真っ直ぐに神の道に進んでください、神の道は一筋だと申してあるでしょう、何でもそれぞれの行をしなければ誠のことは出来ないのです、世界の片端浜辺からいよいよが始まると知らせてあることが近くなったのです、くどい様ですがさっぱりと洗濯してください、神の国は神のやり方でないと治まらないですから今までの法度(はっと)からコトから、やり方を変えて、今まではやり方が違っていたので、神のお道通りに致しますと心からお詫びしなければ、お詫びするまで苦しむのです、この苦しみは文字にも口にもない様なことに、臣民の心次第ではなるのですから、くどく申しているのです、何もかも神に捧げてください、てんし様に捧げてください、それが神国の民の心得です、否でも応でもそうなって来るのです、神国の政治経済は一つであると申してあるでしょう、今の臣民に分かる様に申すならば、臣民が働いてとれたものは、何でも神様に捧げるのです、神の御社は幸いで満たされるのです、御光が輝くのです、光の世界となるのです、神から分けてくださるのです、その人の働きによってそれぞれに恵みのしるしを下さるのです、それがお宝です、お宝徳相当に集まるのです、金は要らないと申してあるでしょう、元の世になるまでに、そうした事になってそれから誠の神の世になるのです、神の世はマツリがあるだけです、それまでにお宝を下さるのです、お宝とは今のお札(さつ)の様なものです、分かる様に申すと、神の御社と臣民のお役所と市場と合わせた様なものが、一時は出来るのです、嬉し嬉しとなるのです、誠のマツリの一(ハジメ)です、このことを良く肚に入れて一二三(ひふみ)として説いて、早く上の守護人殿にも下の守護人殿にも知らせて、安心して勇んで暮す様にしてやってください、それも臣民の心次第で素直な人は早く嬉しくなって心が勇むのです、寂しくなったら訪ねて来てくださいと申してあるでしょう、生味(しょうみ)の、生き通しの神が、生味を見せてやらなければならないことに、何れはなるのですが、生神の生味は激しいから、今の内に綺麗に洗濯しておけと申すのです、皆にまつろいしておけと申すのです、可哀そうなのは兵隊さんです、神に祈ってやってください、幽界人(がいこくじん)、日本の国にいる幽界魂(がいこくたま)の守護人はいよいよとなって生神の総活動になったら、死ぬことも生きることも出来ない苦しみに一時はなるのです、神から見ればそなた達も神の子なのですから早く神の下(もと)に帰ってください、いよいよとなって来たのです、くどく気をつけることです、この方の道が悪いと思うなら、出て来てください、良いか悪いか、はっきりと得心ゆくまで見せてやるのです、何事も得心させなければ、根本からの掃除は出来ないのです、役員も気をつけてください、皆和合してください、悪い言葉と悪い息吹きがこの方の一番邪魔になるのです、苦労の無い人には誠は分からないのです、欲は要らないのです、欲を出したら曇るのです、めくらになるのです、お詫びすれば許してやるのです、天地に御無礼のない臣民は一人もいないのです、病治してやるのです、神息吹きを作ってやってください、神息吹きとは一二三書いた紙を神前に供えてから分けてやるもののことです、腹が立つのは慢心からです、守護神が良くなれば肉体が良くなるのです、善も悪も分からない世を闇の世と申すのです、天照皇太神宮様(テンショウコウタイジングウサマ)の岩戸開きは、だました間違いの岩戸開きです、無理に開けた岩戸開きですから開いた神々様にも大きなメグリがあるのです、今度はメグリだけのことはしなければならないのです、神には分け隔て無いのです、今度の岩戸開きは少しも間違いない、混じり気のない、誠の神の息吹で開くのです、混じり気があったら、濁りが少しでもあったら、またやり直ししなければならないのですからくどく気を付けているのです、何時までも変わらない誠で開くのです、世の元からの生神が揃って現われたら、皆腰を抜かして、目をパチクリさせて、ものが言えない様になるのです、神徳を頂いた臣民でないと中々越せない峠なのです、神徳はいくらでも背負いきれないほど与えるのです、大きな器を持ってください、掃除した大きな入れものをいくらでも持って来てください、神界にはビクともしない仕組みが出来ているのですから安心して御用をつとめてください、今度は誠の神の力でないと何も出来はしないのです、日本の国土は小さいのですが天と地との神力は強いのです、神の誠の元の国であるのです、洗濯と申すのは何事によらず、人間心を捨ててしまって、智恵や学に頼らずに、神の申すことを一つ疑わずに生れ赤子の心のうぶな心になって、神の教えを守ることです、ミタマ磨きと申すのは、神から授かっているミタマの命令に従って、肉体心を捨ててしまって、神の申す通りに背かない様にすることです、学や智を力と頼んでいるとミタマは磨けないのです、学を越えた学、智を越えた智は神の学、神の智であることが分からないのですか、今度の岩戸開きはミタマから、根本から変えて行くのですから、中々大変なのです、天災や戦ばかりでは中々ラチが開かないのです、根本の改めです、小さい事だと思っていると分からないことになると申してあるでしょう、この道理をよく肚に入れてください、今度は上中下三段に別けてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻をつけて、悪も改心させて、善も改心させての岩戸開きですから、根本から作り変えるより何れだけ難しいか、大層な骨折りなのです、叱るばかりでは改心出来ないので喜ばせて改心させることも守護神においてはあるのです、聞き分けの良い守護神殿は少ないのです、聞き分け良い悪の神は早く改心するのです、聞き分けの悪い善の守護神があるのです、この道の役員は昔からの因縁によってミタマを調べて引き寄せて御用させているのです、めったに見当は狂わないのです、神が綱をかけたら中々離さないのです、逃げられるなら逃げて見てください、くるくる廻ってまた始めからお出直しして御用しなければならない様になって来るのです、ミタマが磨け出したら病神などドンドン逃げ出すのです、出雲(いずも)の神様を大切にしてくださいと知らせてあることは忘れないでください、子(ネ)の年を真中にして前後十年が正念場です、世の立て替えは水と火です、羊(ひつじ)の三月三日、五月五日は結構な日です、この神は良い臣民には良く見え、悪い臣民には悪く見えるのです、鬼門の金神とも見えるのです、世はクルクルと廻るのです、幸せでなくても悔やまないでください、それぞれのミタマの曇りを取り除いているのですから、勇んで苦しいこともしてください、上が裸で下に袴を履くことが出て来るのです、神が化かして使っているのですから、出来上がるまでは誰にも分かりませんが、出来上がったら、何とした結構なことであると皆がびっくりするのです、びっくり箱にも悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とがあるのです、何も知らない臣民に知らないことを知らせるのですから、疑うのは無理の無いことですが曇りを取ればすぐにうつるのです、元の種を持っているのですから早くこの神示を読んで洗濯してください、どんな大峠でも楽に越せるのです、神の道は無理の無い道であると知らせてあるでしょう、ミタマの因縁は恐ろしいのです、上下に湧き上がる時が近づいたのです、今度の御用は世に落ちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらないのです、神も長い間世に落ちて苦労に苦労を重ねていたのですが、時節が到来して天晴(あっぱれ)世に出て来たのです、因縁のミタマは世に落ちていると申してあるでしょう、外国好きな臣民は今に大きな息が出来ないことになるのです、覚悟は出来ていますか、改心次第ではその時から良い方に廻してやるのです、改心と申して人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないのです、人の前で懺悔するのは神を傷つけることになると心得てください、神の御前にこそ懺悔してください、懺悔の悪い言葉に倍した良い言霊(ことだま)を宣ってください、言葉高く宣ってください、富士晴れるまで言葉高くあげてください、その言霊に神がうつって何んな手柄でも立てさせて万劫末代名の残る様にしてやるのです、この仕組みが分かったなら上に立つ臣民は逆立ちしてお詫びに来るのですが、その時ではもう間に合わないのですからくどく気を付けているのです、臣民は可愛いので嫌がられてもこの方は申すのです、悪と思う事に善があり善と思う事に悪が多いと知らせてあるでしょう、この事は良く心得ておいてください、悪の世になっているのですから誠の神でさえも悪に巻き込まれているのです、知らず知らずに悪になっているのです、今の世の乱れと申すものは五度の岩戸閉めですから分からない臣民には分からないのは無理のないことですが、五度の岩戸閉めが分かってもらわないと結構な御用はつとまらないのです、時が来たら自分が自分の口で自分が白状する様になって来るのです、神の臣民は恥ずかしくない様にしてください、臣民が恥ずかしい事は神も恥ずかしいのです、いよいよ善と悪の変わり目ですから、悪神が暴れるので巻き込まれない様に褌を締めて、この神示を読んで、神の心を汲み取って御用を大切にしてください、向うの国はいくら物があっても人があっても、生神が表に出て働くのですから、神無き国はいづれは往生です、この神の申すことを良く肚に入れて、もうかなわないと申す所をこらえて、さらにかなわないと申す所をこらえて、いよいよどうにもならないという所をこらえて頑張ってください、神は何も彼も良く分かって帳面に書き留めてありますから、何処までも死んでも頑張ってください、そこまで見届けなければ、この方の役目は果たせないのです、可哀そうですが神の臣民殿はこらえこらえて誠をどこまでも貫いてください、誠の生神がその時こそ表に出て日本に手柄をさせて、神の臣民に手柄立てさせて、神から篤く御礼申して、善き世に致すのです、腹帯をしっかり締めてください、重ねて神から臣民殿に頼むのです、守護神殿に頼むのです、戦争はいつも勝つばかりでは無いのです、春負けとなるのです、いざとなれば昔からの生神様が総出で御働きになりますから神の国の神の道は大丈夫ですが、日本臣民も大丈夫であるとは言えないのです、その心の通りになることを忘れないでください、早くミタマを磨いてください、もう少し戦が進むとこれはどうしたことなのか、こんなはずでは無かったとどちらの臣民も見当が取れずに、どうすることも出来ないことになると知らせてあるでしょう、そうなってからでは遅いからそれまでにこの神示を読んでその時にはどうするかと言うことが分かっていないと仕組みは成就しないのです、役員の大切な役目なのです、自分の思いは捨ててしまって早くこの神示を穴の開くほど、裏の裏まで肚に入れておいてください、この神示の終りに神から強く頼むのです、元の大和魂に帰ってくださいと申すのは今の臣民には無理なのですが、無理でも神に心を向ければ出来るのです、どうしても今度は元のキの儘の魂に帰らないとならないのです、肝心の神示をむやみに見せてはならないのです、仕組みが壊れるのです、今に神示に書けない事も知らせなければなりませんから、耳から知らせますから、肚から肚へと伝えてください、節分からは激しくなって、激しい神示は書かせないのです、天明神示の御用はこれでしばらく終わりなのですが、その代りに耳の掃除をしておいてください