PERFECT DAYS  | 自転車から今日は♪

自転車から今日は♪

坂道の多い所に住んでます。
愛用のママチャリで鼻歌歌うのが大好きです。
小さなおうちでの生活をのんびり綴ってみたいと思います♪

 

今度は 今度

今は 今

 

 

ヴィム・ヴェンダース監督

「PRFCT DAYS」を観てまいりました

 

 

 

 

 

主演の役所広司さんは、この作品でカンヌ映画祭の

主演男優賞をとられたとのことですが

 

私的には、いつも読ませてもらっているブロガーさん達が

是非観てねと こぞって宣伝部長になっていたところに注目

 

 

なので、お話の内容は既にご覧になている

上手な方におまかせして

私は感想からダイレクトに語らせて頂きます。

 

 

 

主人公の平山は

東京の公衆トイレ掃除清掃員です

 

毎朝、外で掃除をする竹箒の音で目覚め

身支度をし、植物に水をあげ

その日の気分で選ぶお気に入りのカセットの

音楽を聴きながら通勤

 

無口だけど仕事はとても丁寧。

お風呂がないので銭湯で身体を洗い

帰ったら古本屋で買った本を読み

休日は、制服をコインランドリーで洗濯をし、

趣味のカメラの現像をしに古いカメラ屋さんへ

 

あ、歌のお上手なママのいる

小料理さんはちょっとお気に入りみたい。

 

(後でクレジットみたら石川さゆりさんでした

上手なはずだ~)

 

 

ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」

という映画に似てるなぁと思いました。

 

さて。

 

「PERFECT DAYS」と似ていると思った

「パターソン」という映画

 

この映画も同様に、ブロ友さん達が

絶対に観てねー!と念押しされた

映画だったように思います。

 

いつものルーティーンの中で

少しずつ通り過ぎていく名前の知らないいろんな人。

 

自分の日常の中にいる人の好きな何かを

一日かけてとりいれてみたら

どんなことがおきるだろう。

 

実際やってみたら、

いろいろな偶然が重なって

なんだかPERFECTな一日になったんじゃない?

 

なんて記事を書きました。

 

 

いろんな偶然を発見した私は役所広司さんみたいに

思わずにんまり

 

 

 

↓パターソンを見に行くある日の私のPerfect Day

 

↓パターソンみて謎のポエムをつくるという黒歴史を作った時のお話

 

 

 

改めて自分の昔の記事を読みますと、勧められたことを

そのまま自分もやってみようという私の遊びは

もはや自分の休日の遊びのルーティーンになっていました。

 

すごく面白いなぁと思います。

 

 

でもって映画の「PERFECT DAYS」ですよね

 

 

ちょっと似たテイストの「パターソン」が

雨の日のバスの中で聴く10ccの「I'm not in Love」

みたい印象…とするならば

 

 

 

「PERFECT DAYS」は都会の古い窓ガラスから

感じる花鳥風月?みたいな

 

そして、それにあわせる音楽は

これはもう映画をご覧になってくださいまし。

 

主人公のそのときの心情にあわせて

チョイスした音楽がどれもイイです。

 

 

 

主人公の平山さんは、通勤や仕事では車を使ってますが

オフの日は自転車を愛用しています。

 

ですからレインコートを着て

雨に濡れることもありますし

私の日常とかぶるんですね。

 

判で押したような通勤風景ですが

季節のうつろい直に感じることができますし

これってもしや、人生の真実じゃない?

 

とか自分の中での大発見とかがあったり

 

ところがそれを実証するとなるとなかなか難しく

それは自分の中の仮説として

日々の生活の中で埋没していまうのです

 

 

 

 

影の色。影の濃さ。

 

私は自分のブログにのせる花の写真を撮りながら

ある日こんなことを思いました。

 

もしかして、夏の影の色って他の季節と違う?

 

科学的な根拠とかあるのか

自分の錯覚なのか

 

そんなことより、今のこの仮説って

すごく大事なことなんじゃないという漠然とした

胸騒ぎを感じて取り合えず夏の陰の写真だけでもと思うのですが

 

写真を撮るにも時間帯ってあるんです。

私は仕事がありました。

 

仮に影の写真を撮れたとしても

どうやって人に伝えればいいの?

 

ふ~んと口にして終わる類の話じゃないか

 

やめだ、やめ~

 

とボツになった過去が私はあります。

 

『PERFECT DAYS』の後半

小料理屋のママの元ご主人役である三浦友和さんが

影のお話をします。

 

自分は影が重なると色が濃くなるのだと

思ってたのだが、それを検証しようにも

病気になってしまって、それを知ることなく

人生を終えるのかなみたいなことを言いだします。

 

すると主人公、普段ほとんど話さないくせに

ぐいと初対面の三浦さんをひっぱって

今から実験しようというんです。

 

子供のように笑い、学者のような真剣な表情で

 

影が重なったところは色が濃い

としっかりと断言します。

 

相手は自分に話をあわせてくれていると

感じたのでしょう

 

やけに力説するじゃないですか

(いいんですよ ムリして言ってくれなくても…)

 

というのですがそれでも平山は譲りません。

 

影が重なったところは確かに濃い。

 

 

これは、最大級の人生の肯定だ!

と私は思いましたよ

 

私も過去に思った夏の影の色の話を

誰かに話すことはできませんでしたが

 

きっとほしかったのは

平山さんの言葉だったのだと思います。

 

 

 

 

今度は今度

今は今

 

 

私が映画をみて呟きたくなったの2つ目

 

中盤平山の家に、家でした姪御さんがやってきます。

二人並んで自転車を走らせ

 

あの川の向こうには海があるのか

 

と尋ねます。

 

平山がそうだと答えると、姪は今から

海へ行こうと言い出します。

 

普通の作品であれば、あるいは誰かの意見をといりいれて

と言っている私のような人間であれば

海を見に行き、違う世界がみれたと

話が展開するのだと思います。

 

ところが平山は海を今度だと言います。

 

姪は今度というのは具体的にいつになるのか

追求します。

 

しかし平山はそれでもブレません

 

今度は今度で、今は今なんだ

 

作中アッチ側の人間とコッチ側の人間という

分け方をあの映画でしてましたが

 

平山の姉や父親側の人間は

今度という言葉は、存在せず力業で

いつなら実現できるかプランニングできる人間

 

平山側は今があっての今度ってことなのか

 

今度は今度で 今は今

 

自分の軸って大事だよな

 

という形で自分におとしこんでみましたけど

 

作品の解釈は無限大


 

 

ニーナ・シモン Feeling Good

 

 

 

It's a new dawn

It's a new day

It's a new life

For me

And I'm feeling good

 

 

ああ、いいねぇ

サイコーだなぁ

 

良い作品紹介くださってありがとうございます。

 

とても良かったです。