おはようございますパー爆笑


今週末は天気が良くなさそうです。というか最近週末の度に雨が降っている気が滝汗


↓前回のお話はこちら

2020年1月の木曽路の続きです。


前回スキーをやらないのに開田高原マイアスキー場に行ったと言いましたが、これまでスキーを全くやっていなかったわけではなく、


20世紀まではかなりの頻度でスキー⛷️に行っていた


のです。


そもそも高校の時は1年で新潟の上越国際でスキー実習、2年は札幌で修学旅行という名のスキー実習を受けましたからね。


21世紀になってから全くやらなくなった理由は、


スノーボード🏂

です。20世紀終わりくらいになってから一気に普及しましたからね。スノーボードは見るからに転んだ時に痛そうですし怖いのでやる気になりません。後輩がスノーボードやっていて頭を切って何針か縫ったという話も聞きましたし滝汗 あとスキーやるにも同じゲレンデをボーダーと一緒だと怖いんですよねショボーン

それが理由でゲレンデから遠ざかってしまいました。


まぁ今からやろうと思っても20年以上やっていないのでまともに滑れなさそう爆笑


本題に入ります。


昨年末に寝覚の床を訪問しましたが、この時は有料駐車場に見えたのでスルーしてしまいました爆笑


そのまま木曽路を南下。


大桑村の道の駅。寝覚の床がある上松町の南にあります。


そういや力士の御嶽海はしこ名のとおり、この辺り出身ですね。


最近の力士は全くわかりませんがショボーン


で、南木曽町にある、妻籠(つまご)宿へ。馬籠宿と並んで有名な中山道の宿場ですが、このとき初めて訪問しました。確か横の有料駐車場に止めた気がします。


前回の奈良井宿と似たような風景ですね(当然か


水車があります。


このような本陣がかなりありました。


さらに進んでいきます。


妻籠宿御本陣とあるので、強そう。




「自動でんわ」とあります。電話は自動だろと思いますが、昔は交換手を介して相手先に繋いでもらっていました。1979年に電話が完全自動化されたようですが、それまで交換手がいたことが驚きですね爆笑 ここは古そうですが昔から自動交換機を使っていたようですね。


というか、昔の東海道新幹線の電話も交換手を介するタイプでしたが、沿線の主要都市にしかつながらず、埼玉へは断られた記憶がありますショボーン 

あと昔の新幹線は1度数100円でした爆笑


妻籠宿は基本的に平坦ですが、少し起伏があります。


こんな感じで一段下がっているところも。


似たような画像が続きます。


古い建物の洋品店は、なんかいいですね爆笑


暖簾が長い爆笑


高台から妻籠宿を見る。



学校の跡ですね。木造の校舎はほぼ見かけなくなりましたし。


妻籠郵便局。こちらは現在は稼働していませんも稼働していると後で知りました


それにしてもこの時から中国語が飛び交っていましたので、今はもっとすごそうですね。


これから馬籠に向かいます。

今回はここまで。


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