※1/19 10:00過ぎに補記訂正しました。
こんばんは

投稿間隔が空いていますが肉体精神共にボロボロなんです

とりあえず1/12の続きです。
↓前回のお話はこちら
牛久大仏をあとにしてやってきたのが、稲敷市役所。もちろん市役所に用事があってきたのではありません

おっ、こんなところにドラッグストアのセキ薬品がある。
セキ薬品はワイが倉庫のように日々利用している店で、ほぼ埼玉県内にしかないドラッグストアです。最近は千葉茨城の方にも店を出しているようですが、稲敷まで来ているとは。現時点では日本最東端のセキ薬品です


少し散歩します。

これは怖い

ここは犬塚なのだ
先ほどの県道の標識にも書いてあったとおり、このあたりは犬塚という地名です。

バスが出発していきました。

※初出で1日1本しかないと大嘘こきましたごめんなさいm(_ _)m
バス停を見たらあまり使いやすい本数ではありませんでした。コミュニティバスとはいえ、これじゃ足のかわりにはなりませんね。これじゃ無理にでも車を出したくなってしまう。稲敷市は人口減少が著しいですが、隣の阿見町は単独市制を施行できる人口5万人を超えているくらい発展しています。ですのでやり方一つで色々変わると思うんですよね。
先ほどのセキ薬品でものを買って車に乗り込む。普段こういうものを買っているのであまり新鮮味はありません
稲敷市役所を出て少し走ったところに、大杉神社というのがあります。他の方のブログを見て見応えのある場所だとわかっていたのですが、初詣の車で行列ができていたかつ駐車料金が期間限定で有料なので、時期をあらためて訪問することにしました。この辺りは暇さえあれば走行していますからね。
稲敷市役所を出発してから30分あまり走行後の国道51号沿いに、
「←稲敷市役所」
という標識がありました。稲敷市は江戸崎町、新利根町、東町、桜川村が平成の大合併でできたもので広大にはなりましたが、すぐそばにあるような標識には違和感を覚えました
潮来(いたこ)とか鹿嶋あたりで昼を食べようと思いましたがどこも混んでいたので諦めて先に進めます。
やってきたのが鹿島臨海鉄道の大洋駅。
ここは平成の大合併で現在は鉾田市になっていますが、かつては大洋村という地名でした。
大洋村は、昭和末期の1980年代バブル期に別荘の建築が盛んに行われて、当時は毎週のように「大洋村の別荘!」という折り込み広告が入っていたくらいに別荘の売り込みが盛んでした。当時小学生だったワイもいまだにその時の広告の印象が残っています。都内から2時間くらいの場所で海も近く温暖なところに別荘を持とう!と売り込んでいたのかなと当時は思っていました。
鹿嶋からこの辺りにかけてはいまだに不動産屋の看板がやたら目につきます。
結局この別荘自体、多くの業者が空いている土地に無計画に別荘を建てまくっていただけのようです。現在はこれらの別荘を手放す人も多く、手がつけられずに劣化している建物が多数残っているという話でした。小学生の時分でも異様に感じたので、このような結果になることは容易に想像できました。鉾田市でも旧大洋村の別荘地の把握があまりできていないようです。
とりあえず今回別荘がありそうな場所に向かってみました。

こんなところですね。当時の広告から想像はできていましたが、建物はこのようにトタン屋根の極めて簡易的なものでした。あと右側の建物みたいに下に木のつっかえ棒がありますが、すぐに劣化するのが容易に想像できるつくりの悪いものだったのです。建築基準法もパスできるのかと思ってしまいます。
そういう建物を結構いい価格で売っていた気がします。いま売りに出されているこういう建物はせいぜい数十万円です。まぁこうなるわな。

車から降りてみた。

遠方にも建物が無作為に並んでいます。

ここもそうですね。三角のトタン屋根の建物が多いです。

カーナビの道路が表示されていませんが、しっかりと道路があるのです。つまり別荘を売るために道路を整備したものの、市(当時は村か)に許可なくつくった可能性があります。今回見てきたところは通りから少し入ったところでアクセスが良いとは思えません。また舗装されていない道の奥にも別荘が建てられているところもあるようです。

こんな奥に建物が並んでいる時点でなんか不気味ですよね。


大洋村を後にして、北にある涸沼(ひぬま)へ。茨城には霞ヶ浦や北浦といった湖がありますが、この涸沼もこれらに負けないくらい湖といってもいい大きさです。しじみで有名らしいですね。
いい時間になったので帰路に着きます。

谷田部東PAに寄る。ここは開業時の建物が残っていますが、トイレは流石に立て替えています。
ということで今回の話はおしまいです。