おはようございます
体調管理が厳しくなる温度差です
↓前回のお話はこちら
前回は渡良瀬遊水地に向かうところで終わりました(この画像は前回もあげています)。前回三県境にきた時はこちらまで来ておらず、初めてくることになりました(横は散々通っていますが)。
渡良瀬遊水地の入口に到着。やたらハートマークがありますが、
渡良瀬遊水地そのものがハート❤️の形をしているのです 4県にまたがる最大の遊水池で、別名を谷中湖といいます。
ただ、この渡良瀬遊水地ができるきっかけというのがネガティブなものでもあったのです
田中正造という名前の人を聞いたことがあると思います。明治時代に栃木西部にある足尾銅山の鉱毒事件で議員として政府と戦ったことで有名です。これに加えて政府は渡良瀬川の下流の洪水被害の対策のためにこの地に遊水池をつくる計画をたてたのですが、目的は洪水対策でなく、渡良瀬川の上流にある足尾銅山から流れてくる鉱毒を薄めるためだということを田中正造はわかっていました。
この地にはもともと谷中村という集落があり、2500人ほどが住んでいました。当然ここに住んでいる人は強制移住させられるのですがそれに反対すべく田中正造はこの地に住み最後まで抵抗しました。結果的に強制執行されて住民は周辺の町村や北海道の佐呂間地区に移住するはめになったようです。
そういえば北海道の佐呂間から北見に抜ける新佐呂間トンネルを通った際、近くで「栃木」という地名を見た記憶がありました。
ここには地名だけでなく栃木神社や日光山とついたお寺があるのですが、調べたらやはり旧谷中村の人が移住し建てられたもののようでした。北海道にはアイヌ語由来の地名だけでなく、内地の地名が結構あり、そこから移住した人も少なくないんですよね
谷中村を追われた田中正造は支援者を回る旅に出るのですが、その最中に病に倒れ、亡くなってしまいました。田中正造は最期の最期まで政府と戦い続けたのです
結局遊水池はつくられ、洪水対策にも鉱毒対策にも一定の効果を得ることができたようですが、こんにちでも遊水池の土壌に足尾銅山由来の銅の成分が含まれているようです。
現在のハート型の遊水池は近年つくられましたが当初は楕円形にする予定だったのが、旧谷中村の中心地を通ることでまた反対運動が起こり、中心地を避けてハート型になってこんにちに至ります。
渡良瀬遊水地の歴史の話が長くなりました。本当はハート型の池の周りを1周したかったのですが約10kmあるということで時間も体力も奪われると思ってやめました
ひたすら同じような風景が続きます。
北側まで到着しました。ここからどうやって戻ろうかと思いましたが、とりあえず谷中ブロックを1周して戻ることにしました。ここまでくるのもきつかった だいぶ涼しくなっていたんですが湿度が。
渡良瀬遊水地は3ブロックに分かれており、その間を歩いたり自転車で通ることができます。
北側は湿原みたくなっています。
ここを右に行ったらあとはひたすらまっすぐ。
景色はいいのですがすでに疲労困憊
やっと入口に戻ってきた ただ車を止めている道の駅までもう少し歩かねば。しかも門の先に心臓破りの坂がありますし。
また谷中湖に遊びに来てね
ああ、またくると思う いいウォーキングコースだった。
土手にある栃木と群馬の県境。
200mも歩かないうちに今度は群馬と埼玉の県境が
結局歩行距離は8.05kmでした 歩き足りないから遊水池に行ったらたっぷり歩くハメになりました
1〜2ヶ月に1回くらいのペースで1周5kmほどのコースをウォーキングする近隣の彩湖みたいな感覚でいたら、渡良瀬遊水地はそれと比べ物にならないくらい大きかったです
渡良瀬遊水地も彩湖も風景の変化がほとんどないんですが、歩行距離は稼ぐことができます