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Minahei

ライター戸塚美奈のブログです。

『ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡』 写真・文 大西暢夫 彩流社

 

カメラマンである著者は、ダムに沈むため廃村となった徳山村を歩き回るうち、ダム建設に反対し、村の最奥に暮らし続ける夫妻と出会う。夫の死後、妻のゆきえさんは危険地域となった村を出ることになる。著者は、一人残されたゆきえさんに話しを聞きながら、ゆきえさん、夫の司さんの人生をたどっていく。

徳山村よりさらに山奥に位置する小さな集落。そこにはかつて、血縁で支えられた共同体が息づいていた。子どもはよその子も入り混じって育ち、頼母子講でお金の貸し借りをして助け合う。現金はなくても土地さえあればなんとかなる。かつては街へ出るにはホハレ峠を越えなければいけなかった。現金収入のため、大きな板をかついで往復したという。ゆきえさん夫妻は結婚後仕事を求めて北海道へと移り住む。そして紆余曲折のあと、結局は再び村に戻って親を看取る。なぜ北海道へ?と言う謎はやがて解ける。北海道と岐阜の小さな村は、血縁で固くつながれていたのだ。著者が夫妻の足跡をたどることによって、一族の歴史が次第に明らかになっていく様子はスリリングでもある。

やがて、長い介護も終え、故郷の村で夫婦で落ち着いたころ、、村で共同管理していた山を、大手製紙会社が原木を伐採するために買いたいという話が出てくる。しずかな村が派閥に分かれてしまう。やがて、木の板をホハレ峠を越えて運んでいた時代は変わる。戦後のパルプ不足から、道路を作り、トラックが行き来し、現金収入で潤った人々の暮らしは一気に変わっていく。山はまたたくまにはげ山になったという。そして、村に、日本最大のダム計画の話が持ち上がる。

ダムの説明会に参加するえだけで4000円がもらえた。補償対象を増すためにわざわざ家族を呼び寄せる家もあったり、「村の様子がじわりじわりと変わっていった」という。「三年くらいは国のほうも丁重に話しをしてくれたが、みんなとも慣れ親しんだころから、『はよ! ここを出ていけ!』といわんばかりに、言葉づかいや態度が変わっていったんや」

「国が言い始めたら、事業は止まらんでな」

著者は書いている、

「反対を訴えていた集落が、『条件付き反対』などという言葉に言い換えられたとたん、ダム建設は進んでいく。」「国の話を聞いてやろうと思った瞬間に、国は金を持って村民の心の中に入り込んでくるのだ。」

昔の製紙事業は国策だった。国の管理下、はげ山をダムにすることは、最初から大きな枠気味の中の一部に含まれていたことではないか。ダムの水の使い道はそのときの都合で、後付けではないかと、著者は疑う。

 

危険地域となった村を出て本巣にある移転地に住んで20年になるころ、ゆきえさんが、ある日著者につぶやいたという言葉。

「ここに家を建てて、やがて二〇年になる。正直に言うと、もう金がないんじゃ。ダムができた頃は、一時、補償金という大金が入って来て喜んだこともあった。でも今はそうじゃない。気付いたころには、先祖の積み上げてきたものをすっかりごとわしらは、一代で食いつぶしてしまったという気持ちになってな。徳山村の価値は現金化され、後世に残せんようになったんや。」

「補償金で暮らしが豊かになり、いい車にも乗れて、大きな家も建てて、いいことばかりを、ダムの偉い人らに何年もかけて教えられてきたんじゃ。『おばあちゃん、ここに一つハンコをついてくれたらいいで』。村中がそんな雰囲気に押しつぶされていったんじゃ。」「結局、税金などを長い時間をかけて支払っていたら、補償金は国に返したようなもんや。気づけば、わしらの先祖の財産は手元にすっかりことなくなっとるんやからな。

 そして村までなくなり、バラバラになってしまった。みんな一時の喜びはあっても、長い目で見たらわずかなもんやった。現金化したら、何もかもおしまいやな」

 

この村をつぶしてまでダムを造るべきだったのか。そのことについて著者は声高に語らない。後世への罪悪感だけが残ると書いている。「一〇〇年の寿命と言われるダムは、一人の人間の寿命の長さでしかないのだ。わずか一代の時代を乗り越えるために、先代のすべてを食いつぶしてしまったのだ。」と。

 

「地」は「血」なんだろうかと思った。私の親などは、そうした血のしがらみが嫌でたまらなかったのだろうと思う。「地」にも「血」にも縛られたくなくて、私たちはみんな村を出たのだけれど。著者にうどんを作ってあげようとして、ねぎを買いたいといいながら、スーパーで特売のネギを買わなかったゆきえさんが哀しかった。「自信を持って畑でネギを作って、みんなにくれてやったもんやが、その農民のわしが、なんで特価品の安いネギを買わなあかんのかなって考えてな。惨めなもんや。」「わしら家族は豊かになるはずじゃなかったんか!って思ってな。」

 

徳山村が廃村になって4年すぎた1991年から、足掛け30年にわたる取材。貴重な記録であり、見事なドキュメンタリー。当然ながら写真も素晴らしい。重いテーマだが、著者とゆきえさんや一族の方たちとのやりとりがあたたかくてとてもいい。著者の誠実さにも心を打たれた。今年読んだ本の№1。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボクはやっと認知症のことがわかった」 長谷川和夫 猪熊律子 KADOKAWA

 

「長谷川スケール」という認知症度数を測る指針を作った認知症専門医が、自らも認知症になった。その医師による著書。

NHKでやっていた長谷川先生のドキュメンタリーを観たとき、長谷川先生が、音大出身のご夫人が弾く、ベートーベン悲愴の2楽章に耳を傾けるシーンが印象的だった。長谷川先生は、自分では患者にデイサービスなど奨めていたくせに、自分はあまり気が進まないようで、ご夫人はどんなにか大変だろう、と気になった。いったい、長谷川先生はどんな気持ちで介護されているのだろう?などとも思った。

ご夫妻の姿が心に残り、自分の家族が少しずつ介助が必要になり、時おり対応に悩むようになった私にとって、何か参考になることがあるかもしれないと、手にとった本だけれど、この本には明確なアドバイスが示されていた。

 

認知症は、朝は調子がいいが、午後になるとだんだん疲れてくるなど、調子の変動があり、「固定されたものではない」こと。 

先に「こうしましょう」とどんどん話を進めるのではなく、待ってこちらの言うことを聞いてほしい。

「認知症になったら「何もわからなくなる」と思っている人がいます。でも、繰り返しますが、そんなことはありません。心は生きています。嫌なことをされれば傷つくし、褒めてもらえばやはり嬉しい」

「認知症の人を、ただ「支えられる人」にして、すべての役割を奪わないということも心がけていただきたい」……

 

「褒めることを忘れないでほしい」

このことは繰り返し書かれていた。

認知症に限らず、病気や体の不自由な家族に決して忘れてはならないことだと思った。

 

構成も文章も読みやすく、なにしろ本人が患者であるだけに、必要以上の薬や検査をすすめていない。認知症を知る最初の1冊としてもいい本だと思う。

 

 

月2回、ご近所さんとやっている井戸端会議のような会(里あそびの会)で、干し柿を作った。

ご近所Kさんが、渋柿いっぱいもらったからと、わけてくれて、山梨出身のIさんに作り方を聞きながら。

といっても、皮をむいてヒモで結ぶだけなんだけど。カビを防ぐために、一度沸騰したお湯につけてから干すといいよ、と教えてもらった。
 

 

じつは実家では昔干し柿を作っていた。秋は家族総出で夜遅くまで柿剥き。それもいやだったし、おいしい富有柿に憧れていて、なんでウチの柿は渋柿ばっかりなんだと思っていた。干し柿なんて大嫌いだった。

干し柿の美味しさに目覚めたのはなんと去年のこと。いただきものの干し柿を食べて、その自然の美味しさに驚いた。日本にはこんなにおいしいドライフルーツがあったんだと。

 

干し柿なんか誰が作るか~と思っていたけど、作ってみると簡単だし、ぶら下がっている様子を見ているだけでも楽しい気持ちで、もっと作りたくなってくる。どこかに打ち捨てられた渋柿の木はないかなぁなんて探してみたりして。

 

ネットで見ればいくらでも作り方は出てくる。だけど、直接教えてもらって、いっしょに囲んで作るっていうのは、いいよね。やりたいけど面倒と思っていたことが、自然にできてしまう。おもしろくなって、もっとやりたくなってしまう。

会を始めたものの、仕事が忙しくて時間が惜しく感じたこともあった。でも、会で「やらない?」と言われてやり始めて、どんどんでてきてしまったことがいっぱいある。Iさんには編み物を教えてもらったし、会でシュロのかごをつくったりもした。去年は手作り味噌の話で盛り上がり、「一緒に作る?」と言われて、とうとう味噌を作ってしまった。

 

これは大きな「やる気」のモトかもね。

 

 

 

 

 

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たった今。さあ今日の作業終わり、あとはご飯の支度、と勢いよくノートをしまった途端、机横にある自作の本棚が崩れてきた。

ただ今、やる気を失っております、、、。

今日、植木屋さんに木を切ってもらった。

建売に最初からなんとなく植えられた木で、何をするにも邪魔っけだった木だけれど、

ずっと家の前に立って番をしてくれていたんだから、ありがとうと言う気持ちでいっぱい。

 

根元の木だけ記念に残しておいてもらった。以前巨大なオリーブを切ってもらったときにも、切り株を残してもらって、自分でノミで木の皮を削った。

今も、デン、とリビングの棚に置いてある。

「どうすんですか、これ、置いといてもゴミになっちゃいますよ」

と言われたけれど、荒く削って飾ってみたら、なかなか素敵。

 

いつだったか、仕事明けに都心のデパートなどで、何かナチュラルなムードのアートっぽいインテリアグッズ(?)ないかしら、と半日ウインドーショッピングしたけれど、ウチの切り株ほど素敵なモノは見つけられなかった。

そのときに、きれいさっぱり、高級インテリアグッズへの興味がなくなった。

 

また削って何か作ろっと。