家族づくりは難しいけれど『マイホーム山谷』 | Minahei

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ライター戸塚美奈のブログです。

 

新聞の書評で何度か見かけたため、硬派なノンフィクションだと覚悟して読み始めたら、まるでミステリーのような展開で、思わず一気読みしてしまった。貧困と介護という、重く、難しい問題を扱っているけれど、読後感はあたたかかった。

東京のドヤ街、山谷で、ホスピス「きぼうのいえ」を作り、ホームレスの人々を救っていたカリスマ山本雅基。その彼を取材するために訪れた著者は、目の前にいる男の変わり果てた姿に目を疑う。ドヤ街で有名ホスピスを成功させた男は、今は介護を受ける側になっていた。山谷のマザーテレサと言われた彼の妻はどこに消えた? スピリチュアルテレビタレントを巻き込んだ事件の真相は? 

崇高な思いでケアにすべてを捧げていた夫妻は、NHKドキュメンタリーや映画にも取り上げられ、一躍、時の人となっていく。しかし実態は、夫婦それぞれが弱さを抱えており、あやういバランスの上に成り立っていたものだったのだ。

 

もともと山本氏の究極の理想は、究極は福祉する側と援助される側がファミリーのようになることのようだ。でもそれ程難しいことはないわけで。山本氏には、どんなに失敗を重ねようと、資金を渡し、支え続けた父親がいた。最後、「きぼうのいえ」を追い出されるときも、大切そうに父親の肖像を持ち出していた。家族という無償の愛を、彼は求めすぎてしまったのではないかと思わせられた。

 

一方で、創設者である彼のいなくなった現在の「きぼうのいえ」も含め、山谷の福祉システムは、既存の介護保険や医療保険の枠をはみ出しながらもうまく機能している。「訪問(看護師)は何でもやるの」と言いながら動く訪問看護師たち。山谷という特殊な町に集まったケアワーカーのボランティア精神のなせる技とはいえ、これからの高齢化時代日本が乗り越えなければならないのはこんな不確かな部分なのではないか、と著者は問いかけている。

 

「きぼうのいえ」に暮らす認知症の症状があるおじいさんが「ぼくは、ここにずっとおってええんかな?」と聞く。「ええ、大丈夫ですよ、ここでずっと暮らしていいんですよ」「そうか、そんなら良かった。ここはいいところやもんなぁ」

なんてすてきな会話だろう。

著者は書く。介護される側となった山本さんだが、たぶんずっとこの先も山本さんが山谷から見捨てられることはない。山谷全体が彼らのホーム、マイホームなのだ、と。

家族だからどうとか難しいことは考えるのはよそう。

ファミリーとは、家族の愛とは、ずっとここに暮らしていい、という場をつくること、なのかもしれない。

 

『マイホーム山谷』末並俊司著 小学館