Facebookをやめました | Minahei

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ライター戸塚美奈のブログです。

Facebookをやめて2週間。つつがなく処理が進んでいれば、私のアカウントは無事に削除されているはず(しかし本当に削除されたかどうかは神のみぞ知る…)。

その後、なにか困ったことが起こったかというと、何もなし。マァそもそも最初からほとんど使っていなかったのだから、困ることもないのは当然だけど。「使わないもの」は「いらないもの」と断捨離の世界ではよくいうが、ほんとだった。すっきりした。怖くて開けられなあった押入れをようやく掃除したような気分。

ほんの少しだけ、親近感を持っていた働く母たちのダイアリーが見られないのは寂しい。Tさんのローマだよりも。もうすぐイースターの御馳走をアップしてくれるころ。毎年楽しみにしていたので、あのめくるめくホームパーティーの様子を今年は見られないのがちょっと残念。Facebookじゃなくてブログにしてくれたらいいのになぁ。今となっては一般公開されている著名人のページも、いちいち、Facebookのアカウントを作ってログインしましょう、というでっかい窓が出てきてうっとおしいことこの上ない。Facebookって、ほんとにケチ。「あなたの情報を提供しなきゃ、見せてあげられません」。

こうして長いことアメーバブログで書いているからひいきにして言うワケでもないが、やっぱりそういった面で考えると、日本の企業は腰が低いし信頼できるよね(今のところは)と思う。スノーデン事件のことなどを考えると、Facebookのあのしつこさってちょっと怖い。

 

一応Facebookでやり取りした人にはなんらかの形で個別にご報告したいと思いつつ、お詫びかたがた少しずつ連絡とっている最中。

そうしてあらためてわかったこと。

いちいち電話したり、ハガキ出したりして、まっとうな(?)人対人の付き合いを誰にも監視されずにできることって、じつはとっても、とっても自由で、楽しくて、うれしいことなのだ、ということ。たった3分の電話のやりとりに、どんなに気持ちがハイテンションになることか。

乗っ取りの件で迷惑をかけてしまった親戚とは、ほんとにご無沙汰だったのだが、その事件をきっかけに何度かやり取りをすることになり、「こんなことでもなければお互い電話をすることもなかったし、よかった」と言ってもらって、二人で笑い合うことができた。

 

Facebookは好きにはなれなかったが、悪いものでもないとは思う。私には向いていなかったが、ブログを作っていない人にとっては大切な自己表現ツールになっていると思うし、ローマのTさんなど、多くのイタリアの人たちのように、ごく親しい友だちや親せきとの親密なつきあいの補助手段として使う分には便利で楽しいものになると思う。私も主婦として、母ちゃんとして親密な人とだけFacebookを使っていれば、それなりに楽しくは使えたかもしれない。ライター業編集業のために使おうという下心(?)があったからいけない。あるいは、オフィシャルのものとして限定して使い、プライベートは出さず、ビジネス広報用に使う分なら、それもいいのかもしれない。でも広報と言ったって所詮Facebookというワンダーランド内だけのことなのだから、どうなんだろう? とも思う。お友だちがいいねと広げてくれたとしても、その先、その情報をほんとうに欲しがっている人の元に届くかどうかは、まったくわからないのだし。

 

とにもかくにもそのようなわけでこの春、Facebookを断捨離して、とっても私は気分がいい。

Facebookないからブログは書き続けていこう、とあらためて思えたし、FacebookもLINEもないからゴメンネ、と言って、いつでも電話をしよう、と思えるようになった。

手紙で近況報告しよう。本を作ったお知らせも、ハガキでさせてもらおう。Facebookがないから、なるべく友だちにも会いに行こう。一緒にご飯食べよう。会ったときに、Facebookになんか絶対に書けないような危ない話をいっぱいしよう。

これからKYな突撃おばさんになるから、みんな、迷惑だったら断わってね。

 

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