今朝、テレビをつけたら、朝の民放のにぎやかなニュース番組に、帰国したラグビーの日本代表選手たちが出演してた。
ラグビー、いきなり、たいへんな人気だのう。
新聞を読みながら父ちゃん。
「これじゃ森くんも、大得意になっちゃうなぁ~」
森喜朗さんネ。
国立競技場やらエンブレムやらの騒ぎで、少し静かになってたかと思ったけど。オヤジ、まーた調子こいちゃうじゃないか。
ハァー、なんだかなぁ。
と朝からまた怒り出すアタシ。
文科省の大臣からして、冗談ですか、って感じだし。今の世の中、まったくもってけしからん。思慮深いとは思えない、なにやらやんちゃな方々ばかりが幅を利かせてる。
「まったくもう、なんなんだ、この世の中は! バカばっかり!!!」
朝っぱらから怒鳴り散らすと、父ちゃん、新聞をパラリとめくりながら、
「まあ、そういうなって。バカにはバカの役回りってもんがあるんだよ。オレだって、どっちかって言ったらバカのほうじゃん」
さらっと一言。
「バカにはバカの役回り」ねえ。
なるほど・・・。
父ちゃんは確かに、そうかもしれん・・・・・・・・。
よくもまあ、さほどの教養もないまま(ごめん)、その立場で仕事をこなし、堂々と人前でしゃべったりできるものだといつも思う(そのため彼はめちゃくちゃ準備をするという尊敬に値する努力をしているのだが)。
「だからさ、こういう世の中ってことは、りこうはりこうで、りこうの役目を果たしてないってことなんだよ。りこうはもっと自分たちのやるべきことをやらなきゃならないってことだよ」
そういうと、新聞を畳んで、洗面所に行ってしまった。
「バカにはバカの役回りがある」
「りこうはりこうの役目をもっと果たすべき」
うまいこと言うじゃないか。
父ちゃんは、あまり深く考えもせず言ったのだと思うけど、ワタシはものすごい衝撃を受けとりました。
なるほどねぇ。
しょうもないように見えるけれど、あれはあれで、森さんのやり方なわけだ(それなりの努力もしてなさるのだろう)。
世の中には、自分の信じることを、すぐに大きな声でアピールできる人がいる一方で、
真実がどこにあるのかどこまでも検証し続けて、ほんとうにコレだと思っても小さな声でしか言えない人がいる。
どっちかというと前者は一見「バカ」っぽく見える。後者は、「りこう」に近づきつつあるという自己満足に陥ったまま行動できなくなりがち。
「バカ」と「りこう」は生き方が違うんだぁ。
「バカ」は、人に嘲笑されることを乗り越えなければいけない。
「りこう」は、人に評価されることを期待してはいけない。
ワタシは、「りこう」がいいなと思うクチだけど、勉強が足りないし、「バカ」がちやほやされているのがひどくうらやましかったりもするから、ずっと中ぶらりんだった。
「バカ」として生きるか、「りこう」として生きるか。
どちらでもいいけれど、自分はどちらで生きよう、と、ラクなほうに決めてしまえばいい。
父ちゃんのおかげで、
なんだか、ひとつ、人生の迷いがなくなったぞ。