Nunber誌の、「アルベルト・ザッケローニの人身掌握術」の記事が、すごい。
・細かい指示が的確で具体的、そして、「手が届きそうな課題」を示すのが上手い。
・カタール戦で退場になった吉田選手に対して、まったく叱責しなかった。
・そして、アジアカップで出番のなかった森脇選手にかけた言葉がすごかった。(これを聞き出した記者に拍手)
「オレはちゃんと見てるから。頑張っているところも、たとえさぼったとしても、サッカーもプライベートも、すべて見ているから。だから、自分を信じてやれ」「お前を今回選んだのもオレだ」
この人心掌握術が、今回のアジアカップの成果となって表れたのかどうか、事はそう単純ではないと思うけれど。
でも、この記事は、人を育てるためには何が大切か・・・・・・しみじみ教えてくれました。
「ディシプリン(規律)」が口癖のオシム監督は、厳しく、永遠に追いつくことのできない師、という感じだったけど、
ザック監督は、まるで親のよう、と思ったんです。
細かい指示や手の届きそうな課題を示すことができるのは、相手をしっかり観察しているから。
吉田選手を責めなかったのは、彼自身がもっとも問題点を痛感していたのをわかっていたから。
「監督はよく人を見ている」と細貝選手の言葉もあり。
親っていう漢字は木の上でじっと見ている、と書くんですよね。
『ジュニアサッカーを応援しよう!』20号(5日発売予定)で、取材した『子どもの心のコーチング』の菅原裕子さんのお話が、まさに、そういうことだったなあと。
親は子供をじっと見て、そして、子供の夢を押し上げる。子供が思い描いているよりも先を、親が先取りしてはいけない、って。
つい、子供のことを見もせず、子供に共感することもせず、失敗は子供が反省していることに気づこうともせず叱責し、勝手に子供に夢を託し・・・・・・、ってなりがち。
勝手に夢のような先々のことを語っちゃいけない。
じっと見ていなければならない。
でも、先走らないようにガマンするのが、それが、一番難しい。
アドバイスは、そのことがプロ級でないとできないし、たぶん、そうでなければ「的確で」「手の届きそうな課題」を上手に与えることだってできない。
だから、そうそう、親が子どもに上から目線(?)でものを言えるわけないんだよな。
だけど、
じっと見てやり、共感してやることならできるし。
なんだか、もしかして、親のやることって、それだけでもいいんじゃないか? という気もしてくる。
気付くのちょっと遅すぎですが。