Minahei

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ライター戸塚美奈のブログです。


本日7月8日の沖縄タイムスに、こんな記事が!

 

ハブにかみつかれたままそのハブをブロックでたたいて退治したオバァ、81歳と83歳の姉妹でスナックを経営するオバァ、ブナガヤー(木の精)を見たと言い張るオバァ――
 

2000年に発売された「沖縄オバァ烈伝」(双葉社)。沖縄戦、米軍支配、日本復帰という激動の時代を生き抜いた〝オバァたち”の「超越した生きざま」が受け、沖縄だけで10万部が売れるベストセラーとなった。20年を経ても客から在庫の問い合わせが絶えない人気ぶり。書店からの強い要望で、ことし2月、初版から24年ぶりに文庫本が復刊した。発売直後に県内書店の週間ランキングで1位になるなど異例の売れ行きとなっている。……

 

 

かれこれ、24年も昔に刊行された『沖縄オバァ烈伝』が、復刊して、沖縄の書店で販売されている。

なんと、沖縄の書店さんが、何年も前からリクエストしてくださり、復刊につながったとのこと、

本が売れないとか、本屋さんがなくなるとか、紙の本は悲しげな話題ばかりの昨今、なんと素敵なニュースではないですか。

 

ジュンク堂那覇支店さん。(ライターHさん提供)

 

こちらは、球陽堂書店西原店さん。沖縄に訪れていた編集のIさん撮影。7月某日、Iさんは10時前からオープンの書店で、まさにおばあちゃんが「オバァ」本をお買い求めになるのを目撃したそう。

 

本当にありがとうございます!!!

 

じつはこの本は、24年前、会社にいる時分に担当した本。本を作ったのは編集のIさんで、私は担当としてバックアップしていただけだけれど、短い会社員時代に関わった本の中でも最も印象に残っている本なのだ。Iさんは個性あふれる沖縄のライター陣から送られてくる原稿を紡ぎ、見事な本に編み上げた。

ウチナーグチがちりばめられた愉快なゲラを読む楽しさといったら! 

Iさんに連れられて沖縄に行き、書店さんを回ったことも忘れられない。

那覇での打ち上げで、「沖縄料理好きなんですけど、ナーべラー(へちま)の煮物はどうも苦手で」と言ったら、ライターのTさんが、「俺も苦手ですよ~。オジィの"たん”みたいで~」と言ったことも忘れられない…。

この本の中の大好きな一コマ。


 

 

掲載されている、てんぶーたの三男さんの漫画も最高。

24年前、ああ、私もこんなオバァになりたいなぁ。と思っていた。順調に、年齢と見た目だけは、突き進んでいるな~。

 

 

「沖縄オバァ烈伝」双葉文庫

 

 

 

いろんな人が、今回の都知事選感を書いている。

あまりの結果にガックリきていたけれど、なに、考えてみれば、わかっていたことでもあった。

テレビの言った通りに物事がすすんでいくということは。

 

ユーゴ戦争ではセルビアを悪者にする。ウクライナの紛争では一方的に侵攻したロシアが悪い。

新型コロナが怖い、ワクチンを打ちましょう。テレビで言えば何の疑いもなく打ちに行く。みんなテレビの言う通りに従う。

昨日、くそ暑い中外で草をとっていたら、近所の人が自分のを買うついでに私にもスポーツドリンクを自販機で買ってくれた。行き倒れになりそうに見えたのか。ありがたい。「のどが渇いたな、と思う前に、飲まなきゃだめ、って、テレビで言ってましたよ!」テレビで言うことはたちまち広がる、そしてテレビで言っていることには皆まことに素直にしたがうのだ。

 

選挙運動が始まる前、ちょうど蓮舫さんが出馬する話が出たばかりのとき、親しいおばさま仲間とおしゃべりする機会があった。ちょうど話題は蓮舫さんのことに。私は現職に対抗できるのは蓮舫さんくらいだろうと思い、応援しようと思っていた。

ところが、そのときの反応が、みなさんイマイチだったので驚いた。「あんまり好きじゃない」「え~あの人嫌いなのよね」

「どうしてですか?どうして蓮舫さんのどこがイヤなんですか」と聞くと、「だって、あの人、批判ばっかりしてるじゃない」「言い方もきついものね」「ほら、『2位じゃいけないんですか』とか」。けっして、保守的な人たちではなく、リベラルで知的で常識的で心のあたたかい人たちが。

「どうしてそう思うんですか?」というと、「文春に書いてあったわよ」「テレビで言ってたよね」。

思わず言ってしまった。

「何言っているんですか、批判するのは野党の仕事じゃないですか。それ、きっちり議員の仕事しているっていうことじゃないですか?」

 

かつて、中曽根さんが、野党のことを「倫理、倫理と鈴虫のように鳴いて…」と言ったことを思い出した。批判する社会党をコケにした映像は何度もテレビで流れ、鈴虫発言は流行語となった。そのうち「ねじれ国会」などという言葉ができた。マスコミが作った言葉だ。ねじれて何が悪い。参院で野党が多いのは、けしからぬ法律を作らせないよう慎重に審議するため必要なことではないか。それを「ねじれ」と悪いことのように表現する。そのうち、世の中に、「批判するなら代案を出せ」という風潮が出てきた。

政権を批判する人たちを左翼をもじって「パヨク」と言う。しだいに、批判することをバカにする風潮も出てきた。原発を批判すれば、「反原発」と言う。ワクチンを批判すれば、「反ワクチン」と言う。

 

「批判ばっかり」という非難は、長い時間をかけて、反共勢力が大衆をコントロールするために進めてきたやり口だ。

今ではテレビは絶対に国のやっていることの批判はしない。新聞は「両論併記」を言い訳に、国のやることへの批判はしない。完全に国の広報機関になっている。そしてそれらマスコミで食べている芸能人や文化人が善人ぶって「批判はヤメマショウ」と広報する。糸井重里氏が繰り返し繰り返しやわらかな言い方で、「責めるな」「批判するな」ということをつぶやいて時折炎上しているが、糸井氏はまさにそれを手先としてやっているわけで。「批判するな」は大政翼賛会だと思ったほうがいい。

 

蓮舫さんがなぜダメだったのかを軽薄なニュース記事にしてどんどん流している。蓮舫さんが清潔感はあるけど、親しみを持てない、可愛げがない、だから支持を得られなかったのでは、という記事が朝日新聞に載っていた(「正しさ高潔さより『完璧でない』一面に親近感」)。可愛げがない?そんなもの、美しく華奢な蓮舫さんのビジュアルを利用して、マスコミが巧妙に作り上げたイメージだ。痩せて美しい女性に対して、女性はものすごい嫉妬心を持つ。それをマスコミは利用したのだ。過酷な選挙活動にすぐに汚れてしまうような白い服を纏っていたことさえ、その記事では働く庶民の女性たちの反感をかったと書いてあった。その書き方にぞっとするようなマスコミ側の悪意を感じた。熱い中、白い服を選んで少しでも太陽を避けようとするのは普通のことではないか。もし、蓮舫さんが、太ったおばさんで、鼠色のスーツを着ていたらどうなのだ。今度はマスコミは、怠惰で傲慢な怖い女、というイメージを作り上げるだろう。

 

私自身が見ていたX(ツイッター)での盛り上がりはすごかった。一人街宣をする若い人たちや、小泉今日子さんなど著名な方が蓮舫さん支持を打ち出していて、『日本会議の研究』でブレイクした菅野完さんがツイートでバックアップしていた。でも、結局、X(ツイッター)というものは蛸壺式で、自分が見たいものしか目に入らない。熱狂の渦ように見えていたが、Xをまったく見ない層はそんなこと知ったこっちゃないし、Xには石丸氏の胡散臭い情報しか流れてこなかった。まさか若者からそれほど支持されているとは思わなかった。X(ツイッター)というものは、仲間内に情報を共有するためのもので、拡散するものではないのだということがよくわかった。

選挙後、誰に投票したかを少し聞いて、選挙情報を追っていない人たちが、「好き」「嫌い」「なんとなく」というイメージで票を入れているということもよくわかった。これではいくらでもマスコミの力で選挙をコントロールできてしまうだろう。

 

選挙って、人気投票じゃないですよ。政権に対して突きつけるもので、現政権にイエス、なら現職に、ノーなら、対抗馬に入れて現職を落とす。そうしなければ政権は変わらない。

今の野党は、もうそれができない。野党は共産党とれいわと社民党しかいない。はっきり言って立憲はどっち側かわからない。そこへ政権側が、野党側を分断させようとさまざまなしかけをしてくる。今回の石丸氏しかり。維新や参政党はフェイク野党で、自民党、統一教会、創価学会とばっちりつながりがある人たちだ。

今回、共産党と共闘したから負けた、古い人たちだから負けたなんて言っている人がいるが、今回がんばって盛り上げていたのは往年の左派のおじさんやおばさんだったと思う。地元の蓮舫さんの演説を見に行ったが、平日ということもあったのか、ほとんど共産党としか思えないおじさんおばさん、おじいさんおばあさんがいっぱいいた。8日の朝、近所の都知事選の応援ポスターを、共産党のおじいさんが熱い中、はがしていた。

 

今回の選挙活動を見ていて、蓮舫さんが私利私欲のない、間違いなく信頼できる確かな人物だということがわかった。あの勇気、丹力! これだけマスコミに意地悪されるのは、政権とそのおこぼれをもらうマスコミにとってめちゃくちゃ怖い存在だからだ。負けないでほしい。これからも個人的に応援したい。

 

台所の流しの排水が詰まり気味になった。

時折柄つきブラシでこすってみたりはするのだが、効果がはかばかしくない。臭いがするような危険な感じはないけれど、流れが悪いのがなんとも気持ち悪い。薬屋に行って、パイプのつまりを洗浄する危険そうな洗剤を買ってこなくちゃ、と憂鬱になっていた。(買い物が嫌い)
 

とりあえずネットで調べてみたら、油汚れが原因であることが多いという。排水管にフタをして流しいっぱいに60度のお湯を張り、それを流すことで、排水管につまった油汚れを落とすことが効果的とある。

へぇ。そういえば、お風呂場に小バエが出てきたときも、排水溝に栓をして60度のお湯をため、一気にながして流して掃除をしている(これもネットで知ったこと)。

 

お湯でできるのならと、すぐやってみた。

ネットでは2リットルのペットボトルを利用して、など細々書いてあったが、2リットルペットボトルは今はないし、捨てるつもりのラップやビニール袋などをくるくるとボールのようにまとめ、ひもをつけて、それを栓として排水管につめ、流しいっぱいにお湯をためる。給湯器で60度のお湯を出し、やかんで沸騰させたお湯も足して温度が下がらないように。

そして、ドキドキしながら、ひもを引いて、栓をはずす。

詰まったようになっていたお湯が、少しずつ流れ始めたかと思ったら、途中から急にスピードをあげて流れ出し、最後は鳴門の渦潮のようになり、きゅうううーっ!と音をたてて一気に流れていった。

おお!

 

その一発で流しの排水は、すっかり健全に。びっくりポン! (って昔はやったよね)

築24年の油汚れによる詰まりが、流れていった。

強力な洗剤を買わずにすんで、私はすこぶるごきげん。

お湯はすごい。給湯器もなんてありがたい!

 

そしてふと気づく。

昨日の夜、冷たいアイスコーヒーをガブガブ飲んで急激に腹痛を起こした。しかも寝る前も熱帯夜対策に冷水シャワーで体を冷やして。

考えてみたら、私も、詰まるかも!?
 

毎日暑いけど、今朝は白湯など飲んでみた次第。

夜もお湯をはってつかることとしよう。

 

 

夏の冷蔵庫に欠かせない水出しアイスコーヒー。
ネットで買ったら数を間違え大量購入、
(3袋、4袋パック、ってこういうことだったのか!)
この夏飲み切れるのか!?

 

 

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ハルノ宵子さんの『隆明だもの』が最高におもしろかった。

父上である吉本隆明さんのヒミツあれこれがサラッと書かれていて驚いた。ハルノさんは漫画家だが作品を読んだことはなかった。文章がうますぎる。そして、議論を恐れず来る者拒まずだったといわれる吉本隆明さんを見続けていたからなのだろう、その何者にも媚びない書きっぷりたるや。

ハルノさんはご両親の介護を経て看取られた後、ご自宅を改築して『猫屋台』という店を出して気ままに料理を出したりしているようで(今どうなっているかは知らない)、その改築の様子は「ほぼ日」のサイトで見ることができる。そんなサイトで目にするハルノさんは、まったく飾り気がないが、自身は漫画家であり、かつ、偉大な思想家の父、世界的人気作家の妹というファミリーを持ち、紛れもなく文学界のセレブお嬢なのであり。坂本龍一さんが心細そうにお参りに尋ねてきて原発について尋ねた話や、ボケてしまった吉本隆明さんが「今テレビのニュースで、村上春樹がオレの悪口を言ってやがった」なんて言っていた話まで、一般的な人なら書くのに躊躇するようなエピソードがポンポコ飛び出す。

 

私は大学生のとき、秀才の同級生に「おまえ『共同幻想論』読んでないだろ」とバカにされた。角川文庫のそれを読んでみた。なんか一瞬よくわかったような気がしたけれど、気のせいだろう。日本文化学科だったので、吉本隆明氏の本は読むべきだろうという気がしたけど、読み通せた本は一冊もなかった。私にとっては吉本ばななさんのお父さん、でしかなく、後年、オウムを擁護したとか、反原発に否定的などで話題になったことで、私にとってはますます「?」という人物でしかなかった。でもそのナゾがこの本ですこーしだけ解けたような(それも気のせいかも)。

 

吉本家にはさまざまな党派の人が集まり議論し、隆明さんはだれをも拒まず受け入れたそうだ。けれど、徒党を組む人を決して信頼はしなかった、ということ。子どもの頃赤い羽根募金をしてよいことしたと思っていたハルノさんを、両親は「フフフン」と鼻で笑う。どんなに善いことでも、集団で行った場合、それは「悪いこと」に転じるのだということ。「何か善いことをしているときは、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいいんだぜ」と隆明さんは言っていたそうだ。「同調圧力を振りかざす世間の空気からも、”ひとり“であらねばならない。」「父に刷り込まれたのは、「群れるな。ひとりが一番強い」なのだ。」とハルノさんは書く。(「党派ぎらい」)

 

巻末の吉本ばななさんとの姉妹対談で、吉本ばななさんが、父君のことを、大学で教えたりしなかったことはすごいと思う、と言っていた。だから、自分もその誘惑には負けないようにしている、と。「何かの講師になって定期収入」「理事」「国の仕事とか学校関係とか」「もしや遠回りだけど、これノーベル賞に続く道?」そういうお誘いを全部断っていると。感服した私はばななさんのnoteを購入した。前回書いた橋本治さんも、そういうことはしなかった。

 

だから、隆明氏は書きまくるしかなかったのだと。奥様(ハルノさんとばななさんのお母さま)が料理を放棄してからは料理、娘たちの弁当作りなど家事もして。過酷な状況で書いていた。「自分のやることは25時間目にやってました。私は介護をやるようになってから、25時間目なんてないよ! って思いましたが。」(ハルノさん)といいながら、ハルノさんも、介護をしながら吉本家に次々に訪れる人に料理を作り、その間を縫って漫画やエッセイを書き続けていく。親子にわたっての、書くことへの執念というか、地を這うような底力を感じてしまう。

 

ボケてしまった隆明さんは、娘が共産党のシンパで、お金を共産党に流しているのではないかと妄想してしまう。なぜかいつも妄想上の敵は「共産党」だったそうだ。戦後最大の思想家は、共産党(共産主義者たち)と激しく論争した青春時代に戻っていた。

社会主義的な考え方じたいを否定していたのではない、群れること、徒党を組むことの怖さ、善きことをしているつもりでじつは全く思考をしていない、そんな状態を徹底して危険だと考えていたのだ。

 

集団行動を嫌い、議論をおそれず、権力におもねらず、怖い物知らず。そして徹底して開放的。そんな思想と気風はハルノさんにがっちりと引き継がれる。玄関は鍵をかけず誰でも入り放題。ハルノさんは来る人を受け入れ、絶品料理を出す。勘違いしたストーカーがやってきても落ち着いたもの。何十年もたった一人でノラ猫保護を続けてきたというハルノさん。あちこちから目をつけられても、敵対しない。「敵対関係を作った時点で、こちらも”党派“になってしまう」と。協力してくれた人には御礼を言うのみで会合もない。「だから”共謀罪”なんてヤツも関係ない。」と。

 

アナーキー。というか。いや、超然たるノラ猫魂、というか。

 

昨今の、このなんともいいようのないヤな世の中をどう生きるべきか、おおいなるヒントを、この本からもらった。

 

 

『隆明だもの』ハルノ宵子著 晶文社

 

 

 

橋本治展に行ってきた。4月のこと。

仕事があれこれあったけれど、この日は休み!と決めて、がんばって行った。

神奈川近代文学館というところで開催されていて、元町駅から港の見える丘公園の山を越えていかなければならない。いったいなんで横浜なんだ。横浜っておハイソで、なんか植民地的な街の雰囲気がどうも苦手で。『桃尻娘』の舞台が横浜だったことにちなみ、遺稿など資料が神奈川近代美術館に寄贈されたから、なんだそうだ。西武池袋店とかでやってほしかった。そっちのほうが橋本治らしいと思うのだが、違うか。お客さんだっていっぱい来そうなのに…。

 

橋本治は、私の大学時代のアイドルだった。そうくるか、という縦横無尽な論理展開、たたみかけるような文体でコラムを次々に書いていて、『桃尻娘』よりも、私はそれらのファンだった。明らかに区分としては当時はやりの「サブカルチャー」なのだけれど、古典や歴史に造詣の深い橋本治さんならではの自信にみちた書きっぷり、そこに漂う格調高さ(意味はあまりわからなくても)は他の書き手とは一線を画していて、そこに惹かれていた。なにしろ東大だし。そして、文献引用などで権威的にものを言うのではなく、単なる批判でもなく、作品を読み込むなどして独自にデータ化し、徹底的に分析しているところがおもしろかった。初期のコラム群は繰り返し読んだが、書いた作品そのものというより、若い私は、「こういうものを書きたい!」と、その物書きとしてのやり方に憧れていたのかもしれない。

 

橋本治展に行くついでに、殆ど読んでいなかった晩年の新書など何冊か読んでみた。

 

長いこと体を悪くされていたのは知っていたが……。『いつまでも若いと思うなよ』(新潮新書)を読んで悲しくなった。 バブル崩壊の直前にマンションを買って、原稿料を前借りしてのローン地獄。マンションの管理組合の理事長を引き受け、やっかいな裁判に巻き込まれ、そして病気になってしまう。ローンを返すために、自転車操業さながら、書いて書いて書き続ける。そして、借金を完済してすぐ、亡くなってしまった。

 

病気は免疫系の難病だ。あれほど知性のある人が、病院では医師の指示におとなしく従うのが解せなかった。一時は整形外科と美容整形の区別が付いていなかったと言うし。投薬のせいで病状を悪化させてしまったのではないかと悔しい。

 

橋本治という作家は、バブルという経済的に豊かな背景があったから、もてはやされた面があると思う。『広告批評』などの媒体で活躍されていた。資本主義経済主義の恩恵を受けながら、時流に乗って著作を出し続けていたわけで。そんな中で、91年から『貧乏は正しい!』の連載コラム等では世の中の経済一辺倒の流れに違和感を示す。そもそも、浮かれたような中で、何か芯の通った、どこか「昭和」な気風が、一環して橋本治作品にはあった。実家がサラリーマン家庭ではなかったこと、私立育ちでも推薦でもなく、都立高校から一浪して東大に入ったという経歴が影響しているのではないかと思う。親が学者だったり、付属育ちだったらそうはならない。バブル経済の波にのっているようで、ぜんぜんのっていないのが橋本治さんだった。それでもやはり後期の古典ものなどは、バブルの名残の編集者の道楽として成り立っているように思えた。そしてバブル崩壊でかかえこんでしまった借金。それで自分はもうひたすら書くしかなくなったということを、まるで実験でもしているかのようにおもしろがって書いているけれど。……橋本治さんはバブルのゾンビに殺されてしまったように思えてしかたない。

 

あれだけの作家なら、もっと別にラクにお金を作る方法はあったろうと思う。○○大学の講師でも教授でもなれただろうし、カタログ通販?などのCMで収入を得ることだってできたろうし。今は著名人ならネットやYouTubeでけっこうなかせぎになる。でも、そういうことは一切せず、ただただ、物書きとして書いて書いて書きまくった。江戸の戯作者のように職人的に。

 

『いつまでも若いと思うなよ』の巻頭に、江戸時代の戯作者たちの話が出てくる。「『とんでもなくエネルギッシュなジーさんだな』と思って憧れた」(『いつまでも若いと思うなよ』)

橋本治が卒論にも書いた鶴屋南北は、歌舞伎作者として確立できたのは50歳、そこから75歳で死ぬまで休みなく書き続け、年齢を重ねるほど作品が長大になってくる。

滝沢馬琴は下駄屋の入り婿になったけど文筆業をあきらめられず、「読本」というジャンルを発見して、38歳で戯作者となる。完結まで28年かかる大長編『南総里見八犬伝』の刊行を開始したのは48歳。完結したのは78歳。

老いるほど大作に挑み続ける江戸時代の文豪のように、橋本治自身も、ひたすら長い作品を書き続けた。

そして、原稿料だけで、莫大な借金を返しきった。

 

橋本治が残したものとはなんだろう? 

いろいろあるけれど、ひとつは、

文章を書くことは、手を使ってなにかを作り出すことにほかならない、という思想ではないかと思ったりする。

 

「私にとって仕事というのは、『手でなにかを作り出すこと』なので、パソコンを使ってデータのやり取りをするのが当たり前の時代になっても、原稿用紙を万年筆の文字で埋めるというアナログでアナクロな作業をしている。書き上がった紙の束を見ないと、「仕事をした」という実感が湧かないのだから仕方ない。」(『いつまでも若いと思うなよ』)

 

女性誌のインタビューで、手書きで原稿を書くため(紙というものは実に皮膚を傷つけるものなのだ)、手が絆創膏だらけだった写真を見たことがある。それは、まるで職工の手だった。

 

橋本治展では、『桃尻語訳 枕草子』他の古典モノを書いたとき、手作りの辞書用とするため、京大式カードに書かれた膨大な古語と現代語のカードや『双調 平家物語』執筆のときの壮大な年表など手作りの資料がたくさん展示されていた。それらを見ることができてよかった。積み上がった原稿用紙の束は紙ではなくて墓石のようだった。

 

亡くなる直前の2018年12月、野間文学賞の贈呈式でのスピーチ原稿には、出版社からお祝いの品は何がよいでしょうかと聞かれ、なにもほしいものがない、「もらえるのなら、原稿用紙かな」と助手につぶやいたというエピソードが書かれている。

「真っ新(まっさら)な原稿用紙を五百枚買うと幸福になる人間」で、「その原稿用紙が文字で埋められて終わると」「『ああ、終わった』の一言が幸福をもたらしてくれる」そして、「自分の目の前に原稿用紙が見えたら、成り行きでその上を一歩一歩歩いて行こうと思います。」と。(『追悼総特集橋本治』KAWADE ムック 河出書房新社)

 

作家の名入り原稿用紙ではない。

そのつど束の紙を「買って」新作にとりかかっていたのだ。

 

『そして、みんなバカになった』(河出新書)の中に、「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」を書くために本を読んでいたときに、雑巾を縫いながら読んでいた、と書いてあった。何千ページと読む間、雑巾を5枚縫ったと。

「着古したTシャツは全部、雑巾に仕立て直すんです。その作業が溜まっていて、ああ、いい機会だからと思って。」(『そして、みんなバカになった』)

 

セーターを編む人であることは有名で、それも『完本チャンバラ時代劇講座』を書くために編み物をしながらビデオを観たからというのは知っていたけど、編みながら本も読むとは。まして本を読みながら縫い物をするとは……。凡人にはできない技である(ただし、小林秀雄を読みながらは無理と書いてあった)。評論家や学者などは写真記憶方式というかぱっと見て速読する能力が高い人が多い。橋本治さんはそれをしなかった。すべての文字を丹念に読んでいたのだ。

それにしてもいったいどんな雑巾を?とかなり気になっていた。

 

橋本治展には、その手作りの雑巾が2点、展示されていた。

それは、たしかにTシャツ生地に見えた。

刺し子模様を施した、手の込んだ雑巾だった。

 

野間文学賞のスピーチ原稿には、「次に書く小説のタイトルは『正義の旗』です」とあった。

どんな小説だったんだろう?

展示されていた刺し子の雑巾が、橋本治の「正義の旗」に思えて、なんだか頭から離れない。

 

 

 

※『帰ってきた橋本治展』は一昨日で終了したようです。もっと早く書けばよかった、スミマセン。