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Minahei

ライター戸塚美奈のブログです。

編み物はできたらどんなにいいかと思っているけど、なかなかできないことのひとつ。

高校生のとき、陸上部の長身のクラスメート(女子校)が休み時間に熱心に編み物をしているのを見て意外性に驚いた。編み物仕上がったことがない、どうしたら編み上げられるのかと聞くと、「思いきって高い毛糸を買うこと!」と即答してくれた。

いまだに高い毛糸を買ったことがない私は、アクリルたわししか編みあげたことがない……。

 

『編むことの力』は、イタリア人出身の経済学者が書いた本。「ひび割れた世界のなかで、私たちの生をつなぎあわせる」というサブタイトルに惹きつけられて読んでみた。どういういきさつかは不明だが、夫の失敗でお金を失い、離婚、途方に暮れる中で、著者は祖母から習った編み物と、編み物にまつわる物語を思い出す。編み物に関わる歴史と世界で出会ったユニークな編み手たちのストーリーを記していく。

 

フランス革命中、ギロチンの間際に陣取り赤い帽子を編んで稼いでいた女たちの話。暗号を編み込んだスパイの話・・・。戦争中に編まれた軍隊靴下がつないだ愛の話。私は子ども時代に読んだ、南北戦争時代が舞台だった『若草物語』でジョーが編みかけの軍隊靴下を振り回したくだりを思い出した。

 

後半は、編み物の巨大なポットカバーで戦車を覆うとか、メッセージ性のあるモチーフを編むなどの社会運動も紹介されている。

この本においては、編み物が編む人にとってのメンタルに効くことはもちろん、それより一歩進めて、孤立して家にいる女が編むことで経済力を確立した、編み物で人々がつながり、さらに編み物は社会に異議申し立てをする力にもなる、というメッセージになっている。だからこそ、「編むことは力」とことさら強調されたタイトルとなっている。

面白いエピソードが多く興味深く楽しく読めたが、やや力みすぎ? 欧米風のとらえ方だなぁ~とも思えた。

不思議に思ったのは、縫うこと、織ることと違い、「編む」ことは貧しい階級のものがすることとして扱われていること。そうなのか? 

この本には日本の事情については何も出てこない。

ネットで調べてみたら、日本では最初のニット製品を身に着けたのは黄門様の水戸光圀だそう。シルクを編んだものだそうだ。江戸時代後期には、編み物はもっぱら下級武士が行っていたらしい。軍手や軍足を内職で編んでいたという。そもそも、日本では、「編む」といえば、日本では漁師の網で、これも漁師の仕事であり、日本では「編む」ことは決して貧困層やハウスワイフの仕事ではなかったのではと思うのだがどうなんでしょう?

 

『編むことは力  ひび割れた世界のなかで、私たちの生をつなぎあわせる』ロレッタ・ナポリオー二 佐久間裕美子訳 岩波書店

北海道、道東で、次々と牛を襲ったヒグマを追ったNHKの取材班によるノンフィクション。NHKスペシャルは見逃したけれど、この本を読むだけで、熊を追う人びとそれぞれの表情が映像で浮かんでくる。

 

OSO18と名付けられた、凶暴な熊の正体は、取材班が汚物に突っ込み執念で探しだし、手にいれた当該熊の骨を鑑別した結果、明らかになる。小熊のころから肉の味を覚えてしまい、どんぐりなどの植物を食べることはせず、肉を求めて次々に牛を襲っていたのだ。結局はまだ若いうちに、ケガ、飢えで動けなくなり、ヨタヨタと人目につくところに出て最後は熊を撃ったこともないハンターにあっけなく屠られてしまう。

 

警戒心が強く、頭がよく、罠もかんたんに見抜いてしまうOSO18が、最期にはなぜ? 

OSO18はあっさり解体業者に渡され、ジビエ料理屋に売られたというのだから、返す返すも残念。

 

北大の先生は、骨から解析したデータを見て、これだけ肉食に偏りすぎていたら身体に悪影響が出てもおかしくない、と指摘している。それ以上のことは書かれていない。

確かに木の実や果物などを食べず、肉ばかり食べていたら、体に悪かろう。疲れやすいだろう。人間と同じだ。炎症もひどくなり、傷もなおりにくかろう、と想像してしまう。腸内細菌も通常の熊とは変わってしまい、野生動物が常在菌として持っているような、毒性のある菌に対する耐性も低くなっていた可能性があると思う。

 

人間もそんなふうに食性を変えてきたのだろうなぁと思ってしまう。木の実や果物をとって暮らしていたのに、肉の味を覚え、肉を求めて大移動を始める。頭はよくなったが、凶暴になり、必要以上の殺戮をするようになる。お腹がすいても、もう木の実を穫って食べるような生活には戻れない……。

 

OSO18。なんというか、いろいろな教訓がつまった昔話のような話ではないか。

 

昨日の午前中、三菱UFJ銀行から電話きた。

 

「調布市にお住まいの皆様に特別のご案内となります。特別価格でのシャシャイのおすすめがあります。ソニーのシャシャイになります。ソニーが○○市に今度工場をつくるために、市内の方に特別にご案内するものとなります。」

何のこと言っているのかさっぱりわからない。

銀行から電話なら、通帳を作って契約している者の名前の者であるかの確認が先ではないの? 

「…………」

「今回は調布市にお住まいの方に特別のご案内となります。(……以下同文)」

「は? シャシャイって何ですか、社債? ウチは投資は一切しません」

「投資などのご予定はないということですね、それなら、ご迷惑は一切おかけいたしません、こちらで社債を買わせていただくということでよろしいでしょうか?」

「は? どういうことですか?」

「ですから、先ほど申し上げたように、今回は○○市にお住まいの方に特別の(以下同文)」

「調布市の人全員に案内してるんですか?」

「そういうわけではございません」

「じゃどういう人に案内しているんですか?」

「えっと……こちらは名簿をもらっているだけで…」

「名簿? 何の名簿なんですか?」

「えっと……ソニーからのものでして……以前ソニー製品をお買い求めになったとか、そのようなことはありませんでしょうか」

「は? ソニーの商品、何十年も買っていませんけど」

「いや、何かお買いになっているハズです……」

なんで今どきソニー…?

「よく意味がわからないんですけど」

「ですから、先ほど申し上げたように、とくに社債を購入しないということであれば、その確認だけとらせていただければ、お宅様にはご迷惑は一切かかりませんのでこちらで購入させていただいて……」

「全くおっしゃってる意味がわからないんですけど、それって…市内の人に特別に提供されている権利をゆずってくれ、ということなんですか?」

「はい、そういうことになりますね」

「譲る、ってどういうことですか? どうやって譲るんですか?」

「ですから、今回は、確認だけとらせていただきたいというお電話になります」

「お電話で確認なんかできるんですか。電話で何を確認するんですか?」

「ですから、今回は…」

「あの、意味がよくわからないので……。それでは主人と相談してお電話折り返しますので連絡先を教えて下さい」

「えっと、そういうことでしたら……そのように、よろしく、お願いします。プツッ、ツーツー(切れた)」

 

電話切ってからネットで調べたら、よくある手口で、その後別の電話がかかってきて、個人情報を聞き出し、さらに手続きに不手際があったとかでお金を送付させたりする詐欺。

 

おかしいなとは最初からわかっていたのに、だんだんイライラしてくる相手に興味が出てしまい、うっかりいつまでも話していた自分がバカと思いました。反省。

と思っていたら、外を詐欺防止のパトロールカーが回ってアナウンスする声が聞こえた。

「ご自宅にかかってくるお電話で、お金に関する話が出たらご注意ください。詐欺の場合があります。」

 

ご自宅にかかってくるお電話、実家からの電話以外は全部サギーっ!!! (固定電話意味な…)

 

 

豆苗の食べ残した根元から、つるがどんどん伸びて花が咲く、と聞いたので、やってみたところ、

ほんとに紫色の花が咲いて、絹さやが成り始めた。

いろいろ忙しいから、もう畑ごっこはやめ! と思ったのに、またあれこれ始めてしまったこの春。

キュウリにトマトにいんげんに、いろいろ植え付けてしまった。

「なんかまた盛り上がってるじゃない」近所のおじさんが庭を覗いてあきれていた。

今度こそしっかりお世話するぞ!

私もいわゆる「アラ還」、「お年」だからなのかもしれないが、植物が1日1日と育っていく様子を見ること、それだけで、うれしくて楽しくてしょうがない。

 

今日の新聞に、谷川俊太郎さんが福岡市の高齢者介護施設「よりあい」に贈った詩が掲載されていた(谷川俊太郎「よりあい」で笑い合った2025年5月11日朝日新聞)。

その詩の最後の4行を。

 

よろこびにはなんの

りゆうもなく

あすはちかくてとおい

いきるだけさ しぬまでは

 

 

 

 

『君は君の人生の主役になれ』(鳥羽和久著・筑摩書房)という本がとても読み応えがあった。

著者は実際に教育現場で多くの親子に接してきた人で、説得力がある。中学高校生向けの本だけれど、元親の私が読んでも得るものが多かった。

中でも、本人の主体性を大切にしたいから、本人に嫌なことはやらせない。そのようにして子どもが育てられてきて、苦労している子どもたちが多くいる、「世間を代弁しない親というのは、社会の現実を見せないという意味で子どもに残酷な仕打ちをしている」という部分には目から鱗で納得したし、私自身、進学の時に親として息子たちに無理をさせたような何か引っ掛かりがあったのだが、それは決して悪いことではなかったのだ、とも思うことができて、救われた。(それが著者の意図にあった理解なのかはわからないけど)。

 

「ワンチャン」という若者言葉についての説も面白い。「誰でもがんばれば成果が出る」という大人の価値観を揺さぶる言葉として書いていて、若者にとっては希望の言葉なのだろうと否定はしないが、「ワンチャンのマズいところは、デフォルトでガチャ的発想を含んでしまっている」と警告する。

「ガチャの中身があるって誰が決めたんですか? アタリが一つも入ってなかったらあなたはどうしますか?」って。

「でも残念ながら親にアタリはないんですよ。」

 

 

帯の人がなんか朝ドラ「あんぱん」の人に似てる様な気がする

 

「ワンチャン」については、https://diamond.jp/articles/-/320760 ネット記事にも載っているので興味のある方はこちらをどうぞ。