\ママつくるのうまいね〜〜
/
と、5歳の息子が
褒めてくれた手作りの餃子です
(全くたいしたこと無いという自覚ありますよ)
なにせ
この言葉が繰り広げられたのは……
彼が私に怒られた直後の話だったから
です
まったくもう
公園から帰ってきまして
息子がちゃちゃっとしか手を洗わず
爪にいっぱい砂利も詰まっていまるし
手も泥で
所々汚れてしまっているのにも関わらず
その手でそのまま餃子を
つまみ食いしようとしたではありませんか
\ママが一生懸命つくった餃子を
手を洗わずに食べてほしくないぞ/
と怒られると、しぶしぶ洗面所に向かい
戻ってきて出たのが……
ママつくるのうまいね〜〜
と、この言葉。。。
\そういう’よいしょ’とか
いらないから。/
と、私はつい返したのですが
(でも、待てよ
もしかして’よいしょ’はできた方が
生きやすいのか……)
↑余った餃子の皮で作ったおやつ
*皮を茹でてきな粉と黒蜜をかけただけスイーツ
そんなちょっとした会話で
私は思い悩んでしまいまして
かくいう私が’よいしょ’が大の不得意でして
まあ社会人として上手く立ち回れないです
仮に私が何かを褒めたり
ポジティブな発言する時は
必ず正直な気持ちなんですね
よいしょはめっぽうできない人間です
なんとか脇道を探して歩んできました
それゆえに、
生きづらさを感じることも多い訳です
会社はもちろん社会人として生きていく上では
よいしょのひとつやふたつ言えないと
まあ生きづらい
でも、できないんですよね
上手くできないし、大抵失敗する。
仮によいしょをして得るものがあっても
心から喜べないし、、、
だったら苦手は潔く受け止めて
そうじゃない道で生きていこう
早々と諦めて生きています
と、堂々ということでは決して無いですが
もし、息子が’よいしょ’を極めれば
私の様に生きづらさを感じなくて
済むのかもしれない
けれど、そうやって小手先で
どうにかしようとする人間には
なってほしくない
とあれこれ考えていたら、
あっという間に
餃子と餃子の皮おやつを
ぜーーんぶたいらげてくれて
まあいっか。
勝手に自分で生きておくれ
と、結局嬉しいきもちになりました
してやられましたね
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