2024 稚内1 旭川から日本海側を走って稚内へ | 西ドイツから Gute Pad !

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あっちこっちの旅の話を中心に、
ドイツ語知識がまったく無い状態で始めたドイツ生活のあれこれ、
異文化エピソードなど気にかかったことを書いています。

自分好みの考え方だったり、うろ覚え情報だったりするのは
あしからず('-^*)/

旭川までは、昨年訪問したところと同じ場所も多く、復習のような感じだったので下調べも楽でした。

 

最初に北海道に行く話になった時に、電車で稚内まで行くことを考えたんですが、相方君がレンタカーを借りて走りたいという話から、車でも稚内まで行けるのかも・・・と調べてみたんです。前回の日程では稚内まで走るには短かったので、今回、北海道滞在を少し余裕のある旅程で組むことにしました。

 

北海道に行くなら「日本最北端の宗谷岬に行ってみたい!」と、思いませんか?指差し

 

前回は留萌から旭川を目指しましたが、今回は旭川から留萌へと出て、日本海オロロンラインを北へと向かいます。途中の休憩は道の駅で2回することに。

 

まずは最初の道の駅「おびら鰊番屋」。

 

松浦武四郎翁の像

 

松浦武四郎翁とは・・・

” 第一回から第三回までは一個人として、第四回から第六回までは幕府のお雇役人として蝦夷地を調査。武四郎は明治新政府から蝦夷地開拓御用掛の仕事として蝦夷地に代わる名称を考えるよう依頼されました。武四郎は「道名選定上申書」を提出し、その六つの候補の中から「北加伊道」が取り上げられます。
 

「加伊」は、アイヌの人々がお互いを呼び合う「カイノー」が由来で、「人間」という意味です。「北加伊道」は「北の大地に住む人の国」という意味であり、武四郎のアイヌ民族の人々への気持ちを込めた名称でした。明治新政府は「加伊」を「海」に改め、現在の「北海道」としました。”(松浦武四郎記念館より参照)

 

ここの駐車場が海沿いにあり、広々としていてドライブ中の休憩に少し歩くのにもいい感じでした。

 

「にしん街道」と呼ばれているらしいです。

 

重要文化財「旧花田家番屋」

日本最北端の国指定重要文化財。平成13年には北海道遺産にも認定されています。 明治38年頃に建築され、道内で現存する番屋では最大の規模を有し、当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家だったそうです。

 

館内に入ってみるとご当地キャラの看板が。

 

レストランへ行って昼食にすることに。左手の男性陣が立っているところにメニューが張ってあり、チケットを買うシステムでした。

 

海鮮丼にしようかという相方君に、やはりここは鰊を食べた方が・・・ということで鰊丼(数の子付き)と私は鰊蕎麦を。関西で食べることが多いせいか、こっちはお汁が黒いよねと思ってしまいます。

 

その後の休憩は、道の駅「てしお」。所在地が北海道天塩郡天塩町とのことで、ああ、こんな漢字なのかと納得。

 

お土産屋さんもあって

 

反対側にはお食事コーナー。

相方君はこちらでソフトクリームを食べたいと。私は自販機のカップコーヒーで満足。

 

この道の駅を出てから少々眠くなり、うつらうつらしていたら相方君が、ちょうど鹿が通り過ぎたところだった!(道の端にお尻が見えたぐらい)と、言うので目が覚めました。鹿を見たかったわ泣き笑い

 

16時過ぎに稚内での宿に到着。稚内の中心地よりまだ北に位置します。

 

ペンション亜留芽利亜(アルメリア)

 

 

部屋は2階の角部屋で、入り口ドアの横にぎりぎりスーツケースを広げられるぐらいのスペースがあるぐらいで、それ程広くは無かったです。

 

部屋のお風呂とは別に館内にブラックシリカを入れたお風呂があるので1日目は部屋のお風呂でシャワーですませ、2日目に館内のお風呂を使いました。2名ずつなので1人で使えるかと思ったら、韓国人の同世代ぐらいの方が入って来たので、少し日本語でお喋りしながら入浴しました。

 

なんで韓国人と分かったかというと、彼女が隣の部屋で、ご主人と韓国語で話している声が聞こえたからなんです。親戚が日本にいらっしゃって、毎年旅行に来ているのだとか。優しそうなご夫妻でした。

 

ベランダからの夕日がとてもきれいでした。

 

お食事も豪華で、海の幸がいっぱい。

 

蛸のしゃぶしゃぶが稚内辺りの名物なのだとか。関西だと明石、実家の近辺だと下津井が蛸で有名なんですが、北海道でも蛸が獲れるんだと新たな知識が増えました。知らんぷり

少し硬かったので、しゃぶしゃぶで火の通しすぎだったかもしれないですね。

 

 

 

 


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