今月の日経「私の履歴書」は慶応大学名誉教授の米沢富美子さんである。この「私の履歴書」やはり日経だけあって大企業の経営トップが登場することが圧倒的に多い。その他は、学者、文化人、スポーツマンといったところであるが、正直言って学者の「私の履歴書」はつまらないことが多い。
今月登場の米沢富美子さんは物理の先生ということで、第一回目は余り期待せずおそるおそる見たが、とても面白かった。ひょっとして、これは期待できるかもと思ったら、その後も実に面白い。なんというか、米沢さんがあれこれ迷うことなくもの凄い決断力でスパーンと進む道を次々と決め、その道をひたすら突っ走る。実に痛快である。女性であるがゆえのハンデはあるはずだが、ハンデをものともせずに、乗り越えてゆく。まさに、「出る杭は打たれる」が「出すぎた杭は打たれない」を絵に描いたような人だ。
結婚した後、ご主人が途轍もない人と結婚したと思っただろうというエピソードは凄い。京都大学のサークル「エスペラント部」で知り合ったご主人は卒業後山一証券に入社していたが、結婚2年目にロンドンに単身赴任することになった。当時、京都大学大学院理学部の修士課程1年に在学中だった米沢さんは、「そちらの大学で勉強させてほしい。奨学金を貰えればうれしい」という手紙をかたっぱしから30ものイギリスの大学の学長に送りつけた。すると、英キール大学から奨学金付きで受け入れるというオファーが寄せられたため、すぐさま渡英し、キール大学で猛勉強。週末はロンドンの夫を訪れるという生活を送るのだ。それも、海外旅行の自由化以前の1963年のこと。
現在、この米沢さんの「私の履歴書」は折り返しをすぎたあたりであるが、この後、出産を経て、夫のニューヨーク転勤に伴って今度は渡米しアメリカの大学の客員研究員となり、日本へ帰国後、京都大学助教授から慶応大学理工学部教授へ就任するはずだ。まさにじっとする間もない。しかも、仕事と、家事と子育てを両立させながらである。このあたりを米沢さんがどのように乗り切っていくのか楽しみである。
さらに、ガンにむしばまれた16年前の夫の夭逝。米沢さん自身の二度の乳ガンの手術と最後まで波瀾万丈の予感である。恐らく我々の期待を裏切ることなく米沢さんは最後まで面白い「私の履歴書」を読ませてくれるだろう。