今朝のラジオ生放送が終わりまして
慌ただしく関西空港へ。

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バンコクに商用で行ってきます。


僕はいろいろ理由があって
機内食は食べないので
搭乗前に腹ごしらえ。

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バンコクでは、
レストランでのお酒の持ち込みは
チャージを取らないので
免税店で買って行きます。


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では、行ってきます。

この前、甲府の大雪閉じ込められから
帰ってきたばかりなのに


明日からバンコクのジュエリーフェアにいってきます。



やらなければならない仕事に、
明日の朝の2時間ラジオ生放送の準備に
バンコク行きの準備に。




これが年末なら
今年の一文字に


「準備」と書きたいくらい。


あれっ、一文字じゃないし(笑)


今回は、昨年に買った
モノクロを撮るにその筋から評価の高い
RICOHのGRを久しぶりに持っていこう。



バンコクを
モノクロで撮ってやるね。
深みがアプリ加工とは違うんだ。
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バンコクでは、
黒田アーサーさんと待ち合わせ。
二人とも成田からと関空からの夜便で
合流です。




社員からも
たくさん仕事を仰せつかって(笑)



もう、
明日の朝からの段取りが
何が何やらわからない感じです。



またバンコクのストで帰られなくて
ラジオ番組に穴をあけたら
どうしょうか(笑)




くたびれました。


寝ます!

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山梨の軟禁生活から帰ると
何やら忙殺されるは、ワインを飲み過ぎるは、でブログもおろそかになりましたな。


数人は期待されておられる方もいるようで、その方達にはお詫び申し上げます。



山梨では、特に嬉しいことがありました。


3年半前に私は大好きな先輩社長を
亡くしました。



その方は宝飾業界でも個性的な、
しかし誰もが認める大先輩でいらっしゃいました。


年回りはちょうど私と干支が同じの一回り上。


甲府で語り合い

東京で笑いあい

イタリアで教えていただき

バンコクで将来の意見交換をしました。



いま吸ってるタバコの葉っぱも
イタリアで彼が吸っていたパイプと
同じ葉を探して愛用しているくらいです。あの甘い匂いがたまらなく好きでした。




年によっては国内より
海外で落ち合っていることの方が
多かったようにも思います。



ビジネスの目の付け所が
違っておられました。



周りはみんな国内業界の
習慣や営業スタイルを重ねて行くのに、あの社長はそれでは自らが創業した会社が人よりも大きくなることはできないことをいち早く知っておられました。


どんどんユニークなビジネスモデルを
確立して、私もいつもは会えない彼の顔写真を切り抜いて彼の名刺に貼っていたくらいです。


しかし
無情にも、本当に無情にも
癌が彼の人生にいきなり出口を突きつけたのです。その時57歳。


その数年後にあまりにも
早く逝ってしまいました。



昨年、そのご子息であり二代目の社長が、わざわざ私を訪ねてくださいました。福山まで。


このところ私が甲府に行くのをサボっておりまして、わざわざお出でくださったのです。


相当に酔っ払った勢いで
ひとつご無理をお願いしました。


「お父さんの形見で、お使いにならないものがありましたら、どうかひとつ私に譲ってくださいませんか」



すっかりとそのことを失念しておりました。



この度、甲府にお邪魔したら
そのことをちゃんと覚えてくださって


はい、
どうかよかったら、

と私の目の前に差し出されたのは、


どれもこれもがあの社長らしいものばかりでした。




彼が大好きだったVANのマフラー。


ヴィトンのカードケース。


オリジナルで作られた
山梨のぶどうをモチーフにした
ピンクサファイア入りのシルバーの
ボールペン


そして、
半月をイメージした
ダイアモンドのピンブローチ


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目の前に
あの社長が笑いながら
ヒゲ顔で笑ってるようです。



どれにしようか
迷いました。


本当に迷いました。
いつも一緒に持っていられるものが
いいかなぁ

とか思っていましたら


その二代目の社長が


「どうか、よろしかったら全部お持ちください。先代がきっと喜ぶと思います」


と言ってくださって
そのすべてを持ち帰ることが
出来ました。


本当に感激でした。



帰りにお墓に寄らせてもらい
お礼とご挨拶をさせていただき



本日、
創業100周年の商工会議所表彰式にも
そのピンブローチを着けて臨みました。


一緒に
見ていて欲しかったからです。



本当にありがとうございました。

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いま、名古屋駅を新幹線は嬉々として飛び出した。私を早く福山に届けようとしているかのようだ。


甲府に入ったのは2月12日の水曜日の夜。


仕事を済ませて14日のバレンタインの金曜日に、福山に待ち構える多くのチョコレート娘たちにチョコレートを乗せる軽トラックを仕立てて凱旋するつもりであった。




しかし、仕事の流れが遅れてしまい帰り損ねた。それが悲劇の始まりであった。



14日金曜日は朝からしんしんと雪が降り積もる。誠に嫌な予感はしたが、まぁそれでも道路の凍結が心配なくらいだ。


14日の金曜日の朝からの雪は、
しんしんと。
ひたすら、しんしんと降り積もる。


わざわざ私に会いに来てくれた、
笛吹市の中学二年生の可愛らしい娘さんだけが、当日のチョコレートになるとは誰が予想しただろうか。




ここには、書ききれない
多くの人たちの心配と配慮と
そして祈りが見えない力となって
私を守ってくださった。


人はこうやって
見えない力に守られて
無邪気に過ごしていられるのだと
神様が与えたもう一週間だった。




ホテル宿泊が長期化し、
いささか経費が心配になったので
手頃なホテルに変えようかと思って
イライラしていたら


甲府の街のホテルは
自宅に帰られぬ立ち尽くす人たちによってすべて、あっという間に埋められていた。


私はホテルを変更できないことに
いささかの不満を持っていたが、


その後、同じホテルのロビーは、
吐き出された帰宅難民者のために
毛布を支給され、身を縮めた人たちで
いっぱいになったと知った。




私は恵まれていた。
ホテルを変えるためにチェックアウトしていたら、自分を呪っていたことだろう。


人間は、すべてが自分の許容範囲
を越えれば、途端に不安や怒りや
威嚇や恐怖に陥るようになる。



いや、
自分で自分を
そう育ててきたのだ。


「人間の思った通りに
なるもんじゃないからね。

私も明日はどうなるかわからない。

朝、目が覚めると
ああ今日も起きられる、

そう毎朝思って生きているんだぁよ」



山梨で今回、災害のお陰で再会できた
昔の業界の先輩は、二度の脳梗塞で負ったダメージを自分のものとして
言い放った。



67歳になる彼は今回、
僕に会うために不自由なハンドルさばきで


しかも、ノーマルタイヤで


雪と凍結の道を
飛んできてくれた。


30分でいいから
会いたいんだと。


もう、
生まれて初めての大雪と


皆さんの温かい気持ちが


気をつけないと
マヒするくらいに
本当にお腹いっぱいの愛を
反対にもらって帰っている始末だ。




何人もの山梨の人に


「こんで山梨を懲りずに、

こんで山梨を嫌いにならずに


また、


どうかまた、


近いうちに来てください」



心からそう言われた。


毎晩のように食事に招いてくださった
社長夫妻。
ありがとうございました。
彼の亡くなったお父さんからずっとお世話になりっぱなしだ。




山梨最後の夜は、


そのような気持ちから


僕がとても大好きな地元の
社長夫妻から石和温泉最高級の
宿と最高級の部屋でもてなしを
受けてしまった。
本当に大変な時にありがとうございました。




一週間過ごしてお世話してくださった
皆さんの総意が目の前にある。




山梨を立つ直前に
その露天風呂から雪化粧を眺めていた。



大きな屋根から考えられないほどの
溶けた雪のかたまりが落ちてるくる。


大音響が
私の中に春の確信させる。



大変だった、なんてとんでもない。


自分たちこそ大変なくせに



なんで僕をそんなに
優しく扱うんだ。
僕が仕事を出してるわけでもないのに。



笑いながら
目の前の雪を投げつけてやろうかと
思った。


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その露天風呂@石和温泉



一週間の「甲府雪まつりツアー」も
エンディングに近づいて参りました。


水曜日の夜に東京から甲府に入り、
なんとなんと長いツアーでありました。


自然の前には人間は、
なすすべがありません。

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土曜、日曜はパニックにこの山梨が陥っているのに、国の中枢はまだその異常事態に本当の意味では気づいていないのでした。



いや、土曜、日曜は休みだったので、
始動は月曜からとでも思ったのでしょうか。役所ですから。



陸路、鉄道が途絶えたこの甲州に物資が自衛隊のヘリコプターが入ったのは、月曜日でした。

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その間、どれだけの人が気遣ってくださったことでしょうか。



命懸けで凍りついた雪道を送り迎えしながら食事の空いているところを見つけてご馳走してくださったことか。

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だんだんと口数が少なくなってくる毎日の中で、どれだけのFacebook仲間に笑いで支えられたことか。



どれだけのTwitterで数少ない情報をさがしたことか。



どれだけ、どんだけ笑いながらも電話やメールをくだすった人に励まされたことか。



少しして出歩けるようになった甲府は、さながら北朝鮮のように外界から隔絶されておりましたが、妙な鎖国感が連帯意識を感じるのです。



おじさんはタリーズで本を読みながらヒマで寝てました。僕もヒマでした。

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でも、何人の仲間に出会ったろう。
昔からお世話になってる人たち。




久しぶりに会う人たち。


Facebookでしか会話してなかった
初めて会う人。



その数はゆうに両手を凌いでいました。




もし、僕がこの直後に急死したとしたら、 この世のお別れに来たのではないか、というくらいにたくさんの人に会いました。




だから僕は寂しいどころか、



嬉しさでいつもお腹いっぱいでした。


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ありがとう。
ありがとう。



あした、もうひと踏ん張りで
新幹線沿いまで出ます。



今日は、この一週間の難民生活の最後を締めくくるかのような大団円の宴会です。



最高のひと時でした。



まだまだ、街が元に帰るにはひと月以上かかるでしょう。




今回の大雪で
ハウスの果物のほとんどがやられました。取り返しがつかないくらいです。



お年寄りだけの家の雪かきは、どうなるんでしょうか。家から出られないと思います。



カーポートがつぶれて、壊れた車。


経済活動が停滞してしまう山梨。



法外な放映権料を支払ったからにはと、目をつむってスポー番組を垂れ流すマスコミ。



山梨の誰がそんな国際スポーツにいま興味があるだろうか。必要なのは、今日を生きるための情報なのに。



考えさせられた
「甲府雪まつりツアー」でした。



本当に現地でお世話になった方々。
遠くから心配してくれたみんな。


本当に僕は幸せものでした。


ありがとう。

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