みんなが考える
どうして私が生きているのだろうか。
どうして私は生かされているのだろうか、と。
みんなが考える
私に出来ることはなんだろうか、と。
自分にできることと
やりたいことをやればいい。
自分の気の済むことをやればいい。
でも、
どうしていいのか
何をしたらいいのかわからない時は
祈ろう。
祈りとは純粋な想いの結晶が
現実に変わっていく。
そこに「うたがい」という不純物が
ほんの一滴入っただけでその
祈りは想いを果たさなくなる。
うたがいと言う自我と
反対側に位置するのが祈りだ。
そしてその祈りは
相手にエネルギーを遠く離れてても
確実に何らかの現象となって届く。
そしてその祈りは
私自身のエネルギーとなって
確実に生きる喜びを与えられる。
怖れも哀しみも
あきらめも不安も
喜びも怒りも
祈りには入る余地がない。
ただ、
純粋な想いの結晶の時間であるだけだ。
彼らの分まで
一生懸命に生きていこう。
今朝のラジオ生放送でかけさせてもらった小室等の歌がしみじみ哀しくも
聞こえたけども、生きていかねばならない。
雨が空から降れば
思い出は地面にしみ込む
雨が空から降れば
思い出はしとしとにじむ
黒いこうもり傘をさして
街を歩けば
あの街は雨の中
この街も雨の中
電信柱もポストも
故郷も雨の中
しょうがない
雨の日はしょうがない
しょうがない
雨の日はしょうがない
(小室等)





