みんなが考える

どうして私が生きているのだろうか。
どうして私は生かされているのだろうか、と。




みんなが考える

私に出来ることはなんだろうか、と。




自分にできることと
やりたいことをやればいい。


自分の気の済むことをやればいい。




でも、
どうしていいのか
何をしたらいいのかわからない時は



祈ろう。


祈りとは純粋な想いの結晶が
現実に変わっていく。




そこに「うたがい」という不純物が
ほんの一滴入っただけでその
祈りは想いを果たさなくなる。


うたがいと言う自我と
反対側に位置するのが祈りだ。




そしてその祈りは
相手にエネルギーを遠く離れてても
確実に何らかの現象となって届く。



そしてその祈りは
私自身のエネルギーとなって
確実に生きる喜びを与えられる。



怖れも哀しみも
あきらめも不安も
喜びも怒りも


祈りには入る余地がない。


ただ、
純粋な想いの結晶の時間であるだけだ。




彼らの分まで
一生懸命に生きていこう。





今朝のラジオ生放送でかけさせてもらった小室等の歌がしみじみ哀しくも
聞こえたけども、生きていかねばならない。




雨が空から降れば

思い出は地面にしみ込む

雨が空から降れば

思い出はしとしとにじむ

黒いこうもり傘をさして

街を歩けば

あの街は雨の中

この街も雨の中

電信柱もポストも

故郷も雨の中



しょうがない

雨の日はしょうがない

しょうがない

雨の日はしょうがない

(小室等)

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昨日の夜は
最近ヨーロッパに初めて行った
僕のアホの親友のスライドショー上映会に呼ばれて行った。

カメラマン同行で2000枚(!)の
写真を撮ったので上映会を飲みながらするから来いという。



まぁ、
よくもよくもアホな軍団で
こちらも笑わせてもらった。


その時の話である。




オランダだかどこかの都市で
ご飯を食べに入った奴らだが
いつものように




簡単な英語で
「ビール三つ!」
「お皿三つ!」みたいな
頼み方をしていると




そこのお店のウェイターに
「ゴミのように」(本人談)
扱われたんだそうだ。




えらくウェイターの機嫌が悪いわ、
放っておかれるわ、辛く当たられるわ
(笑)


で、散々だったらしい。





どうやらその真相は
彼らの粗野な言動ではなく(笑)


モノを頼む際の最後に
「プリーズ」を付け加えなかったことらしい。




これは特に西欧においては
特に、特に大事なことなのだ。




だいたい飛行機の中の食事や飲み物を聞きに来た時も、まずほとんどの日本人は「ビーフ」とか「ティー」とか、
単語を発して注文としている。


「ビーフかフィッシュか?」
とアテンダントが訪ねた時のそれだ。





これは、西欧においては
驚くべき


驚くべき

非礼さという教育を
日本では家庭でも学校でも教えることはない。





だいたいにおいて、他人にモノを頼む時にプリーズを付け加えないというのは、命令すべき相手しかないからだ。



だから、先の僕の親友の大バカ(笑)軍団は、プリーズを付けないことで相手をゴミのように扱ったということで、彼らもゴミのように扱われたのだ(笑)



気がついてみると、
だいたい僕らはいつの間にか
コンビニにしても、どこにしても
ついつい単語だけで、「お願いします」とか「ありがとう」を付け加えることをしなくて済んでいる国にいる。



西欧では人を脅す時も
「プリーズ」と付け加える。

これは経験済みだ(笑)




非常にレベルの低い国に住んでいると、いつの間にかそれに馴染んでしまう。


カフェに入っても


「ホット!」


などと命令するのは
やめようではないか(笑)



人として扱うには、
ルールがこの世にはある。
知らなかったでは済まされないのだ。



彼らには
ぜひまたアホな教訓を聞かせてほしい。


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また昨日もお酒がしみた。


特に今朝の体調に問題があるわけではないが、量が多いのか毎日連続で飲んでいるせいか、身体のどこかに静かなダメージを感じる。


まぁ、夕べは仕方ない。
あれだけのメンツが揃って経営の話になってしまうと、もうこれは止まらないのはやむを得ない。


とても素晴らしい集まりだった。


と、翌朝の今
新幹線で博多から福山に戻っている。



12時に「広島の王子」と称する中年おじさんが仕事を仕事をしたくてやってくるからだ。



11時40分に福山駅に着くから、
これを読んだなら待ってなさい。


昨日の経営勉強会は、かなりレベルの高いものになった。


継承・創業・立て直し



これらをすべてやり遂げ、成功させた人はそんなに多くないだろう。
その方のまずお話を聞かせていただき、たくさんの質疑応答をさせてもらったわけだ。



しくみ。


情熱。


私心無からずや。



経営の勉強会のようで
つまりは、人間としての勉強会に
ならざるを得ない。


人は、
経営者についてくるのではない。
人間についてくるのだ。


全従業員の給料を15%カットしても、かれらは燃えて立ち上がったと聞いた。


そして見事な復活を遂げた
企業再生。


まるでテレビのプロジェクトXを
見るような苦労と劇的な結末を
僕らは時間も忘れて聞き入った。



会社の仕組みづくりも
業界の中では聞かれないような
誰にも答えられないような
レベルの高い仕組みを教えていただく。


予定時間を1時間オーバーして
4時間にわたった経営問答は


まだまだ消化不良のままで
とりあえずの第一回目を終えた。


メンバーの誰もが興奮冷めやらず
食事会でも経営問答の続きとなった。





そうだ、



新美利治社長から
私の母にと



ういろうをまた頂戴した。



いつもいつも私の母親のことを
忘れないで重たい手土産を私に
ことづけてくださる。




変態気味だが



実に細やかで心根の優しい
いい男だ。



上品な変態には
繊細さが何よりも欠かせないのかも知れない。尊敬する。




いつもありがとう。
この場を借りて心より
御礼を申し上げる次第である。


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この世にはどうやら確かな法則がいくつかあるようだ。


その中のひとつが、
人を集める法則。


なんのことはない。





いつも自分から声をかける。



こまめな電話はきらさない。



人に会ったり、声を聞くたびに
ありがとう!と言う。


相手からの連絡を待つ前に
自分からかけてみる。


ハガキを書く。


気づいてない
いつの間にかの人の悪口の時間を
やめてみる。



それらがリズムになっているときは、
もんどん人が会いに来てくれる。
電話をしてきてくれる。



人間繁盛とはよく言ったものだ。




そんな時は、
面会と電話とお願いされることで
ますます忙しくなる
(笑)



それでいい。


たまにそれが嫌になって
それらを止めてみる。



とたんに
電話も来なくなる。


運が向かなくなる。



この世の法則は、
分かっている人に、もっと運が向くように出来ているらしい。

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「僕にとって『何のために』が
なかった頃は、まったく無意味な時代でした」


そう、中村文昭は言う。
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彼を語る時にすぐに出てくるフレーズは、「返事は0.2秒!」とか言われるが


僕は彼の語りの一番に大事なことは、
冒頭の言葉にあるように



「何のために」を人生の
いや、目の前の根本に置いたことであろう。



人間、遅くとも五十の坂を に差し掛かると自分の残り時間を考えるようになる。


仕事や
自分のやりたかったこと



今まで
仕方なくやっていたことが
ぜんぶもったいない時間つぶしのような気がしてきてしかたなくなる。


近頃の
中年や
老人は元気がありますな。


と言うけども
違うんだな。


「何のために」
を考えたらエネルギーが出るんだよ。
体力がないだけで(笑)




そんな「何のために」を
もっともっと若いうちに。


できれば子ども頃に
考えたり、感じる力がつけば
こんなにその人の人生は幸せであるに間違いはないのである。


まさに、それこそが
生まれてきた意味であるからだ。




目の前のことを
「何のために」に変換できる人は
人生最高のギフトを手に入れたも同然なのだ。


中村文昭を聴くと
背中のスイッチのブレーカーが


バチバチバチッ!!

と上がる。

それを体験しに来てほしい。


年間300回講演して回っている男の
話とはどんなものなんだろうか。


それを感じるだけでも
あなたは次の日に人に話してまわることになる。

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