無意味なプライド | ko-to-ba

ko-to-ba

人は発するコトバ通りの人生を歩む。

無意味なプライドはとっとと捨ててしまいましょう。


プライドは大切です。


しかし、自分の見栄や体裁のためだけに持つプライドには意味がありません。


ただの自己満足です。


否、自己満足なだけであればいいものの、正確には安いプライドを保持し続ける人からはだんだんと人が離れていくので長期的にはマイナスでしかありません。


たとえば、自分の肩書や年齢を基準に、それに満たない人の話はまったく聞かないという人はたくさんいます。


『自分よりも目上だ』『自分よりも実力があるな』と判断した人の話以外は聞き入れないのです。


しかし、これは無意味なプライドがもたらす完全な機会損失です。


年齢に関係なく若くして圧倒的な結果を出している人はたくさんいるし、自分の肩書に満たないような、たとえば新入社員のような人であってもそのポジションだからこそ持てる視野や気づきというものが確実にあります。


そもそも、自分とは別の人間であるという時点で視点が違うのです。


視点が違うということは、目の付けどころが違うということです。


目の付けどころが違えば見えているものも違ってくるので、学びがない訳がありません。


『死ぬまでの間、どこまでも自分を成長させたい』という崇高なプライドを持っていれば、成長することにフォーカスしているので、いくらでも人の話を聴くために謙虚になれます。


年齢や肩書など、世間にどう見られるかといった要素はどうでも良くなるのです。


『どこまでも自分を成長させたい』といったように、捨ててはいけない必要なプライドというのは必ず存在します。


『自分のやりたいことで生計を立てて、それが実現可能だということを世の中に発信していきたい』


『誰もが好きなことを好きなだけやって生活できるような、笑顔に溢れた世界を作りたい』


こういった自分のビジョンやミッションというものに対して持つプライドは大切にするべきです。


これらが自分の中に軸として存在することで、自分の行動がブレません。



行動がブレなければ徐々に人生の幸福度も上がり、人生そのものの輝きも増していきます。