何においても、白黒はっきりつけたがる人がいます。
あらゆるものを『正しい』、『間違っている』の2択で決めなければ気が済まないのです。
すべてにおいて正しいか否かのものさしで判断しようとする人からは、みんな離れていきます。
人間は2つの概念で分類できるほど単純ではないからです。
正誤どちらかが必ず伴う世界というのは、学生時代の試験までで既に終了しているのです。
社会に出てからというのは、解答が1つではありません。
それどころか、解無しということすら起こり得ます。
見方によってはどちらも正しく、どちらも間違っているというような状況が起こり得るのです。
『あの人だったからOKだけど、相手があの人だったら間違いだったよ』というパターンです。
真面目な優等生が『え?そんなこと教科書には載ってなかったじゃないですか!』ということのオンパレードが社会なのです。
例えば、会議中に上司が明らかに間違った意見を言います。
数値などが絡んでいたりして、満場一致でおかしいとわかるようなデータを使っているのであればそれを指摘することは大切です。
間違ったまま仕事が進んでは大変だからです。
しかし、その場で指摘する必要があるほど緊急な話ではありません。
そこまで大きな間違いであれば、単純に上司のうっかりミスだったりします。
その場で指摘することで会議の流れを壊したり、上司の顔をつぶす可能性もあります。
それでも、成績優秀で通ってきたエリート君に限って間違いを見つけた途端にやらかしてしまいがちです。
すると、もちろん後に怒られることになります。
『なんであんなことを言ったんだ』といわれます。
指摘した方からしたら驚きです。
『良いことをした!』と思っていたことが悪いこととして注意されてしまったのです。
ここでどういったとらえ方をできるかというのが大切です。
この出来事を素直に学びとできるかどうかです。
『ああ。こういうこともあるのか。いい勉強になったな』と思うことで、白でもなく黒でもない部分が拡がりを見せます。
正しいと思っていたことも、別の見方をすると正しくないということがわかります。
この自分の常識から外れる経験が大切です。
白でもなく、黒でもなく、というようなどっちともつかない経験の幅がその人の器の大きさを拡げるのです。
いくら巷の書籍などでコミュニケーションの理論を学んでも、実践ではその瞬間にしかないシチュエーションがあります。
これは、現場に出てみないとわかりません。
学んだ理論は、その時々に応じて臨機応変に変形させていく必要があるのです。
グレーの部分にこそ、人間の深みがあります。
【清濁併せ呑む】というスタンスは大切です。
納得できないことを何度も経験し、後にその状況を反芻することの繰り返しでグレーゾーンの幅は拡がります。
金融などの用語としてグレーゾーンと聞くと、一般的には文字通りグレーなイメージがあります。
正確には、限りなく黒に近い灰色のイメージです。
しかし、人間関係におけるグレーゾーンには前向きのイメージを持てるようにすることです。
正しい、間違っている、というのは、その時代時代が仮の基準を作っているにすぎません。
大切なことは、自分の中で『これは白だ。あれはどっちかといったら黒よりだったな』といって白黒グレーの判断をすることではありません。
白、黒、グレーそれぞれのものの見方を身に付けることです。
あらゆる角度から光を当てられる技術というのが、この先の人生で行き詰まりそうになった際に役立ちます。
清濁を併せ呑むことは簡単ではありません。
しかし、併せ呑むことはできなくても、少なくとも口に含もうとする姿勢を見せなければそれ以上の成長は見込めないのです。