勉強をするのは、自分のためです。
正確には、自分の才能を発掘するための手段として存在するのが勉強です。
学生時代は、『親がうるさいから』『先生がうるさいから』といって嫌々やるのが勉強でした。
究極、いかに早く多くの模範解答を記憶して、親や先生をはじめとした世間の機嫌をとれるかが勝負でした。
そのため、社会に出ても【勉強=嫌なもの】と誤解している人がたくさんいます。
自分に与えられている能力を知るためにするのが勉強なのです。
『自分には何もない。才能のある人がうらやましい』という人は、才能がないのではありません。
勉強をしていないのです。
勉強をしていないから、単に自分の才能に気づけないだけです。
才能があることを知ってから、勉強をするのではありません。
まず勉強をしてみることによって、その分野に才能があるか否かに気づいていくのです。
このプロセスが、実に楽しいのです。
勉強をしてみないことには何もわかりません。
『こんなとこにあるわけないでしょ』という場所からダイヤモンドが発掘されるのが人生です。
つべこべいわず、なんでも1度はやってみることです。