増え続ける食器やパンの型やお花などで収納スペースがいよいよ限界にきてしまいました。
そうだ、断捨離をしよう!
と思いゴミ袋を用意しとりかかりました。
滅多に開けない、でもベストポジションの机の引き出しを開けようとしたのですが、重い、重い
何が入っているのだっけ・・・こんなに重くて・・・
あ、そうだった
この十年以上で徐々に集まったデュプロムの数々。
最近のデュプロムは立派な装丁で、BOOK型で表紙も裏表紙もハードで一つが場所もとるし重いし・・・。
確かに大切だから、ここの引き出しにしまっていたのだけれど・・・。
今の私にはデュプロムの数々は、プロセスの一つにしかすぎず、あまり多くの意味を持たなくなりました。
デュプロムは、いわゆる卒業証書、あるいは教えてもよいですよ、という証しなのでそれは最低限必要なものでした。
それを皆さまにお教えする立場の私にとってがそれは終了ではなく、出発点でした。
一つのデュプロムをいただいて、少しするとそこにとどまっていることができず、更にSTEP UPするために学び直す、という繰り返しでした。
最初のデュプロムを文字通り踏み台にし一段上り、また次のデュプロムを踏み台にして一段上る、
そして上るごとに実力が付いていきます。
私にとって、デュプロムを取ることは目的ではなく、実力を付けようと学んだ結果、デュプロムが付いてきたという感じです。
国家資格というものでさえ「足の裏のご飯粒」と言われます。
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その意味は「取っても食べられない。」だそうです。
サロネーゼのデュプロムにいたっては、食べられないどころか・・・。
けれど、何かを習いたい、と思い先生を探す方にとってデュプロムは大きな意味があるかもしれません。
どこで何を学んだ先生なのか一目でわかるからです。
デュプロムを持っているからといって素晴らしいとは限りませんが客観的判断材料になります。
断捨離をしていてその分厚い立派なデュプロムのカバーを処分することにしました。
記念にその中身の紙だけはとっておきますが、今の私が保存しておきたいデュプロムはコルドンブルーのそれだけになりました。
引き出しがすっきりした分、未来の私にまだまだ学ぶ余地が生まれた感じです。