7年前「音楽はなんて無力なんだ」と思った。 | ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

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ダウン症の愛娘の子育てと、シンガーソングライターとしての音楽活動を楽しんでいます。
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2018年3月11日の今日、

東日本大震災で、

お亡くなりになられた方々、

ご遺族の方々、被災者の方々に、

心からお見舞い申し上げます。

 

 

私が初めてMIMO名義で作った曲、

「ギフト」を発表したのが、

2011年2月11日。

「よし!これから頑張るぞ!」

そう思ったのも束の間。

それから一ヶ月後、

東日本大震災が起こり、

今日で7年の月日が経ちました。

 

テレビ画面に映った光景に、

ただただ言葉を失いました。

そして自分のことを、

なんて無力な存在なんだ‥‥。

そう思いました。

 

人間が「命」と、

隣り合わせになった時、

音楽なんて、

悠長なことは言っていらません。

音楽でお腹を満たすことも、

暖を取ることも出来ません。

あの時ほとんどのアーティストが、

歌にする言葉を失っていました。

 

でも人間にとって、

音楽は必ず必要な時が来ます。

音楽は人を癒したり、

励ましたり、

元気を与えてくれたりします。

 

時に音楽が、

想い出の引き出しを開け、

その時代に戻してくれたりします。

 

 

私の大好きな祖母は、

阪神淡路大震災が起こってまもなく、

天国に旅立ちました。

あれから23年。

強く生きていけるようになっても、

辛く悲しいことがあれば、

思い出して泣きたい夜もあります。

 

私でさえそうなのです。

ましてや、

東日本大震災のご遺族の方々は、

まだまだ心の傷は、

癒えていないことでしょう。

 

「グリーフケア」という言葉を、

ご存知でしょうか?

家族や親しい方々、

愛する人が亡くなって、

深い悲しみを負っている人を、

そばで寄り添うように、

支援することです。

 

7年前、無力だと思った私は、

無力なりに音楽で、

全力を尽くしたい、

そう思えるようになりました。

 

 

「泣きたい時は、

 泣いていいんだよ。

 でもあなたは、

 天国から守られているよ。」

 

 

何年経っても、

東日本大震災のことは忘れず、

被災者の方々の心に、

少しでも寄り添っていたい。

私はそう思います。

 

私から祖母へ宛てた、

ラブレターのようなレクイエム。

そんな気持ちをこの曲で、

お伝えできたら幸せです。