「母にしてもらった」ダウン症がある子と生きて | ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

ダウン症の愛娘の子育てと、シンガーソングライターとしての音楽活動を楽しんでいます。
みなさんが元気でやさしくなれる情報をお届けいたします!

いよいよです!

 

NPO法人アクセプションズと、

 

フォトグラファー宮本直孝氏の共同企画の、

 

写真展 母の日 – I’m a mother of a child with down syndrome

 

日時:2017年5月8日(月)〜14日(日)

  

場所:東京メトロ表参道駅コンコース(ADウォール・B1出口付近)利用時間 始発〜終電

 

おかげさまで、

 

たくさんのメディアに取り上げていただいています!

 

ありがとうございます!

 

 

いやぁ、もう、いろいろなところに‥‥

 

新聞やネット、雑誌、テレビでも‥‥

 

書ききれないほど‥‥

 

本当にありがたいことです‥‥

 

 

 

そして今日の朝、

 

Yahoo!ニュースに、

 

ランキング入りした記事を見て、

 

思わず泣いてしまいました‥‥。

 

こちらです。

 

「母にしてもらった」ダウン症がある子と生きて

 
NPO法人アクセプションズの、
 
長谷部真奈見さんと、
 
理事長の古市理代さんのインタビュー記事。
 
ダウン症のある子を持つ二人の母の、
 
本当に大きなあたたかい愛‥‥
 
是非是非たくさんの方に、
 
読んでいただきたい記事です。
 
 
 

私と長谷部真奈見さんとの、


出会いはネットでした。


そして新宿のカフェで待ち合わせ、


「なんか出会い系みたいですね。


 やったことないけど」


と初対面で大爆笑し。笑

 

 

出産して間もない頃の話を始めると、


人目も気にせず、お互いに手を握り、


泣いてしまった、


あの日のことを思い出しました‥‥


あれから5年かぁ‥‥


お互いにたくましく、


幸せになりましたね。

 

高学歴、素晴らしい職歴、

 

そしてアナウンサーとして、

 

華々しいキャリアを築いてきた真奈見さん。

 

我が子がダウン症と知った時、

 

「もう人前に立つこともできないだろう。

 

 私の人生はこれで終わった」

 

そう思い込んでしまったとのこと。

 

その彼女がもう一度立ち上がり、

 

娘に「母にしてもらった」と感謝するまで‥‥

 

嘘偽りない「裸の言葉」が、

 

なおのこと、真実味を帯びて、

 

私の心に深く深く、沁みてきました‥‥。

 

 

 

そしてもう一人の母。

 

NPO法人アクセプションズの代表、


古市理代さんの記事がまた泣かせます‥‥

 

今朝のネット記事を拝見して、

 

古市さんがどんな想いで今、


その代表として活動なさっているのか‥‥


その想いを改めて知った今日、


突き動かされるものが止まりません‥‥。

 

 

あまりにも感動して、

 

思わず母に電話してしまい、

 

その話を聴いた私の母まで、

 

電話の向こうで号泣していました。

 

どのフレーズもよかったのですが、

 

特に感情が抑えきれなかったくだり。

 

 

 

 

医学の進歩でダウン症の平均寿命は上がった。

 

親が気がかりなのが、亡き後のことだ。

 

古市さんには20歳を迎えた長女がいるが、

 

「あなたはあなたの人生を生きていいんだよ。

 

 ママはママがいなくなっても、

 

 裕起(古市さんのダウン症のある長男)

 

 のことを支えてくれる人が、

 

 多く出てくる社会にするために、

 

 いま活動している。

 

 だけど、姉として、

 

 裕起の一番の理解者でいてね」と伝える。

 
 

もうね‥‥母なのよ‥‥

 

どっちの子供に対しても‥‥

 

障がい児の兄弟問題ってあると思います。

 

それは幼少期からはじまり、

 

最後は親亡き後にまで及ぶでしょう。

 

でも最近の親御さんたちは、

 

みなさん「それぞれ自分の道を‥‥」って、

 

そうおっしゃる方が多いです。

 

自分亡き後でも、

 

障がいのある子を支えてくれる人が、

 

そんな人がたくさん出てくる世の中にするために‥‥

 

そうやって頑張られている古市さん。

 

でも最後に、

 

「姉として弟の一番の理解者でいてね」って‥‥

 

 

親って本当に偉大だ。

 

そしてありがたいものだなぁ‥‥

 

二人の子どもたちを、

 

同じだけのエネルギーで、

 

全身全霊愛してるんだよなぁ‥‥。

 

そしてそのエネルギーが、

 

「世の中をよりよき方向へ」という、

 

ブレない原動力になってるんだろうなぁ‥‥

 

 

私も同じ気持ちで活動しています。

 

でもまだまだだ‥‥

 

今朝お二人の記事を拝見して、

 

また背筋を正される思いがしました。

 

そう、私が「どうかこの子を」という曲を作ったのも、

 

「親亡き後の我が子を思う」ゆえ。

 

そして私がこの世を旅立った後でも、

 

あーちゃんを安心して託していける世の中に‥‥

 

そんな願いを込めています。

 

なので私も自分の命がある限り、

 

障がいについて理解をしてくださる方々が、

 

この社会に一人でも増えてくださるように‥‥

 

親子で歩き続けていきたいと、

 

改めて心に誓った朝、なのでした‥‥