でも今日ご紹介したいのは「やられても、やりかえさない美学」そう、つい先日17歳の若さでノーベル平和賞を受賞された、パキスタン出身のマララ・ユサフザイさんの美学。彼女は「すべての女性に、子供達に教育を!教育こそ最優先なのです!」と訴える活動家。そして2012年にタリバン兵に頭を撃たれて瀕死の重症を負ったのだけれど、奇跡的に回復。その後もテロに屈することなく活動を続けられたその功績を讃えての今回の受賞となったことは、説明しなくてもみなさんもご存知かも?ですね。
2013年7月12日、マララさんの16歳の誕生日に、国連はマララさんの取り組みや銃撃後の不屈の精神を讃えて「マララ・デー」と名付けました。その時国連本部で行なったマララさんのスピーチが、も~う、私の心に沁みて沁みて・・・。その全文はこちらをご参照ください。
マララ・ユサフザイさんの国連本部でのスピーチ(2013年7月12日、マララ・デー)
そして特に私が唸ってしまった箇所を抜粋させていただきます。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私は誰も敵だとは思っていません。ましてや、タリバンその他のテロ集団に対する個人的な復讐心もありません。私はあらゆる子どもの教育を受ける権利を訴えているのです。タリバンやすべてのテロリスト、過激派の子どもたちにも教育を受けてほしいと思っています。
私を撃ったタリバン兵さえ憎んでいません。銃を持つ私の目前に彼が立っていたとしても、私は撃たないでしょう。それこそ私が慈悲深い預言者マホメット、イエス・キリスト、そしてお釈迦様から学んだ思いやりの心です。それこそ私がマーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、ムハンマド・アリ・ジンナーから受け継いだ変革の伝統です。それこそ私がガンジー、バシャ・カーン、マザー・テレサから学んだ非暴力の哲学です。 そしてそれこそ、私が父と母から学んだ寛容の心です。私の魂からも「平和を愛し、万人を愛しなさい」という声が聞こえてきます。
当時まだ16歳でしょ?ため息が出るほど悟り切っています・・・。彼女「すべての人間に教育が必要である」というその信念はけしてブレない。たとえ自分が銃弾に襲われて死にかけても。そしてその引き金を引いた人間さえ許し、その人間の子供達にさえ教育を受けて欲しいと訴える。
そうだよね。結局憎しみは憎しみしか生まないよね。やられたらついつい「やり返したい!」と思ってしまうのが人間の性(さが)。だけどどこかで誰かがその憎しみを一度受け止め、そして憎しみの連鎖を断ち切らなければ「いたちごっこ」だよね。これは一見「断ち切った側」が折れたように思うけど、そうじゃない。「断ち切った側」のやり遂げたかった「信念」の方が強かったんだと思う。マララさんは自分の命を脅かされたという「怒りや恐怖」よりも、世界の平和に繋がる自分の「信念」の方がはるかに大事だった。なんて強いんだろう!とても一般人はその域まで到達しないよ。でもこの精神は是非とも見習いたいなぁ。とてもとても、マララさんのようなスケールの大きいことはできないけれど。せめて毎日の生活の中で、たとえマイナスの感情を受け取ったとしても、それは私の方で断ち切れるような、そんな人間を目指したいなぁ。やっぱり日々精進、しかないね。
やられたらやり返せる強さも、時には必要だろう。だけど本当に強い人のその先って、本当はやり返せるけど許してしまえる「包容力」を持ち合わせることなんじゃないかな?マララさんがそう教えてくれたような気がする。そういえばテレビで誰かも言ってたな。
「剣を抜くのは二流、本当に賢い人間はいかに抜かなくて済むかを考える」
目的達成のためにはいつも心穏やかに。世界中の賢者からの学びは宝、ですね。う~ん!台風一過の青空のように、今日の私の心、マララさんのおかげで清々しいです!マララさん、ご自分の身を以ての教えを、本当にありがとう!

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と、このような投稿をさせていただいたのですが、皆様から違う側面から見たマララさんについての記事があることを教えていただきました。私自身マララさんのスピーチの素晴らしさに感銘を受けて書いたブログ記事ではありますが、物事にはいろんな側面からの見方があることも学ばせていただきました。ありがとうございます。

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