熊本旅⑥人吉の国宝 | みみうさ☆ライフ

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2022年7月8日(金)


熊本旅行最終日。


宿を10時にチェックアウトして、まずは近くのお寺へ。



宝石紫青井阿蘇神社




この神社は国宝に指定されています。


最初に目に入ってくるのは立派な鳥居⛩



詳しい説明は↓


相良氏入国より約400年前、今から1200年前の大同元年(806年)に神社が創建されました。


阿蘇の広大な原野を開拓し、その守り神として阿蘇山のふもとに鎮まる阿蘇神社の御祭神十二神のうち、三神の御分霊が、重陽の日9月9日に青井阿蘇神社に祀られたのです。

御祭神の名は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)、その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱の神々です。
この開拓の守護神である阿蘇神社の神々を祀り、ご加護を受けながら人吉球磨地方の開拓が営まれ、安住の地を整えていったのではないかと思われます。



鳥居をくぐると本殿があります。



この本殿は400年以上の歴史があるそうで、茅葺き屋根を維持するのが大変だそうです。



目の前の橋は2年前の水害で破壊されてしまい、修復中でした。




人吉で泊まった旅館も1階部分が浸水してしまい、改装して再オープンするまで1年かかったそうです


更地になっている場所も沢山あり、心が痛みます泣



特に祈祷などはお願いしなかったので、本殿の中には入れませんでしたが



看板に中の様子が詳しく載っていました↑



お次は母がどうしても行きたいと言い張っていたお寺へ。



宝石紫永国寺(別名ゆうれい寺)




創建は応永15年(1408年)とも17年(1410年)ともいう。一径永就和尚を勧請開山とし、実底超真和尚が開山。相良氏第9代相良前続の開基になり、相良氏代々の崇敬を受けた。

寺には、開山の実底超真和尚が描いたとされる幽霊の掛け軸が伝わっており、これにより俗に「幽霊寺」と呼ばれる。



楼門は歴史がありそうでしたが、本殿は新しい感じ。



本堂に幽霊の絵が描かれた掛け軸が飾ってあります。


(写真を撮ったらバチが当たりそうなので控えましたあせる)



本殿から門を振り返るとこんな感じ。




幽霊が現れたとされるお庭の池↓


寺伝によると、近郷のある男の妾が本妻の嫉妬に悩んで身投げした後、幽霊となって本妻を苦しめていた。実底超真和尚が、幽霊の醜い姿を描いて幽霊に見せると、驚いた幽霊は和尚の引導を請い、和尚の引導により成仏したという。境内にはこの幽霊が現われたという池もある


言い伝えとはいえ、幽霊が出たと聞くとちょっと背筋が寒くなりましたガーン



宝石紫武家屋敷




この立派な門は堀合門と言って、人吉城で使われていた物を移築したものだそうです。



現在の所有者がこの門や武家屋敷の中を詳しく説明して下さいました。





家の中には生首を置いたとされる棚とか↓ 

(血が下に落ちる様に棚が斜めになっています)



家を完成させると災いがあるという言い伝えから柱の節をわざと逆にしている箇所があったり、「災いが去る」という言葉から欄干にサルの彫り物があったりとかなり蘊蓄が詰め込まれた家で面白かったですウインク



堀合門を見たら人吉城跡にある偽物も見たくなって、行ってみました走る人



宝石紫人吉城跡




熊本地震で城壁が崩れて修復中でしたが



遠目から新しい堀合門を確認(矢印の付いている所)
真新しい感じなので、本物を見てきて良かったと思いました


宝石紫鍛冶屋町



こちらも母が立ち寄りたいと言っていた場所。

昔は50軒もの鍛冶屋さんが軒を連ねたらしいのですが、現在は2軒のみ。
包丁を研いでくれたりするそうです。


ポルトガルから伝来したと言うウンスンカルタも欲しかったらしく、探し回って購入ビックリマーク




歩道にはウンスンカルタのタイルが何箇所か貼ってあり、異国情緒が漂います↓



この通りにある


宝石紫醤油蔵


作る過程が見学出来ます。


最後はお茶やお漬物を振舞って下さり、せっかくなのでお醤油や味噌を購入。




宝石紫茶の蔵



こちらで人吉産のお茶を購入。

ウンスンカルタもこちらで見付かりました。




見どころが多かった人吉を後にして、最終目的地の熊本市内に向かいました車