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1ヶ月半休んだ話

母2度目の入院~回復まで

 ※母の病気のことについては本人の許可と

主治医のを得てお話しさせていただいています。

 

 

もう2度目の入院は

誰もが避けたくて

なんとか頑張っていたけど

やっぱり主治医から見ても

命の危険もある

 

 

 

ということで

再入院を勧められ

 

 

 

でも母本人は

「そんな必要ない」と繰り返し

入院に承諾しないので

 

 

 

また強制(保護)入院

という形で

家族と主治医の同意で

2回目の入院となりました

 

 

 

やっぱり2度目も

強制入院はやっぱり

いつも本当にこの判断が

正しかったのか?!

って悩むんですが

 

 

 

結果 今回の2度目の

入院で母自身が

「この入院は本当に意味があった!」

と最後退院を惜しむほどに

思えたみたいで

 

 

 

家族も「良かった...!」と

胸を撫で下ろしました

 

 

 

実際 今回の入院は

主治医も もう2度目で

流石に3度目は無いよ

ということで

 

 


サムネイル

100%良くなるまで出しません!

入院が3ヶ月くらいになることは

覚悟してください


 

 

と家族や母本人に

言っていたので

私たちは それを覚悟で

いたんだけど

 

 

 

入院して2週間目くらいから

母の顔に また

笑顔が戻ってきて

 

 

 

それまで話が

まともにできなかったのが

 

 

 

(全て絶望で返される感じというか...

例えば入院費を心配して

退院しないと!というから

大丈夫。保険の手続きしたから。

と私が言っても そんなはずない

そんなうまくいかない。とかって

悪い方に決めつけて事実さえも

悪い方に変えてしまう感じ...など)

 

 

 

ちゃんと現実を

悪くもせず

そのままで受け止めれるように

変わってきました

 

 

 

そして あれだけ

嫌がっていた入院生活も

何もできない状態

(携帯も持たせてもらえず

本当に外と強制的に離される状態)

なのが反対に自分の時間を

作れるようになって

 

 

 

本とかは持ち込みできたから

本を読んだり

私が面会時に持って行った

手紙をまとめたり

返事を書いてくれたりとか...

 

 

 

そんな時間を

楽しめるようになったらしく

 

 

 

とにかく 入院して

強制的に外のストレスから

引き離せたことで

どんどん改善していきました!

 

 

 

ちなみに入院先は

家から往復1時間半の

場所にあったのですが

 

 

 

出来るだけ

会いに行けるよう

母の友人とかと

連絡をとって

2日に1回、最低でも

3日に1回は行けるようにして

 

 

 

その時に

母の好きな手作りのおやつや

病院食が嫌だというので

手作りのお弁当を

持っていったりして

 

 

 

手紙は必ず

どんな時も毎回書いて

私がいけない時は

母の友人に託して

渡すようにしていましたにっこり

 

 

 

あと母がいない間に

母の仕事のことや

母の生活面の手続きなどは

代わりに代理で

できることはして

 

 

 

なるべく母の

心配事を減らして

面会の時に聞かれたら

いつもプラスに変えて

答えれる状況づくりも

意識しました

 

 

 

そして!退院の

大きなきっかけは

私の誕生日の時に出した

外泊で自信をつけたことでした!

 

 

 

この日を境に

母は誰もが驚くくらいの

回復を見せます

あんぐりあんぐりキューン

 


母がこうなって

祖母は施設に入ったのですが

幸いその施設と合ってたようで

楽しく過ごしてくれてて✨

これは本当に良かったです!赤ちゃんぴえん

母が入院中のとき

私と姉で祖母の方の手続きや

面会に行ったりしてましたにっこり



 

母の回復...そして現在

次の記事へ続く🤍

 
サムネイル

 

 


 
 

  

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