この記事は2020年ブログ

の振り返りを含みます

 

 

 

最初からっ指差し  

 

 

 

 

 

あの頃を思いかえすと...

病院に希望がなかったなぁぁ

 

 

今までよく

以前 私が病院に行かなかった

理由

お話ししてきましたが

 

 

 

今 の私が

当時の私の考えを

振り返ってみると...

 

 

 

病院に行かなかった理由って

これ!!!

みたいに1つでなく

 

 

 

色々な理由感情

合わさっていて

その総合的な結果として

 

 

 

"病院に行かない"

となっていたように思います

ちょっと不満ちょっと不満ちょっと不満

 

 

 

でも...この根底にある

そもそも論の話をすると

 

 

 

そもそも...

私は病院に希望

持っていなかったんです

真顔真顔真顔

 

 

 

 

どういうことかというと...

極端な話し

病院に行くと”悪化する”

ぐらいに思ってました

 

 

 

なので 病院が怖くて...

とかそういう以前に

そこに行って”治る”という

考えがなかったので

 

 

 

行く意味が見出せず...

むしろ病院に行くと

マイナスなこと言われて

 

 

 

したくもない治療を

強要される...!

そんなのむしろ体にい!!!

昇天昇天昇天

 

 

 

くらいに思ってました

にっこりw

 

 

 

もちろん!今は

そんなこと思ってないです!

泣き笑い泣き笑い泣き笑い

 

 

 

ただ当時は極端

確かに必死すぎて

冷静に状況を見れてなかったし

 

 

 

なかなか閉鎖的な

状況で自ら気づくのは

難しかったなー...と思います

悲しい悲しい悲しい

 

 

 

なので...限界が来た時に

もう自分達では

どうしようもなくなって

 

 

 

ようやく訪問看護師さん

という医療機関に

繋がれたことは...

 

 

 

大きな運命の

分かれ目のようで...✨

 

 

 

訪問看護師さんが当時の

私を否定せず...でも

病院と再び繋げてくれたおかげで

 

 

 

今もこうして

って過ごせている✨

そうも思います赤ちゃんぴえん愛

 

 

 

そして...病院と

再び繋がり

沢山の医療従事者の方々の

助けもあって

 

 

 

少しづつこの辛すぎた

日常がわっていきます

 ニコニコニコニコニコニコ

 

 

 

 

image

 (↑この写真では分かりにくいけど

まだ移乗式車椅子に乗れずリクライニング式の

車椅子で介護タクシーを利用して

病院に通っていた頃

介護タクシー内での写真✌️

 

この時 実は、病院で

私が"どうやったら韓国にいけるか?!"

という話し合いをする為に

皆が集まってくれて向かっているところです泣き笑い

 

本当…以前は知りませんでした。

こんなにも温かな

医療従事者の方がたくさんいるなんて…!赤ちゃんぴえん愛)

image

 
その時 病院ついたよー!の写真✌️w

 

 

 

  

 

 

戦争の日々からの解放...✨

【骨転移で1番辛かった⑥】

へ続く🤍

 
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