この記事は2020年ブログ

の振り返りを含みます

 

 

 

最初からっ指差し  

 

 

 

 

 

乳がん告知直後も...

いつも寄り添って理解してくれた母

 

 

今 思い返して...

26歳の乳がん告知当初の私は

 

 

 

本当にただただ

必死でした泣き笑い

 

 

 

最初は恐怖の闇

飲み込まれて

 

 

 

告知された日から

落ち着くまでの数日は

1人で寝れなくて

 

 

 

母のベッドに一緒に入り...

仕事場にまで

終いにはついて行ってて不安

 

 

 

そんな時も

母はくいてくれて

 

 

 

もう...実際

前を向いて歩くことも

できず...

 

 

 

一緒に歩いていても

途中立ち止まり

道端でうずくまる私を

立たせてくれて...

 

 

 

そんな風に心の面でも

いつも横で

私が希望を捨てないように

支えてくれました

 

 

 

そして...その後

癌と闘うと決め

癌について私なりに

猛勉強して

 

 

 

"免疫を高める治療をしたい"

という私の話にも

耳を傾けてくれて

 

 

 

いつも私の納得のいく道を

に歩んでくれました

 

 

 

実際それが 正解だったのか

不正解だったのかとか...

それは誰にも分からないし

 

 

 

言ってしまえば

正解なんてないのが

癌治療のように思います

 

 

 

だからこそ

納得のいく道を歩む”

というのは

私にとって とても大きく

 

 

 

そうさせてくれた母には

今でもとても感謝しています✨

 

 

 

その後...余命宣告もされ

後悔で打ちひしがられていても

おかしくなかった私が

 

 

 

前を向いて歩めたのは

どんな選択も

"納得"した道を

歩めていたからだと思います

にっこりにっこりにっこり

 

 

 

次の記事では

その辺りについて

もう少し詳しく振り返り

お話ししたいと思います看板持ち

 

 

 

何より今2人でこうして

笑って過ごせている✨

 

これがある意味私にとっての

"正解"なのかもしれませんニコニコ

 

 

 

 

 


  

余命宣告...その時のと私の心情は

【母との歩み②】

へ続く🤍

 
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