34歳で余命宣告された私ってこんなん

 

 
 
 

もう何年になるかな...にっこり

 

 

約2年半前

乳がん全身骨転移で

2ヶ月の余命宣告を受けて

 

 

 

その後 24時間

介助が必要になった...

 

 

 

と 度々話してきましたが

私が誰かの助け無しに

生活できなくなったのは

 

 

 

余命宣告後に

はじまった話じゃなくて

 

 

 

握りこぶしを超える

花咲乳がん

毎日大出血をするようになった

32歳ぐらい??

(約4〜5年ぐらい前)から

 

 

 

何かしら一緒に住む

の助けが

必要となっていました

 

 

 

 

(余命宣告後:まだ自分の力で座れず...この大きな

リクライニング車椅子にもたれてなら10分ぐらい乗れたから

時折 母やニコが外の風にあたりに出してくれました。

でもこの時は10分ぐらいで体が痛くなり疲れていました)

 

 

 

 

いつも闘病を支えてくれた母

 

 

私が花咲乳がんになり

大量出血して大変な時も

 

 

 

全身骨転移

もう寝たきりになって

自分の世話を

一切できなくなった時も

 

 

 

何より...誰もが

私の命を諦めて

当たり前のように

見た時も

 

 

 

 

私はでは死なない…!

 
サムネイル

 

 

 

という私と同じ方向を

いつも見てくれて

 

 

 

私が挫けそうになった時に

希望の未来を見失わないように

いつも横で

支えてくれたのも母でした

 

 

 

この闘病10年間

確かに闘病本人の私も

大変だったけど

 

 

 

仕事をして家庭を守りながらも

私と一緒に倒れないように

支えてくれた

 

 

 

時に私より

大変だったと思います

赤ちゃんぴえん赤ちゃんぴえん赤ちゃんぴえん

 

 

 

 

そして!!

まだ治療中ではあるものの

.......

 

 

 

普通に生活できるように

なった今日この頃...

 

 

 

私にとっても

母にとっても

とてもしい変化(?!)の

ご報告がありますっよだれ

 

 

 

 

 

(去年の10月ごろ母と母のパートナーのニコと

家族旅行に行けた時の写真オエー)

 
 
 
 
 

 

なんと…なんと!!

【闘病を支えてくれた母の助け②】
へ続く🤍

 
サムネイル

 

 


 
 

つづきーっ指差し


 
 
 

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