抗凝固薬イグザレルトを飲んでいる。
最初はワーファリン。
これは食物の制限が激しくて、大変だった。
でも、先日パーマ屋さんで偶然となりに座っている人が
ワーファリンを飲んでいる人だった。
聞くともなく耳に入ってくる話を聞いていたら
かなり「適当」に食物制限をしている。
せいぜい「納豆」「青汁」くらいで、あとはあまり考えていないようだった。
これなんだよな。
私はお医者さんにはほめられたけれど、
きっちりやりすぎるんだ。
要するに、
あほみたいにきっちり守って、しんどくなるパターン。
性格だからしかたがないけど、
この悪癖、何かにつけて繰り返してます。
ところで、次はプラザキザ。
これで、食制限がなくなって、かなりハッピーだったけど、
案外副作用がきつかった。
むかつき、のどの痛み、胃痛、いろいろだった。
今はイグザレルト。
これは毎朝小さい錠剤を一つ飲むだけでいい。
食事制限もない。
のどの痛みや胃痛はほとんどなくなった。
ただねえ、青あざが気になる。
いつも、どこかに青あざがある。
つまり、内出血しているということ。
もともとこれらの薬を飲んでいる以上、
血液が固まりにくいのだから
ほんのちょっとした打ち身とかでも内出血して
あざになるのは当たり前。
でもちょっと
頻度が高いような。。。。。
そして、
口の中がいつも「血の味」がする。!(´Д`;) !(´Д`;)
薬が強すぎるのかなあ。
こんな状態で万が一脳内出血したら???
脳梗塞から
もうすぐ3年を迎えようとしている。
それなりに改善してきたことも多いが、
いいかげんにしてよ・・・と思うことも多い。
先日の定期検診での先生の結論。
「まあ、感覚麻痺はねえ。長くかかりますから。
それに動けないわけじゃありませんから、まあ、本人ががまんするしか。。。。」
お医者さんからみたら、ぜいたくなんでしょうね。
ちょっと痺れたりしているくらいですから。
でも、それやったら、昔のお百姓さんやないけど
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」ってこと???
研究者のみなさん。
お願いですから、
感覚麻痺の治療薬を研究してくださいよ。
前任校での運動会が終わった。
しょっちゅうランニングの練習に行っているので、
学校自体は別に懐かしくなかったけれど、
運動会の雰囲気は懐かしかった。
準備に走り回っておられる先生方を見ると、
何だか座ってみていることに罪悪感さえ覚えた。
早く手伝わなきゃ・・・みたいな。
妙なところで
「そうだ、自分はもう先生じゃないんだ」ということを
しみじみと実感した。
いつもランニングの練習をしている子どもたちが
がんばって組体操をしていた。
一生懸命に取り組んでいる姿が素敵だった。
でも
「お客さん」になってしまった自分を再発見して
何とも言えない気持ちだった。
私は
こういう行事の出し物を考えたり工夫したりすることが
とても好きだった。
そして、
子どもたちと一緒に創り上げていくことが
大好きだった。
塾の先生をしていると、
残念ながらそういうことはできない。
ランニングの練習に関わらせてもらっているだけでも
異例のことだろう。
次には学芸会もある。
6年生は音楽だ。
これまた私の大好きな分野である。
もちろん見に行くと思うけれど、
きっと今年は
「感動」よりも「寂寥感」のほうが勝るんだろうな。
しょっちゅうランニングの練習に行っているので、
学校自体は別に懐かしくなかったけれど、
運動会の雰囲気は懐かしかった。
準備に走り回っておられる先生方を見ると、
何だか座ってみていることに罪悪感さえ覚えた。
早く手伝わなきゃ・・・みたいな。
妙なところで
「そうだ、自分はもう先生じゃないんだ」ということを
しみじみと実感した。

いつもランニングの練習をしている子どもたちが
がんばって組体操をしていた。
一生懸命に取り組んでいる姿が素敵だった。
でも
「お客さん」になってしまった自分を再発見して
何とも言えない気持ちだった。
私は
こういう行事の出し物を考えたり工夫したりすることが
とても好きだった。
そして、
子どもたちと一緒に創り上げていくことが
大好きだった。
塾の先生をしていると、
残念ながらそういうことはできない。
ランニングの練習に関わらせてもらっているだけでも
異例のことだろう。
次には学芸会もある。
6年生は音楽だ。
これまた私の大好きな分野である。
もちろん見に行くと思うけれど、
きっと今年は
「感動」よりも「寂寥感」のほうが勝るんだろうな。
会社をつくってから今日でちょうど半年。
アッという間だったなあ。
会社といっても
主な事業は今のところ塾だ。
わけがわからないままに
とにかく塾としての体裁を整えていた4月・5月。
緊張しながら始めた6月。
やたら忙しかった夏期講習期間。
そして
なんだか気が抜けてしまった9月。
もっとも9月は休暇をとったから、
「ほっと」一息感がある。
それでも半年やなあ。。と思う。
この生活のパターンに慣れてきたかというと
実はそうでもない。
「生活のパターン」づくりができなかった気がする。
いつも仕事のような、いつも休みのような。
ばたばた・だらだらしていたと思う。
だから、
これからは
毎日の暮らしのリズムをきちんとさせたい。
一週間単位で考えればいいのかな。
そして、
塾にもっと子どもたちを集めるためのアイディアを考えたり、
本当に自分がやりたい方向は何かを考えたりして
来年に備えていきたい。
ちなみにこれは「セントニーニョ」
ニーニョは「子ども」のこと。
キリストの子ども版である。
緑のマントを着ているものと
赤いマントを着ているものがある。
緑のマントは「商売繁盛」を願うときのもの。
赤のマントは「家族の幸せ」を願う時のもの。
赤バージョンはすでに持っている。
今回セブ島にいったとき
友人たちからもらったものだ。
彼らは生き生きとしていて
いつも新しいプランを考えていて
それに向かって行動している。
このお守りを見て
彼らを思い出して
自分も頑張ろうと思う。
アッという間だったなあ。
会社といっても
主な事業は今のところ塾だ。
わけがわからないままに
とにかく塾としての体裁を整えていた4月・5月。
緊張しながら始めた6月。
やたら忙しかった夏期講習期間。
そして
なんだか気が抜けてしまった9月。
もっとも9月は休暇をとったから、
「ほっと」一息感がある。
それでも半年やなあ。。と思う。
この生活のパターンに慣れてきたかというと
実はそうでもない。
「生活のパターン」づくりができなかった気がする。
いつも仕事のような、いつも休みのような。
ばたばた・だらだらしていたと思う。
だから、
これからは
毎日の暮らしのリズムをきちんとさせたい。
一週間単位で考えればいいのかな。
そして、
塾にもっと子どもたちを集めるためのアイディアを考えたり、
本当に自分がやりたい方向は何かを考えたりして
来年に備えていきたい。

ちなみにこれは「セントニーニョ」
ニーニョは「子ども」のこと。
キリストの子ども版である。
緑のマントを着ているものと
赤いマントを着ているものがある。
緑のマントは「商売繁盛」を願うときのもの。
赤のマントは「家族の幸せ」を願う時のもの。
赤バージョンはすでに持っている。
今回セブ島にいったとき
友人たちからもらったものだ。
彼らは生き生きとしていて
いつも新しいプランを考えていて
それに向かって行動している。
このお守りを見て
彼らを思い出して
自分も頑張ろうと思う。
朝ニュースで学力テストが何とか・・という話をしていた。
一時期強制ではなくなった全国学力テストが
再び今年度から全国一斉になったそう。
強制してびびらせないと
先生方はのほほんとしていて、
子どもたちの学力向上を本気で考えていない・・・と思っているのかな。
結果は一口に言えば
要するに「考える力」が伸びていないということだった。
子どもたちは周りを見て
周りから浮かないように注意深く過ごしているのです。
「いい人」であり、「いい子」であるために。
「目立たない」ために。
友達の意見は尊重しましょう。
友達を傷つけないようにしましょう。
一人ひとりを大切にしましょう。
どれも間違っていないけれども、
尊重とか大切とか傷つけるとかの意味を取り違えているよ。
でもそれって、
子どもたちの責任ではないですよね。
あれも危ない、これも危ないと小さいころから経験を制限されて
どうやって自分で考え判断できる子が育ちますか?
虐待だったり過保護だったりモンスターだったりが珍しくなくなっている昨今、
安心して子どもたちが自分を出せる空間がどこにありますか?
子どものための「安全」というよりは、
責任を追及されないための「安全」がまかり通る教育現場で、
たくましくいきいきとした子どもたちが育ちますか?
「創意工夫」や「切磋琢磨」はできますか?
やたらに分厚くて「自己表現」ばかり盛り込んだ国語の教科書からは、
「表現」の手法は学べても
「表現」するべき内容を学んでいる余裕はない。
そして あまりにも配当時間の少ない文学教材や説明文では
自由に考えを交流するどころか、自分の考えをもつ暇もない。
学力低下とかで、内容がまた増えた算数では
公式を覚えさせて正解させることが、優先しますよね。
思いつくままにバラバラと書いたけど
「考える力」が育つ要素がどこにありますか???
すべての子どもから
ゲームとケータイ・スマホとを取り上げて
暗くなるまで運動場で集団で遊べるようにして、
すべての教師を
モンスターなクレームと余計な研修から自由にして
遊んだり補習をしたりする余裕がもてるようにしてみたら?
そうそう、
教師のマニュアル化や管理もやめてね。
自分の意見が言えない先生から、
自分の意見が言える子が育つはずはないでしょうね。
一時期強制ではなくなった全国学力テストが
再び今年度から全国一斉になったそう。
強制してびびらせないと
先生方はのほほんとしていて、
子どもたちの学力向上を本気で考えていない・・・と思っているのかな。
結果は一口に言えば
要するに「考える力」が伸びていないということだった。
子どもたちは周りを見て
周りから浮かないように注意深く過ごしているのです。
「いい人」であり、「いい子」であるために。
「目立たない」ために。
友達の意見は尊重しましょう。
友達を傷つけないようにしましょう。
一人ひとりを大切にしましょう。
どれも間違っていないけれども、
尊重とか大切とか傷つけるとかの意味を取り違えているよ。
でもそれって、
子どもたちの責任ではないですよね。
あれも危ない、これも危ないと小さいころから経験を制限されて
どうやって自分で考え判断できる子が育ちますか?
虐待だったり過保護だったりモンスターだったりが珍しくなくなっている昨今、
安心して子どもたちが自分を出せる空間がどこにありますか?
子どものための「安全」というよりは、
責任を追及されないための「安全」がまかり通る教育現場で、
たくましくいきいきとした子どもたちが育ちますか?
「創意工夫」や「切磋琢磨」はできますか?
やたらに分厚くて「自己表現」ばかり盛り込んだ国語の教科書からは、
「表現」の手法は学べても
「表現」するべき内容を学んでいる余裕はない。
そして あまりにも配当時間の少ない文学教材や説明文では
自由に考えを交流するどころか、自分の考えをもつ暇もない。
学力低下とかで、内容がまた増えた算数では
公式を覚えさせて正解させることが、優先しますよね。
思いつくままにバラバラと書いたけど
「考える力」が育つ要素がどこにありますか???
すべての子どもから
ゲームとケータイ・スマホとを取り上げて
暗くなるまで運動場で集団で遊べるようにして、
すべての教師を
モンスターなクレームと余計な研修から自由にして
遊んだり補習をしたりする余裕がもてるようにしてみたら?
そうそう、
教師のマニュアル化や管理もやめてね。
自分の意見が言えない先生から、
自分の意見が言える子が育つはずはないでしょうね。