朝ニュースで学力テストが何とか・・という話をしていた。
一時期強制ではなくなった全国学力テストが
再び今年度から全国一斉になったそう。
強制してびびらせないと
先生方はのほほんとしていて、
子どもたちの学力向上を本気で考えていない・・・と思っているのかな。
結果は一口に言えば
要するに「考える力」が伸びていないということだった。
子どもたちは周りを見て
周りから浮かないように注意深く過ごしているのです。
「いい人」であり、「いい子」であるために。
「目立たない」ために。
友達の意見は尊重しましょう。
友達を傷つけないようにしましょう。
一人ひとりを大切にしましょう。
どれも間違っていないけれども、
尊重とか大切とか傷つけるとかの意味を取り違えているよ。
でもそれって、
子どもたちの責任ではないですよね。
あれも危ない、これも危ないと小さいころから経験を制限されて
どうやって自分で考え判断できる子が育ちますか?
虐待だったり過保護だったりモンスターだったりが珍しくなくなっている昨今、
安心して子どもたちが自分を出せる空間がどこにありますか?
子どものための「安全」というよりは、
責任を追及されないための「安全」がまかり通る教育現場で、
たくましくいきいきとした子どもたちが育ちますか?
「創意工夫」や「切磋琢磨」はできますか?
やたらに分厚くて「自己表現」ばかり盛り込んだ国語の教科書からは、
「表現」の手法は学べても
「表現」するべき内容を学んでいる余裕はない。
そして あまりにも配当時間の少ない文学教材や説明文では
自由に考えを交流するどころか、自分の考えをもつ暇もない。
学力低下とかで、内容がまた増えた算数では
公式を覚えさせて正解させることが、優先しますよね。
思いつくままにバラバラと書いたけど
「考える力」が育つ要素がどこにありますか???
すべての子どもから
ゲームとケータイ・スマホとを取り上げて
暗くなるまで運動場で集団で遊べるようにして、
すべての教師を
モンスターなクレームと余計な研修から自由にして
遊んだり補習をしたりする余裕がもてるようにしてみたら?
そうそう、
教師のマニュアル化や管理もやめてね。
自分の意見が言えない先生から、
自分の意見が言える子が育つはずはないでしょうね。