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mimiのブログ

脳梗塞から2年半。
後遺症は感覚麻痺。見た目は元気そのものです。
最近少しずつ、元気に過ごせる日が増えていると思います。
30年間続けた仕事を退職して、新しい仕事に挑戦中です。
まだまだ人生これからだ!!!

離任式だったよ。
あいさつに何を言おうか
だいぶ考えたけれど
やっぱりいつも子どもたちに言っていることを
最後に伝えようと思った。

恰好つけているわけではなくて
本気で思っていること。

昨日の自分よりも前進するために
毎日チャレンジしていきたい。
これからも
そんな生活を送りたい。

それは真実だけれども、
心の中ではやっぱり寂しかった。
悲しい時は悲しい顔をすればいいのだけれど、

そうなるととめどなく悲しくなりそうだった。
ので、
明るく挨拶する と決めていた。
ここらへんが
私の私たる所。
不自由な人間です。

体育館での式は
無事にやり過ごしたけれど
やっぱり式が終わって
保護者のみなさんや子どもたちと話していると
あかん。
涙が出てきた。

やっぱりね。
もう少しやりたかったよ。
もう少しできたんじゃないの?????
もうおそいよねえ。

それなりにやる方法もあったんじゃないの?
でも、それができないところが私の性格。
仕方ないね。

80パーセントでやればよかったのに、
120パーセントで突っ走るから
そうなったんだ・・・・と言っている人がいるらしい。
なんだか悔しかった。
じゃあ、
がんばらなければよかったんだね。

でも、いいやん。
それなりにがんばったら
結果もそれなりでしょ。
私はずっと幸せMAXだったもの。 

たくさんのお花と愛をいただいた。
つよがりじゃなくて、
これからも、前進するぞ。
めそめそしてる場合じゃないぞ。
 
 

「学校の先生」にさようなら!!!!



2月から3月にかけて
やっと
本当に退職するんだなあと思うようになった。
今年度はいろんなことが
多分・・最後やなあ・・と思いながらやってきたけれど、
いよいよひとつずつ終わっていく感じがしたのは、つい最近。
自分の担当教科の授業が終わり
卒業式の歌の練習が終わり
卒業式が終わり
そして机や荷物の整理をなんとなくやって
おしまいが見えてきた。

案内の手紙を見て
わざわざ来てくれた子もいるらしく、
会えなくて残念だった。

 

これは
思い出多い6年生の教室横から見える
私の一番好きな景色。
いい天気の日に
この樹の梢を見ると心が休まりました。
この景色とお別れする日が来るなんてね。

明日は
離任式。
子どもたちの前で、正式にお別れをする日だ。




 2年前の3月末、
脳梗塞の後の職場復帰をかけて
北堀公園を走った。
復帰するなら10周走れないとダメ・・と勝手に決めて
必死に走った。
一周1,1キロメートル。
当時10キロも走るのは大変なことだった。
一周ずつ休みながら
一周するたびに花の写真を撮りながら走った。

先日また思い出の公園に行った。
あの時と同じように
花々が私を迎えてくれた。
桃山城も、
にせもの??とは思えないくらい
立派に青空にそびえていた。
 
 
  
  

 
 
  
 幸い
休まなくても10キロなら走れるようになったけれども、
残念ながら教師としての自分に
合格点はあげられない。
どうしても体が回復しない。
全力でがんばると
ぶり返しがひどく、休まずにはいられない。
全力で頑張れない先生に担任されたら大変だよね。

そして、もし続けるなら異動しなければならない。
これまでは保護者の皆さんや周りの方々の
温かい庇護のもとでなんとかやってきた。
新しい環境で、
厳しい現場で、
自分が納得できる仕事ができるか・・・・・

問いかけてみたけれど
答えはNO.

だから、少し早いけれども
退職することにした。

北堀公園は2年前と同じだったけれども
走っている私の気持ちは複雑だった。

でも
悪いことばかりじゃない。
これからは
自分のやれることを
自分のできるやり方でやる。
決められたようにはできないかもしれないけれど、
自分のできる範囲で、がんばることはできる。

昨日、校区のみなさんに
「退職」の連絡が配られたはず。
とうとう現実になってしまったんだな。

みなさん
これまで本当にありがとうございました。
そして、
これからもどうぞよろしくお願いします。
 
3月3日、ひな祭り。
そんなことはすっかり忘れていました。
昨日は、病気後初めてのフルマラソン参加でした。

会場は大阪、長居公園周回コース。
一周約2.8キロのコースを、15周まわります。
制限時間は6時間。
 
さあ、走るぞ!!!

ボランティアの皆さんがたいへん温かく
感動した大会でもありました。
あの寒い中、6時間もたち続けて声援を送ってくださっているのです。
参加者はハーフの部と合わせて1000人くらいかな。
フルの部は少ないです。
同じ所をぐるぐる周るなんて、みんないやかもしれんな。

でも、左半身に感覚麻痺と、違和感が残る私にとっては
「いつでもやめられる」というのは、まことにありがたい大会でした。
トイレも十分ありますし、一周ごとに給水したり捕食したりできます。

ろくに練習もできていなかったので、
不安いっぱいでしたが、とりあえず参加。
走りだして20キロくらいまでは結構いい調子でした。
そのあとはだんだん疲れてきました。
自分で、意外だったことは、
なんと「気持ち」がぷっつり途切れてしまったことです。
30キロ前から「気力」が萎えました。
理由はよくわからないです。
しばらく長い距離をはしる練習をしていなかったので、
集中力が続かなかったのかもしれません。
そんななか、足の調子はどんどん悪くなりました。
ストレッチをしてみたり、体操をしてみたりしました。
自分を励ましながら、ジョグもしてみましたが、あかん。
右足が攣りそうになりました。
動きの悪い左足をかばっていたからかもしれません。
吐き気もするし、手は疼くし、寒気もするしで、もうすぐにやめて
お風呂に入りたかった。
いやいや無理やり2周進みました。
6キロもないのに、なんと1時間以上かかってしまいました。
歩いたほうが速いやん。
頭の中にはなんども、「もうやめたら」というささやきが聴こえました。
「いいやん、病気してたんやから」
「30キロ以上走ってるんやから、上等やで」
後遺症に負けないように、
新しい一歩を踏み出すために
参加を決意した大会にも関わらず
こんな有様では恥ずかしいね。

幸い、ゆっくりジョグをしているうちに、右足の状態がよくなってきました。
それに、「残り3周」となって勇気がわいてきました。
思い出してみれば、いつのマラソンでも
25キロを過ぎたあたりから35キロあたりまでが
自分にとっては「魔の区間」なのでした。
ほかの皆さんは「35キロからがしんどい」とおっしゃるけれど、
私の場合は、多分今回のように、
気持ちが切れるんだと思います。

それからの3周は徐々に足も動くようになり、
どうやら無事にゴールすることができました。
タイムはこれまでで一番遅い「5時間2分」

それでも、これこそ「病気後初マラソン」ということで、
決してがっかりすることはないと思いました。
よくがんばったよ。

 
ふうーっ 終わった。。。

ちなみに帰りは左足がほとんど動かせなくなり
友達の前では何とか歩いていたけれど
一人になったらもうだめでした。(((( ;°Д°))))
電車の乗り換えのしんどかったこと。
そして駅から家までが遠かったこと。

帰ってお風呂に入って
サプリをのんだり、マッサージをしたり。。
夕食の支度は「無理」とわがままをいって
夫にお寿司を買ってきてもらい
食べ終わったらさっさと寝ました。

夜、あまりの足の痛さに目が覚めたけれど、
朝起きてみたらおかげさんで大丈夫。
昨夜とは大違いで、そこそこ動ける体に戻っていました。
もちろんまだ足は痛いけど。
ふう。σ(^_^;)


先日「カオサンゲストハウス」で行ったカオサン寄席。
はずかしながら「時うどん」です。
精いっぱいやったけれど、あとで見直してみると
あらまあ恥ずかしい。
まあ、素人ですから、こんなところで許してくださいね。
 
 

このゲストハウスは、外国人の旅行者がよく利用する格安ホテルです。
ホテルというよりは、ユースホステルみたいな感じでした。
私の属しているサークルでは、去年もここで寄席をさせていただいたようです。
なにしろ、まだ半年くらいしかたっていないので、
サークルがどこでどんな活動をしているのか、わからないことがいっぱいです。
3月にも「○○寄席」などと企画されています。

4月にも、国際交流会館で寄席をする機会があります。
早くネタをたくさん覚えて、いつでも参加できるようになりたいです。

http://www.youtube.com/watch?v=OyLopP6zi7k&feature=youtu.be


感想やアドバイスなどいただけるとうれしいです。