わたしがもっている

 

不思議な本の紹介の

 

つづきです。

 

 

「新.日本神人伝」

 

この本は江戸から近世の神人

 

といわれるような人たちの

 

エピソードがわかりやすく

 

書いてあります。

 

 

長南年恵さんとか

 

国安仙人とか...。

 

 

不食でテレポートして

 

空からお魚降らすとか

 

ほとんど天使か

 

仙人では..??

 

とゆう

 

不思議な方たちのエピソードも

 

満載です。

 

 

 

近代日本の霊能のながれも

 

一望できます。

 

 

新・日本神人伝 ―近代日本を動かした霊的巨人たちと霊界革命の軌跡

 

 

 

 

いろいろな興味深い人々が

 

でてくるのですが

 

占いに興味のある方

 

横浜に縁のある方には

 

高島嘉右衛門(たかしまかえもん)さん

 

の章が面白いとおもいます。

 

 

 

高島嘉右衛門は

 

実業家でもあったのですが

 

易聖といわれるほど

 

易=占いに精通していました。

 

 

そして横浜をつくった人です。

 

 

こうゆう町をつくろうとゆう

 

思想だけではなく 

 

実際 本当につくってるのです。

 

 

明治のはじめに

 

異人館を建設し

 

横浜港をうめたて

 

政府にかけあって

 

鉄道を横浜にひき

 

ガス会社をおこし

 

横浜の町にガス灯をつけ

 

横浜を文明開化の

 

最先端にしました。

 

 

 

高島嘉右衛門は

 

その横浜開拓事業のゆくえを

 

全部 自分の占う

 

易(えき)で

 

きめていました。

 

 

横浜にはいまでも

 

高島町や高島町駅

 

など高島の名が

 

今でものこっています。

 

 

なぜ横浜かとゆうと

 

高島嘉右衛門は

 

江戸時代のおわりに

 

外国人に小判を売った罪で

 

牢獄にいれられたことがあり

 

牢からでたあとも

 

江戸への出入りが

 

禁止だったのです。

 

 

 

時代劇でゆうと

 

江戸所払い(ところばらい)

 

とゆうものですね。

 

 

そしてその牢獄で

 

「易経(えききょう)」

 

とゆう本にであいました。

 

易経は占いの古典です。

 

 

占いの本でもあるのですが

 

処世の書でもあり

 

神託でもあり

 

昔の教養人の

 

バイブルのような本です。

 

 

 

易経には

 

陰陽をあらわす棒(?)で

 

つくった

 

64のパターンがあります。

 

 

そのパターンに

 

卦辞(かじ)爻辞(こうじ

 

といわれるコメント

 

がついています。

 

 

 

卦辞(かじ

 

爻辞(こうじ)は

 

 

3000年前の

 

中国の周(しゅう)の時代に

 

まとめられました。

 

 

 

 

もともと殷(いん=周の前の時代)

 

に国家のゆくえを占うのに

 

亀甲占い

 

(きっこううらない=亀の甲羅占い)

 

をしていました。

 

 

それが周の時代に

 

筮竹(ぜいちく)になりました。

 

 

筮竹(ぜいちく)は50本の

 

竹ひごのようなものです。

 

 

テレビドラマや映画などで

 

占い師がもっている竹の束です。

 

 

高島嘉右衛門も

 

筮竹(ぜいちく)で占いました。

 

 

その的中率は100%だったそうです。

 

 

高島嘉右衛門は

 

筮竹で占うこと以外にも

 

自分のまわりでおきている

 

シンクロ二シティ(偶然の一致)

 

から易経を通じて

 

神のメッセージを得る。

 

ようなことも

 

していました。

 


 

たとえば

 

なにかアイデアがひらめいた時

 

フと近くの小川と青空が

 

目にはいった。

 

 

上のほうに天(てん)があり

 

下のほうに沢(さわ)がある。

 

 

易経で上が天 下が沢の

 

場合は覆(り)

 

とゆう卦(け)になる。

 

 

覆(り)の卦(け)

 

の内容は

 

「虎の尾をふんでも

 

かみついてこない。」

 

 

 

だからきっと 

 

ひらめいたそのアイデアは

 

実現する過程で

 

危険なことがあるだろう。

 

しかし 

 

実現しようと

 

信念をもってすれば

 

結果的にはうまくいくだろう。

 

...みたいな感じです。

 

 

 

こうゆうのを易経の

 

卦辞(かじ)爻辞(こうじ)を

 

駆使し そのときの

 

状況自体も考慮し もっと緻密に

 

自分のまわりにあらわれた

 

卦をよんでいきました。

 

 

今からであう人とは

 

どんな会話をし

 

相手がどんなことを言うのかまで

 

わかり

 

 

自分の亡くなる年月日も

 

わかったそうです。

 

 

わたし自身

 

個人的には

 

人は直感や

 

シンクロなどを通じて

 

自分のいく道を

 

自分で選んで

 

すすんでいける

 

とおもっています。

 

 

ただ その直感の気配が

 

小さいとき

 

占いは それを

 

大きく拡大させて

 

わかりやすくするものかな〜。

 

とおもっています。

 

 

「こうしたらいいのかな?」

 

とチラッと

 

アタマをかすめた直感。

 

 

 

占って 吉とでれば

 

「この方法でもいいのか。」

 

と背中をおされたように感じ

 

自分で思いこんでいた

 

限界のストッパーをはずして

 

進んでいけることも

 

あるとおもいます。

 

 

 

高島嘉右衛門にとって

 

易は神の声を聴く。

 

とゆうことでした。

 

 

 

易経にみちびかれ

 

罪人から

 

明治の財界人にのぼりつめた

 

高島嘉右衛門の人生は

 

映画のように

 

ドラマチックです。

 

 

占いに興味のある方

 

反対に

 

占いなんて〜(笑)

 

と思う人にも

 

この本は

 

とても興味深いとおもいます。

 

 

 

 

*ちなみに易経の本があれば

 

筮竹がなくても

 

占えます。

 

 

占い方は

 

自分でサイコロを

 

偶数なら天(ー) 奇数なら地(- -) と 

 

きめて6回なげて

 

卦辞(かじ)をえます。

 

爻辞(こうじ)がほしいときは

 

サイコロを最後にもう1回投げます。

 

 

個人的には

 

精神統一して

 

真剣に邪念を払い

 

神に祈ってすると

 

結構 当たるのでは。

 

とおもいます。

 

 

*この方法で

 

占いたい場合は

 

下記の本がおすすめです。

 

 

卦辞(かじ

 

爻辞(こうじ)ものっています。

 

 

易経の本は単行本でも

 

でていますが 

 

上下2冊に

 

わかれていたりします。

 

 

この本はシンプルに

 

1冊にまとめられていて

 

みやすい表が

 

ついていたりして

 

使い勝手がいいです。

 

 

 

 


 

易経の爻辞(こうじ=コメント)は

 

シンプルなので

 

読んでも

 

意味がよくわからないこともあります。

 

上記の本をよんで

 

もっと深い意味をしりたい。

 

易経のなりたちや

 

哲学も知りたい。

 

とゆう場合は

 

こちらの本を併用するのが

 

おすすめです。↓

 

 

 

易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日Appleの創始者 

 
 

ステーブ.ジョブスの愛読書「あるヨギの自叙伝」

 
のご紹介をしました。

 

 

 

 

そのジョブスがあいたがった

 

インドの聖者が

 

ニーム.カロリ.ババとゆう人です。

 

 

ジョブスが高校生の頃の

 

1970年代は

 

ヒッピームーブメントだったのです。

 

 

ジョブスもインドにいきたくて

 

旅費をためようと思って

 

エンジニアとして働きだしました。

 

 

そしてお金をためて

 

1974年にインドにいったのですが

 

ニーム.カロリ.ババは

 

1973年にこの世を去っていました。

 

 

 

ニームカロリババは

 

マハラジとゆう愛称で

 

よばれていました。

 

 

 

ヒッピー文化のバイブルといわれる

 

「ビー.ヒア.ナウ」

 

とゆう本を書いた

 

ラム.ダスさんのお師匠さまとして

 

有名です。

 

 

ラム.ダスさんは

 

アメリカ人で

 

バーバード大学の教授でした。

 

 

大ヒットした

 

「ビー.ヒア.ナウ」

 

もいいのですが

 

個人的にはこちらの方が

 

断然 面白かったです。↓

 

 

 

 

「愛とゆう奇蹟(きせき)」

 

 

愛という奇蹟―ニーム・カロリ・ババ物語

 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

絶版本です^^"

 

 

中古ででてたら 

 

絶対 おすすめです。

 

 

著者はラム.ダスさんに

 

なっていますが

 

マハラジのまわりにいる人から

 

マハラジのエピソードを

 

きいて まとめた本です。

 

 

ニーム.カロリ.ババは

 

テレポーテーションもできるし

 

透視で当時のネール首相に

 

助言をしたり

 

インドの天然痘を

 

撲滅する手助けをしたり

 

予知もできるし

 

癒しも与えられるし

 

請われれば 

 

なんでもできるのですが

 

俗世のことは ほとんど

 

関心がなく

 

神さまの世界と

 

こちらの世界の

 

はざまにいるような人でした。

 

 

 

本を読むと

 

油断(?)するとマハラジは

 

あちらの世界にいってしまうので

 

周囲の人が一生懸命

 

ひきとめてるような

 

感じです。

 

 

なんでもできる聖者なのだけど

 

よく怒ったり

 

いたずらしたり

 

純粋な子供のような面もあって

 

お茶目で

 

チャーミングな人柄です。

 

 

 

マハラジは若い頃は

 

精神を病んだ人を癒すことで

 

インド平原で知られていました。

 

 

当時のインドでは

 

精神を病んだ人は

 

鎖につながれて 

 

つれてこられました。

 

 

マハラジは

 

ひとこと話したり一瞥したり 

 

指差すだけで

 

癒したそうです。

 

 

 

スティーブ.ジョブスが

 

もしマハラジにあっていたら

 

どうなっていたのかな?

 

とも思います。

 

 

霊的探究方面にいってしまって

 

Appleはなかったかなー?

 

 

でもマハラジは

 

執着をきらったので

 

光はどこにでもある。

 

といって送り出したかも。

 

 

会えなかったけど

 

ジョブスは

 

物質から意識(精神)へと

 

歴史をかえたい。

 

と思っていたそうなので

 

そのスピリットは

 

Appleに流れていると

 

おもいます。

 

 

 

マハラジは若い頃は

 

放浪して苦行や禁欲生活を

 

していたようですが

 

晩年は

 

バクティヨーガ

 

(献身的な神への愛によって

 

霊的に成長する)

 

でした。

 

 

日本だと観音信仰とか

 

そうゆう感じかな。

 

 

どんな奇蹟をおこしても

 

自分ではなく 

 

神がなしたまう。

 

と言っていました。

 

 

絶版でほんとうに残念ですが

 

もし本をGETするチャンスがあれば

 

おすすめです。

 

 

 

 

 

 

ところで

 

おつかいのガジェットは

 

macでしょうか?

 

i Phoneでしょうか?

 

 

Appleを創設した

 

スティーブ.ジョブスがなくなったときに

 

i padにはいっていたのが

 

この本です。

 

 

『あるヨギの自叙伝』

あるヨギの自叙伝 [ パラマハンサ・ヨガナンダ ]

 

著者はパラマハンサ.ヨガナンダさん

 

インドのヨギ(=ヨガする人)です。

 

 

分厚い本なのですが

 

よみだすと 面白くてとまりません。

 

 

 

テレポーテーションするヨギや

 

不食の人や予知をするヨギや

 

不思議な人たちが次々でてきます。

 

 

こう書くと 怪しげなかんじですが

 

深い霊的洞察に満ちた 真面目な本です。

 

 

 

19世紀おわりから20世紀はじめの

 

インドの聖賢(リシ)たちの

 

生き生きした生活や

 

霊的な体験が描写されています。

 

 

 

奇跡ともいえるお話しの

 

オンパレードなのですが

 

自分で何か実際に

 

光を見たりなど

 

不思議な体験をしたことがある方には

 

とても興味深いとおもいます。

 

 

 

また自分の人生の方向がわからない。

 

どうやって生きていったら

 

いいのかわからない。

 

とゆう時にもおすすめです。

 

 

 

読むとオーラが紫になり

 

上のチャクラが活性化します。

 

 

 

聖なる科学 真理の科学的解説 [ スワミ・ユクテスワー ]

 

「聖なる科学」

 

こちらはヨガナンダさんのお師匠様の

 

ユリ.スクワテスワさんの本。

 

 

うすい本ですが

 

西洋とインド聖典の

 

根本思想のまとめの本でもあります。

 

 

そのため 

 

むずかしいところも

 

ありますが

 

 

霊的な能力が

 

どうゆう段階をふんで

 

発達していくか。

 

 

その際どういったことに

 

気をつけたらいいか。

 

 

などのアドバイスも

 

書いてあり

 

再読するたびに発見があります。

 

 

 

「あるヨギの自叙伝」

 

を読む方には

 

おすすめです。

 

 

家にある 不思議な本の

 

ご紹介でした(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日 亀田一弘さんの透視の本を紹介した

のですが

 

以前 おあいした方で

 

 

白い紙をみると

 

そこに人物や風景の

 

映像がうかんでみえる。

 

 

とゆう方がいらっしゃいました。

 

 

今おもえば 

 

それも画相で透視の一種

 

だったのかもしれません。

 

 

 

昔から なにかを凝視して

 

透視する。

 

とゆうのは

 

いろいろあったようです。

 

 

 

代表的なのは

 

 

水晶玉をのぞくと

 

未来が見える。

 

とゆうものですね。

 

 

 

あと火のもえさしを

 

見ていると未来の映像がみえる。

 

とゆうヨーロッパの

 

女の人のことを

 

読んだことがあります。

 

 

ほかには 

 

鏡や池などの鏡面をみて

 

未来をみる。

 

 

ハリーポッターにも

 

そうゆう鏡がでてきました。

 

 

水をはった容器を見て

 

未来の配偶者の顔を見る。

 

 

とゆう水盆占いも

 

一心不乱に願って

 

集中して凝視していたら

 

画相がみえる。

 

 

とゆうことかも

 

しれません。


 

 

実際 古代の日本では

 

池のまわりに座り

 

水面をみて

 

未来を透視する行事なども

 

あったようです。

 

 

 

神社のご神体に鏡があるのも

 

古代 実際 鏡や水面をみて

 

予知などしていた人々が

 

いたのではないかと思います。

 

 

昔は日常的に危険なことが

 

おおかったから

 

透視や予知能力は結構

 

皆 普通に鍛えていたのかも

 

しれませんね。

 

 

画相は鏡の中の顔など

 

近くだと凝視

 

とおくの壁だと

 

ボーッとみると

 

みえやすいようです。

 

 

 

時間があるときに

 

眠っている能力を

 

鍛錬してみるのも

 

面白そうです^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

透視の練習方法が具体的に

 

書いてあります。

 

 

 

 

亀田一弘さんの本のことを

 

昨日書きました。

 

 

画相で透視する方法 〈復刻〉量亀流透視観相鑑 [ 亀田壱弘 ]

 

 

 

この方は

 

昭和初期に東京で銅板画(エッチング)の

 

仕事をしていました。

 

 

かなり一生懸命仕事を

 

していたそうなので

 

銅板画で絵をかいてて

 

右脳が発展したタイプなのかな?

 

とおもいます。

 

 

 

余談ですが

 

わたしの先祖も

 

その頃 

 

東京でエッチングの仕事をしていました。

 

 

大正時代から昭和初期は

 

日本の銅板画の黎明期でした。

 

 

もしかしたら

 

先祖と知り合いだったかも^^"

 

 

そう思うと ご縁を感じます。

 

透視術入門―千里眼による未来の発掘 (1985年)

透視入門に書いてある

 

透視方法は

 

目をあけてする透視

 

目を閉じてする透視

 

があります。

 

 

 

目をあけてするほうが

 

エネルギーの消耗がすくないようです。

 

 

たぶんボーっとみるためかなぁ?

 

と思います。

 

 

目を閉じてするのは

 

より集中力がいるかもしれません。

 

 

目を閉じてする透視の場合は

 

やはり眉間に意識をもっていくようでした。

 

 

目を閉じてする透視では

 

一番はやく見えるのは

 

明るいところ

 

そして周辺がみえてくる。

 

とあります。

 

 

わたしも瞑想すると

 

光がみえて

 

視界が白い光で

 

満たされて 映像がみえるときが

 

あります。

 

 

そうゆうときは

 

はじめに

 

人物とか モノの一部が

 

カラーでビビットに

 

みえてきます。

 

 

透視入門によると

 

映像がみえてきたら

 

声をだして 説明すると

 

いいそうです。

 

すると 

 

その映像が次々変わるそうです。

 

 

面白いですね(^^)

 

 

 

 

ちなみに

 

1970年代に亀田一弘さんは

 

地震や噴火をこわがっている人に

 

請われて 将来の東京を

 

透視してみたそうです。

 

 

その結果は

 

2077年の東京は

 

大丈夫だったそうです^^

 

 

 

今日も関東は雨です。

 

 

東北の方は大雨で

 

今回 被害にあわれた方には


心よりお見舞い申し上げます。

 

まだ雨の季節がつづきます。

 

どうぞ お気をつけくださいますように。

 

 

 

雨がつづいて

室内ですごすことが

おおくなりました。



先日 本棚整理をしていたら

昔購入した面白い本などが

でてきました。


いくつか

ご紹介してみたいと おもいます。


まずはじめは 

亀田壱弘(かめだいっこう)さんの

「画相(がそう)で透視する方法」です。


 

画相で透視する方法 ―【復刻】量亀流透視観相鑑(太玄社)

 




この本は

 

表向きは人相学 人相占いの本なのですが


実は透視の本なのです。



著者の亀田壱弘さんは

銅版画の画家でしたが


ある日 ヒゲをそっていると

鏡の中の自分の顔の上に

人物が3人 うごいているのが

 

小さくみえました。



そして ヒゲをそったあと

 

その3人(夫婦と子供)が

実際に家に訪問してきました。


それ以来 

 

透視の研究をはじめたそうです。


そして 人の顔の上を凝視すると

ちいさい人物がみえて

その人物のうごきかたで

予知や過去の出来事を

知ることができるように

 

 

なりました。




人の顔や白い壁の上に

小さい人物像や

風景などの映像がでてきて

透視することもできるし



目を閉じても 

透視することが

できたそうです。



透視とは


ものを透かして

見る。


とゆうことですが

ここでいう透視は

過去や未来の出来事がわかる。

=千里眼のことですね。


この本は 

顔のこのあたりに 

 

5mmから10mmの小さい人や

 

風景などの

画相があらわれたら

こうゆう事態である。



とゆう説明がいろいろ

 

詳細に書いてあるのですが

多分 著者と同じくらいの

透視能力レベルにならないと

参考にならないような気がします(^^")

 



でも 読むと面白いです。


行方不明のお父さんを

さがす依頼がきて

息子さんの顔をみると

顎(あご)の上に

 

自宅の映像がうかんできました。

 

 

お父さんは 顎の自宅をでて 

左頬にでている神社に詣でて

額にでている寺院にいって 

右頬にでている街にいって

1週間以内にまた顎の自宅に戻る。

 

 



そして 実際その通りのようでした。

こんな例がたくさん

絵とともに紹介されています。

透視の臨床カルテのような本です。


この本には


どうやってそうゆう

 

透視を研鑽したか。

 

とゆう方法は あまりかいてないのですが

絶版になった

透視術入門 亀田一弘

 

透視術入門―千里眼による未来の発掘 (1985年)

 
 
には具体的な透視方法もかいてあります。


名前がちがうのは

改名したせいです。


手に入れる機会があれば

是非(^^)




















































大雨で被害にあわれた方には
心よりお見舞い申し上げます。

まだ東日本は雨の季節がつづきます。
 
 
 

 

 

には具体的な方法もかいてあります。


*著者の名前がちがうのは

昭和40年に改名したせいです。


どちらも貴重本です。

 

 

 

亀田壱弘さんは

 

画相をみることは

 

飽きずに集中して

 

練習すると成功する。

 

とおっしゃってます。

 

 

もしかしたら

 

本来 人間のもっている

 

自然な能力かもしれません。

 

 

興味がおありの方は


2冊とも読むのがおすすめです(^^)

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

↑透視の練習方法が具体的に

かいてあります。

昨日スーパーに行ったら

お魚売り場の3分の1くらいが

タコでした。

なぜタコ??〜((@@))〜


っとおもったのですが

昨日はタコの日

だったようです。


夏至から数えて11日目の

半夏生(はんげしょう)は

タコを食べるとか・・。

しりませんでした。

その時期は田植えがおわるので

田んぼの苗がタコみたいに
根をはるように。

とのことでした。
暑くなるので 夏バテ防止にも
なるようです。



もう7月 

すっかり夏なのですね。



近所のツバメも

巣立ったようです。




ツバメのオーラ
 
ツバメは速いので 

とおくからのほうが

オーラは見やすいと思います。
昨日 亡くなるときに

触れるのは

頭まわりがいい。


とゆうのを書いていて

思い出したことがあります。


祖母がなくなる前

ずっと病院でつきそいを

していました。


病室にソファーベッドがあって

そこで夜は寝ていたのですが

自分の調子も

すごく

悪くなってしまったのです。



ちゃんと食べて 

カラダ的にも

たいした労働もしていないのに

どうして こんなにつかれる

のだろう??



病室にはいろいろな

医療機器があったので

電磁波のせいかなー??

とも おもっていました。


まだオーラも

みえてない頃だったので

場所も気にせず

寝ていたのですが

今 おもえば

寝ている場所が

祖母の足下だったことも

大きかったのかもしれません。




足先にはオーラの

黒いものが

たまりやすいのです。



(健康なときでも 

こんなカンジです)

元気に看病するためには

つきそいで寝る時は

足下でないほうが

いいですね。




そういえばお葬式後

家にはいる前に

塩をまいて それを踏んで

足の邪気払いしたり

お相撲の試合前に 土俵に

塩をまいたりするのは

気的には

理にかなっていたのかー。

と今ならおもえます(^^”)




*今日は東日本は大雨のところが

多いようです。

外出する際はお気をつけくださいますように。










先日 

親戚とはなしていたら

「俺のおじいちゃんは

孤独死だったんだよね。

田舎の一軒家で

ひとりぐらしだったから。

3日も気づかれなくって....。」


とすこし落ち込んだ

はなしになりました。




「そうなんだ。

でも 亡くなると 

さわられた近くの

チャクラ(気の出入り口)から

魂が抜けやすいので 

孤独死だと

その間 

だれにもさわられないので

アチラの世界への移行が

スムーズだたっとおもうよ。」


と言うと

スピルチャルな話も OKな人

だったので

「そっか〜。よかった。」

と言われました。



日本だと病院で

亡くなることがおおいので

なかなか 

だれにもさわられない。

ってむずかいしいです。



安置するところに

移動とかもしないと

いけないし。



愛がある触れ合いや

そのあと

心を込めて 

光をおくってあげれば

OKだと思いますが

余裕があったら

足方面ではなく

頭まわりに触れてあげると


第7チャクラ(頭長の気の出入り口)から

魂がでていきやすいかも。

とおもいます。


ペットもね。




ネコのチャクラ














オーラをみていると

どのチャクラも大事なのですが

魂の目的としては

最終的に活性化させるべきは

第7チャクラ。

(頭頂にあるチャクラ)

 .....となっているように

おもえます。



どんなに苦しんでも

カラダが病んでも

亡くなるまでに

霊的にすこしでも進化すれば

魂的には

今生は成功だった!

なのかもしれません。


第7チャクラが司るのは

天上系のこと。

神様とか仏様とか天意とか

みえない世界です。


そうゆう世界を

まったく忘れていると

生活のなかで

苦しみを通じて

あるいはトラブルなどで

第7チャクラを

活性化させるようなコトが

おきてくるように思えます。



ほらほら 思い出して〜。

みたいな感じで....。


先回り(?)して

最初から思い出していると

第7チャクラ的なことは

苦しみではなく

心が安らいで

楽しいことになることが

おおいようです。


どこかに詣でるとか

物見遊山的なこととか

お祭りとか 瞑想したり

お祈りしたり

自分にとって 

聖なる音楽を聴くとか...。


なんか 忙しくて

そーゆー余裕もなかったわ。
 

いつもの生活に

小さいトラブルが

でてきてるなー。

とゆうときは

時間をとって

第7チャクラ方面のことを

するのも おすすめです。








第7チャクラが

活性化しているとき☆