連投失礼します☆

 

ダウン症息子を産んで気付いたこと①で書ききれなかったので②に続きます(笑)

 

過去記事の抜粋だけど、気持ちの整理、再認識のためにアップしてみました。

#53#77)くらいの記事で書いてあることを抜粋しました↓

 

 

 

 

《自分を一番縛っていたものは自分》

いい子ちゃんで育ってきた私は、親や他人に認められたい、評価されたいそんな基準をもって育ってきた。

 

だからいろんな努力もしたし、努力することはいいことだと思って生きてきた。

 

その努力によってできなかったことができるようになったり、成績もよくなったり。

 

…そしたらどんどんプライドも出てくる。

 

そして人から期待された通りの自分を演じようとして(無意識に)無理をする

 

私はこのくらいできて当たり前だと自分に負荷をかけて、自分を追い詰める。

 

本当は誰もそんなこと望んでいなかったのかもしれない。

でも、私が勝手にそう思い込んでいた。

そうすることが正義、そうすることが正当な道だと思い込んでいた。

 

そうやって自分の枠を狭めて生きにくくしていたのは私自身だったってこと。

 

もっと自由に生きていいんじゃない??

 

 

 

《ダウン症は普通じゃない》

私自身は特に優勢思想を持っているつもりはなかった。

でも、明らかに競争社会のスタートラインから逸脱している息子。

 

別に、競争に勝ちたいとか人より上に行きたいとかそんな思考が強いわけじゃなかったけど、息子が既に「普通じゃない」ってことが嫌だったし、怖かったんだと思う。

 

だけど上にも書いたように

・プライドで自分の人生を作り上げてしまう生き方

・何を追いかけているのかわからない人生

・自分を縛って生きにくくしているのは自分の思考だったこと…

 

ダウン症の息子のこれから歩むであろう人生は

私が今まで苦しんできたこれらの”自分を無意識に苦しめていた事”

からかけ離れた人生なんじゃないかと思えた

 

そもそも

”普通”ってなんだ??

”常識”ってなに?
 

考えてみると、それらはこの社会の中で植え付けられたものではないかと気づく。

 

そこの根底の価値観から何か変えていかないといけないような気がした。

 

ダウン症の成人(18歳以上?)の90%以上が幸福感をもっていきているというデータを見た。

 

型にはまった”普通”って概念はなんだかわからなくなってきたけど"幸せ"ってのはその人その人の基準でつくられるもの。

幸せを感じて生きられるならそれの方が断然いいやん❢って思った。

 

この子たちは独特な価値観をもっているのだろうか。

 

私にはまだ理解できないけれど、それこそが本来の人の姿なのかもしれないと思えた。

 

 

 

《今を生きる》

ダウン症の子の発達は人それぞれ全然ちがうらしい。

 

「〇歳くらいでこんな感じの発達で、△歳くらいでこんな感じになりますよ」

なんてことは全然言えないらしいのです。

 

てことは、漠然とした将来の不安はあるものの、どの時点でのどんな状況の心配をしたらいいのかなんてわからない。

 

考えだすと無数にありすぎて頭がおかしくなりそうだ。

そして私の頭はパンク状態。

 

もうこうなったら考えても無駄だ。

 

まだ起こってもいないことをあーだこーだ考えるのは時間の無駄。杞憂ってやつだと気づいた。

 

それよりも、この時を楽しむほうがいいんじゃないかって結論に至った。

 

私は心配性な性格なので、どうしてもあれこれ考えてしまうんだけど、もうここまで想像できないことは考えようがないし、考えだすと苦しくてどこまでも不安でいっぱいになってしまいそうだ。

 

でも、私が勝手に不安になっている未来のことって、まだ何も起こっていないことなんだよね…

 

そんなわからない未来のことを考えて、今が動けなくなるくらいなら、(今っていう時間はその一瞬しかないんだから)その時その時を楽しめたら、その今が積み重なっていくだけなんじゃないかって思えてきた。

 

それに、将来のことを悪い方向悪い方向に想像していたら、本当にそんな悪い未来を引き寄せてしまうかもしれないし(;^ω^)

 

そう思うと、今まですごく勿体ない時間の過ごし方をしてきたことに気づいた。

 

 

 

《それぞれのポテンシャルを信じる》

私は娘の将来のことを心配しすぎてはいないだろうか。

娘の将来を背負おうとしていないだろうかという思いがでてきた。

 

どうしても親は子供と自分をニコイチで捉えてしまうところがある。とくにまだ小さな時期は。

 

ホント目の中に入れても痛くないってくらい娘のことは溺愛していたし(笑)

 

娘が受ける評価=自分が受ける評価みたいな。

 

ちょっと違うかもだけど、自分の所有物のような感覚⁉

 

 

将来、弟がダウン症だからって友達付き合いや、彼氏ができた時に辛い思いをしないだろうか…そんなことを考えると辛くて辛くて苦しくなる。

 

でも私は今まで障害者の人と接したことがなかったから、思いがけず自分のお腹の中からダウン症児が生まれて相当に動揺しているけれど、娘にとっては息子は生まれたときから、この弟。唯一無二の存在。

 

そう思うと、娘は私が想像する感覚とは違う感覚を感じながら成長するのかもしれない。

 

それを親の私が、それも私の価値観で「かわいそうだ」と決めつけるのは違うような気もする。

 

息子がダウン症という身体を選んで生まれてきたこと。

人は産まれる前に人生のシナリオを決めて産まれてくるそうだ。(ブループリントってやつ)

だから乗り越えられない出来事は起こらないって言われるんだね。

…だって自分で決めてきたんだから。

 

 

ホントにそうなのであれば、私が必要以上に心配するのは違うのかなと思えてきたりもする。

 

それぞれ、人はみな自分の人生を歩むためのポテンシャルをもって生まれてきているとしたら、それは息子にとってダウン症というのはそんなに重たいことではないのかもしれない。

 

娘にとって弟がダウン症というのは私が思うほどに重たいものではないのかもしれない。

 

私にできることは子供たちを信頼して見守り育てる事。

 

今の娘と今の息子が楽しく幸せで過ごせていることが何より。

 

もしかしたら娘は将来、弟のことで嫌な思いをすることもあるかもしれない。

でもきっと最終的にはそこからたくさんのことを学んでくれるのではないかと思ったりもするのです。

 

最終的には自身を幸せにできるのは自分しかいないということ。

 

だから私も人の事を偉そうに心配するのではなく、まず自分のことを大切にする‼

 

自分を信じて、自分の心を整え、前向きに楽しく生きていく‼!

 

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強制的ではあるけれど、ダウン症の息子を産んで受入れられなくて、頭をガチーンと殴られるような衝撃で…

 

今まで凝り固まっていた自分の価値観が少しずつ変わってきたんだと思う。

 

変わってきたというか、変わらざる負えない状況💦

 

そう、息子が生まれた時にスピリチュアリストの友達に

この子の存在は「ギフト」って言われた。

 

そんなことあるかい!!!!"(-""-)"怒

 

と思ったけれど、それは思っていたカタチとは全く違ったけれど今となればその意味もわかるような気がする。

 

これくらいの衝撃がなかったら私の価値観は変わる事はなかったと思うから。

 

 

でも、だからって息子がダウン症で生まれたってことは嬉しいことではないし、今でもやっぱりダウン症じゃなければいいのに…って思うことはある。

 

できるなら手術とかで治るようなものだったらよかったのに…って思う。

 

 

けれど、いろんなことを気づかせてくれた息子の存在には本当に感謝の気持ちしかない。

 

なんとも矛盾しているけれど、正直な気持ちwww