いつもいろいろダウン症の息子を産んでからの気付きだったり、考えたことなどを書いてます。
でも、自分でもわかっています。
私の受け入れはポンコツです。
今まで書いてきたことは本当に本当の素直な気持ちだし、決して強がりとかではない。
息子の事は本当に可愛いと思うし、感謝も感じている。
それでも日常で私はまだまだ現実的には受け入れきれていない自分を感じることもある。
状況その1
まだ娘の保育園の送り迎えに息子を連れて行ったことはない
最初はこんな子連れていけない
人に見られたくない
どうしたらいいかわからない…
そんな思いで連れていけなかった。
生後半年の頃に運動会があって、その頃には少し私の心も受け入れの方向に向かっていたので連れていく覚悟をしたけれど、コロナの関係で兄弟の同行は不可とのことで、お蔵入り。
その後、だんだん体重も重たくなってきた息子。
お迎えのあと娘がしばらく園庭で遊ぶことも考えたら、重たいし無理だな…と自分に言い分けして連れていかず・・・
夫が自宅にいる時は自宅に置いていくし、夫がいない時は連れていくけれどいつも車の中で待っていてもらう状態。
それでも、泣いたりすることも一切ないのでそこに甘えていつも車で待っててもらうという感じ。
もちろん空調はちゃんとしているし、何十分も一人にするわけではないのでいいかな…って感じで(;^ω^)
状況その2
犬の散歩。
娘の時は生まれてすぐから連れていっていたけれど、息子はよく寝るのでその間にサッと行って帰ってくる感じ。
最近(現在息子1歳8ヶ月)ようやくお散歩デビューしました。
もちろんまだ歩けないのでベビーカーに乗せて。
状況その3
このブログ。
出産後すぐ「ダウン症の子を出産しました」とブログで書かれている方もおられるけれど、私は生後すぐなんてそもそも思考停止してたので、文字が書けるような状態でもなかった。
生後半年ほどで気持ち的に受け入れの兆しは出てきたけれど、ブログを書こうと思い始めたのは、生後1歳になる頃。
そしてその頃書き始めたのはいいけれど、出産当時のことを思い出すとなかなか文章が進まなくて…
自分のその時の苦しかった思いに面と向かって向き合うのが苦しすぎるというか・・・
そして1歳3ヶ月くらい過ぎてからやっとその頃の心境を書けるようになってきた。
おっそ。
それに、私のブログは自分の心の部分を中心に書いていて、他の方がよく書かれているようなダウン症の子のことをとても可愛がっていて、愛情が伝わるようなブログではないので、そういう意味ではちょっと特異な切り口かもしれない。
もともと、私みたいに苦しんだ方に、私はこんな流れ、こんな気づきがあって受け入れていきましたってことを書くことで、誰かの何かの参考になればいいなと思って書き始めたという経緯がある。
自分が苦しい時に一番知りたいと思ったことを、書いておきたいと思って書き始めた。
そして私もこのブログを書くことを通して、自分の想い、その変化など、随分自分の気持ちが整理されていったように思う。
読んでくださる方がいてくれたので、ここまで書くことができたと思っていて、本当に感謝しています。
(また話がズレました(;^ω^))
状況その4
息子の1歳のお誕生日は何もしなかった
受入れの方向に気持ちは向かい始めていたとはいえ、それでもまだ「1歳おめでとう♡」なんていってお祝いするような心境じゃなかったし、息子もまだ1歳だし、そんな自覚もないんじゃない⁉みたいな感覚で、まぁいいだろう…と思い何もしなかった。
状況その5
今は赤ちゃん?でまだ可愛いけれど、大きくなって顔の特徴がでてきたら私はどう思うのかな…って少し不安になることがある
状況その6
まだ大きくなったダウン症の子の顔を見ると、モヤモヤしてしまう自分がいる
パっと思い浮かぶのはこのくらいかな…けっこう出てきたな(;^ω^)
ブログだけ読んでいると、立派なこと?書いてる割に、私全然だよって自分では思っているので、ちょっと告白的な感じで書いてみました。
だけどね、私はそれでもいいと思っているんです。
なんでかって言うと、どんな自分も受け入れることができるようになったから。
だからそんなポンコツな自分もマルっと受け入れ認めることができるようになりました。
この1年半ほどの間、今まで書いてきたようなたくさんの気付きを得る中で身についてきた感覚だと思う。
今の私はまだまだポンコツだけれど、確実に去年の今頃よりも、数カ月前よりも気持ちは前向きになっているし
確実に前よりも息子のことを「可愛い」と思えたり「愛おしい」と思えたりもしている。
それだけで十分じゃない!??って思うのです。
そして一般的にダメだといわれるような思考だったり、将来の不安がでてきたりしても
「私はこう思ってるんだな~」って思うだけになった。
人間、誰しもエゴの心が出てきてもおかしくない。
誰しも、今まで経験したことのないことを経験するのは怖い。不安になる。
それって当たり前のこと。
だから不安な気持ちが出てきても、その気持ちを感じるだけ。
その気持ちをジャッジする必要はない。
「こんなことで不安になっててどうするんだ…」
「まだ全然受け入れられてないじゃん」
以前の私ならそうやってまた自分を攻めては、気づかぬうちに自己肯定感ダダ下がりだったと思う。
やっぱり私はダメな存在だって後戻りしてしまう。
だからって逆に、そういう不安を感じてる事には薄々気づいているのに気づいかないふりをして蓋をしてしまうのも違うと思っている。
そうやって蓋をした気持ち達は行き場を失ってしまうから、心の奥深いところに根付いてしまうことになる。
これの方がたぶん後々厄介なことになるような気もする。
だから、私は気持ちを感じるだけ。
そしていつもこう思う。
思うというより、もう一人の自分が言ってくる感じ。
そんな先のこと考えても仕方ないやん。って。
これも、逃げてるように感じるかもしれないけれど、まずは「今」を大切に「今」を生きること!!
これが、以前もブログに書いたけれど、息子から教えてもらったことの一つ。
せっかくその視点を手にしたのに、なに将来のこと考えて不安になってるの!?って。
現実逃避のように思われるかもしれないけれど、私はやっぱりそこは本質だと思っています。
まだ起こってもいないことを、悪い未来を想像して、心配しすぎて過ごすのって取り越し苦労以外のなんでもないと思う。
更に言うと、そうやって悪い想像をしていることによって、その悪い未来を引き寄せてしまうことだってあるからね。
そう思うと、やっぱりどう考えても今を楽しく生きることが一番大事だって思えて仕方がないのです。
将来、もし、想像もしていなかったような悪い状況になったとしてもきっとどうにかなるんだと思う。
もちろんいろんな苦労は努力は必要かもしれないけれど。
でもその頃には一つ一つその時その時の問題をクリアしてきた自分がいるはず。
その自分はきっと今の自分よりも、精神的にも強くなっていると思うし、横のつながりとかも今より強くなっていると思う。
だからきっとどうにかできるのだと思う。
そして逆に将来思っていたよりもいい状況になったとすると、それはそれでよかったと思う。
そう、どちらにしても、どーせうまくいくんだよ。きっと。
だから、話は戻りますが、私はそんなポンコツな自分も含めて、どんな部分も否定せずに自分として受け入れています。
プラスな自分もマイナスな自分も全部ひっくるめて捉えられるようになった。
そう思えるようになって考え方がフラットになったというか、楽になってきた気がしています。