コロナ禍でお出かけブログを休止していましたが、少しずつ再開 しております。
さて、先日から8ヶ月ぶりに再開したお出かけブログですが、前回はお昼ごはん用におにぎりとおかずを買い、お鷹の道を歩き始めたところでした。
JR国分寺駅から徒歩20分ほどで、お鷹の道の入り口にやってきました。
前回も書きましたが、このあたり一帯は、尾張徳川家の御鷹場だったことから「お鷹の道」と名付けられました。
このあたりで鷹狩りをしていたんですね。
お鷹の道は、細い水路沿いに遊歩道のように歩きやすい小径が続いています。
なかなか風情がありましょう?
大きな葉っぱは、どうやら4月から6月くらいに咲く「カラー」らしい。
咲くころにはとても綺麗だそうですよ。
いたいた、この小さな巻貝が「カワニナ」。
蛍の幼虫のエサになるのだそうです。
水の中を見ていると、結構たくさんのカワニナがいました。
そして、少し歩くと一つ目の目的地「真姿の池湧水群」に到着しました。
入口には野菜や果物を売るテントがありました。
この日は、柿、ゆず、レモン、キウイ、里芋などが並んでいました。
ここで大きなレモンを見つけて買いました。
持ち帰って、カットしたらものすごくいい香りがして、レモンティーに入れたり、炭酸水に入れたりして楽しみました。
立派なレモンの木がありました。
きっとここのレモンが売られていたんだな。
真姿の池(ますがたのいけ)
こんなお話が残っています。
玉造小町という大変美しい女性が皮膚の病気になり、国分寺の薬師如来様に熱心に祈ったところ、薬師如来様の使いが現れ、この池に連れてきて「この池の水で身体を洗えば病気が治る」と言ったそうです。藁にもすがる思いで小町がこの池の水で身体を洗うと、たちまち病気が治り元の姿に戻りました。
そこから「真姿の池」と呼ばれるようになりました。
雑木林へ続くという階段がありましたが、こちらはまた今度!ってことで、またお鷹の道に向かいます。
入口に小さなあずまやがあったので、少し休憩で足を休めました。
ベンチから見ていると、思ったよりも多くの方が散策に来ていました。
意外だったのが、小さなお子様を連れたご家族や若い女性たちが多い事。
へー、そうなんだ。
蔵がありました。
緑が美しいです。
さらにお鷹の道を進むとすぐに、最後の目的地「おたかの道 湧水園」に到着しました。
右手には、長屋門という立派な門が。
っていうか、これ門なの??
おたかの道湧水園に入るには100円の入園料が必要ですが、そのチケットは、この門の向かいにある「史跡の駅」というカフェで売っています。
カフェの写真を撮り忘れました…すみません。
でも、外のテラスまで人がすごくて…っていけませんね、こんなことでは。
次からはぬかりなく。
カフェのレジで店員さんに声をかけ、入園券を購入し、この立派な門をくぐります。
この門は、1848年(弘化5年)に建てられて、国分寺市重要有形文化財に指定されています。
門?って思ったのは、このとなりに明らかに部屋があること。
門の両側は長屋になっていて、身分の低い家臣や門番が住んでいたのだそうです。
そして何やら東武ワールドクスエアのような赤い建物が。
武蔵国分寺七重塔推定復元模型
奈良時代 天平13年(741年)に聖武天皇の「国分寺建立の詔(みことのり)」によって全国60余国に「国分寺」が建立されました。
詔では、国分寺に七重塔一基を置くことが規定されていました。
武蔵国分寺の七重塔は、主要な建物の中でも最初に造られ、塔の高さはおよそ60mあったと推測されます。
創建から80年ほどたった承和2年(835年)に雷で焼失し、再建されたことが続日本後紀に記されています。
この模型は、10分の1スケールで制作されました。
おたかの道湧水園の中には、「武蔵国分寺跡資料館」があります。
展示は、武蔵国分寺跡から見つかったもの、国分寺市の文化財などが展示されてます。
私が気になったのは、武蔵国分寺の瓦。
瓦に文字が書いてあるものが見つかっています。
郡や人の名前が書いてあることが多く、入間郡の「入」や、足立郡の「足」、荏原郡の「荏」、比企郡の「比」などです。
瓦を造るときにお金を出した人の名前なのでしょうかね。
以前NHK「ブラタモリ」にも登場した観音像の展示ケースには、「ブラタモリに取り上げられました!」と誇らしげに書いてあったのが面白かったです。
それほど広くない展示スペースなので、ゆっくり見ても30分くらいで十分見られると思います。
また各展示室には、密を防ぐために定員が書かれていました。
用紙を渡され、訪ねた時間と退出した時間を書き、連絡先をも書かされました。
もし、同じ時間に館内にいた人がコロナにかかったら連絡が来るということでした。
2週間経ちましたが、幸い私のところには連絡がありませんでした
庭には、秋の花が咲き、実がついていました。
※撮影 2020年10月25日
フジバカマ
ミズヒキ
シュウメイギク
湧水源はあそこ!という矢印を見つけました。
あの空洞のあたりですね。
気付いたら、足元にどんぐりがいっぱい落ちていました。
万両かな、かわいいですね。
ホトトギス
柄が…。
立派な蔵のすぐとなりに、テーブル&イスがたくさん置いてありました。
ここでお昼を頂こうかな。
そう、加藤けんぴ店で購入したおにぎりをやっといただけます。
1人2個ずつ買いました。
同行者は、たらこと梅干し(さすが王道の男)
私はぎんなんとたらこ。
本当は違うものにしたかったんですけど、魚卵好きとしてはどうしてもたらこが食べたかったんですよねぇ。
そして、1パック500円のおかずがこちら。
おいしそう!!
だし巻き玉子、ほうれん草のごま和え、じゃが芋とセロリのカレー炒め、鶏の塩麴焼。
だし巻き玉子は、青菜入りと鶏そぼろ入りでした。
どれも丁寧に作ってあって、おいしかったなぁ。
さらに、気になるぎんなんおにぎりはこちら!
小ぶりだけど、玄米はもっちもちだし、程よい塩味で銀杏もむにむにしていてとってもおいしかったです。
もう1個かってくればよかったなぁ!
たらこおにぎりももちろんおいしかったです。
そして、まだお腹に余裕があるので、その前に買っていた輪島さんのおだんごも食べることにしました。
醤油味の焼だんごと、ごまみたらしのおだんご。
ごまみたらしの方は、母へのお土産。
私達はしょっぱいおだんごが好きなので
食べてみると、街の和菓子屋さんみたいな味。
まあ正直1本80円ですからそれなりの味ですが、いろんな味を試してみるのにぴったりでした。
ゆっくり休んで、さあ、あともう少し歩きましょう。
10月25日と少し前なので、柿の葉の紅葉が始まったばかりでした。
突然道路?に現れた門。
これはすごく昔っぽいな。
これは国分寺門前にあった楼門で、国分寺市重要文化財にしていされているそうです。
楼門をくぐるとあったのは…。
何とも趣のあるお寺。
もちろんこれが現在の…
真言宗豊山派 武蔵国分寺です。
彫刻がすごい。
分倍河原の戦い(1333年)で武蔵国分寺は焼失しましたが、新田義貞の寄進により薬師堂が1335年に再建、本堂は享保10年(1725年)に再建されました。
現在の本堂は、昭和60年に改築されたものです。
武蔵国分寺の中には、「万葉植物園」があると聞いたので少し境内を歩いてみました。
ここには、万葉集の中に登場する植物が約160種植えられているそうです。
植物は、先代住職 星野亮勝さんが昭和25年から38年まで独力で採取したものです。
なぜ万葉集なのかというと、武蔵国分寺が建立されたころに編まれていた歌集だからだそうです。
どこだどこだ?
ああ、ここだ。
えーと。
たしかに植物の名前と歌が書かれているのですが、肝心な植物がどれなのかわからず…。
今の季節だから枯れちゃったのかな。
立て札だけが乱立しているみたいでちょっと怖い。
きっと、春とか花の咲くころに来たら、もっとわかりやすいはず。
今度訪ねる時はきっと春に。
さらにここから5分くらい歩くと、武蔵国分寺跡があります。
せっかくなので行ってみましょうね。
先ほども書きましたが、聖武天皇は疫病や地震などの災難が続いた国を、仏の力で安定させるために諸国に国分寺の建立を命じました。
武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡に比べて規模が大きく、歴史的重要性が認められ、国指定史跡に指定されています。
講堂跡 経典の講義などが行われていた場所なんだとか。
子どもたちが普通に駆け回っていて、地元の方の生活とともにある感じがしてよかったです。
さあ、行きたかったお店、行きたかった場所もすべて巡った旅もそろそろおしまい。
JR西国分寺駅を目指して帰りましょう。
行きは国分寺駅から歩きましたが、帰りは西国分寺駅から帰ります。
少し近いですから。
…ん?
桜の花が!!
古そうな桜の木の上の方に3輪だけ桜が咲いていました。
間違って咲いちゃったのかしら。
せめてたくさんの方に見て頂けますように。
ありがとねー!
這うようにして急な坂道を上がり…ホント国分寺なめたらいかん。
ん?あれはなんだ。
東京都公文書館が2020年4月に世田谷区から国分寺市に移転してきたのだそうです。
となりは、以前訪ねた東京都立多摩図書館です。