いきなりこんな話であれなんですけど
 
(まあいつも通りといえばいつも通り)
 
 
魂とか、生まれ変わりって信じてます?
 
 
私は信じてます。
 
 
祖母が神様とか天国とか地獄とかの話をよくしてくれて、それを聞くのが好きでした。
 
 
祖母の家に置いてあった地獄の本とか、妖怪の本とか、怖いけどキャーキャー言いながら読んでいたのは良い思い出。(本にあった蛇女が一番怖かった、鬼滅の刃の伊黒さんの生家にいた蛇鬼がまさにそれ)
 
 
 
その影響か、あの世的なものもあるだろうし、生まれ変わりもある、と思ってます。
 
 
で、なんでいきなりこんなことを書こうかと思ったかというと、先日母の日に母の修業をしたんですけど
 

 

 

 

 

25kgの長男を背負って雨に降られて重たいしべとべとするし膝は痛いし(婆)

 

って時にふと、

 

 

こういうのを感じる為に生まれてきたんだな

 

 

って思ったんですよね。

 

 

多分、死んで肉体がなくなって、魂?みたいな、質量の無いものになったら(魂に質量があるのかないのか量ったことないから分からないけど)、こういう重さとか不快な感じも無いし、同時に暖かさや柔らかさみたいな心地よい感触も無い。(だろう)
 
 
 
肉体を持って生まれる、と決めたとき、きっとワクワクしたと思うんです。
 
それこそ海外や遊園地に遊びにいくような。
 
見たことも聞いたこともないものをたくさん体験できる!って。

最新のアトラクションに乗ったり、4DXの映画を観るようなワクワク。
 
 
 
肉体があるからこそ感じることができること、そこから広がる感情、快も不快も含めて、あの世の存在からしたらエンタメでしかないのかもしれない。
 
 
だからといって肉体を持って地球時間で40年、痛みも苦しみもエンターテイメントだぜ!という境地には至らず痛いものは痛いし、辛いものはつらいし、だるい時はだるいんですけど。
 
 
それと同時に、子どもを抱いた時の重さ、暖かさ、柔らかさ、におい、を感じると、こういうのを感じたくて肉体を持って生まれてきたかったんだろうなとも思う。
 
 
肉体って重いし劣化するしメンテナンス大変だし燃費悪いし地球の重力って大変、て思うんだけど、どうせなら肉体がないと味わえない色々を堪能しつくしてやる、というマインドでいたら辛いのも苦しいのも少しは頑張れるかなって山道下りながら思ったことを書いてみました。

劣化も含めエンタメ…
 


 
だから人は滝行などという狂気の沙汰を好んで体験しに行くのかもしれない。


4DXの滝行!!ウェーイ!!!


人はそれを現実逃避という。