内観とは

 

  1. 心理

    《名・ス他》

    自分自身の精神状態やその動きを内面的に観察すること。また、その方法。内省。

 

だそうです。



 

先日の香り作り体験で6歳のころの経験がブロックになっている、という話から盛大な独り言を垂れ流したのですけど。

 

 

 

 

これについてちょっと認識に間違いがあったな、という独り言へのアンサーをまた独り言としてつらつら書いていくので、アラフォーのおばちゃんの内観なんてどうでもいいと思う人は閉じてね。

 


 

6歳の頃のブロックって、

他県から引っ越してきた異人として

「本当の自分を出してはいけない」

「目立ってはいけない」

「だけど本当はもっとすごい!」

 

だと思っていたのですけど、


 

どう考えても記憶の中の自分は自分を抑えようとはしてなかったし目立つのも大好きだったんですよね。




きのこちゃんて変わってるね


 

と言われるのが嬉しかったし(偏印過ぎてウケる)

 


周りの子よりなぜか勉強もできて運動も出来た自分に価値があり、移住先でも認められて居場所を作ることがてきた、と思ってたんです。

 

 


だから先日の記事も読みかえしてなんかちょっと違うな、なんだろうなこの違和感はと考えてたところ、

 

「変わってる自分」

「ちょっとデキる自分」

 

じゃないと周りに認めてもらえないと6歳の引っ越しの経験から思い込むようになって、それがブロックになってるのではないかなと気づいて。

 

 

 

小さい頃は他県から引っ越してきただけで珍しがられるような田舎で多少目立っていたかもしれないけど

 



大きくなればそんなラベルもはがれて、自分よりも純粋に顔がかわいい子、おしゃれな子、モテる子、いい学校に行った子、いい仕事に就いた人、大きな家を建てた人、SNSで活躍してる人、たくさんお金を稼いでいる人、人の役に立ち社会をより良くしている人達が沢山いて、

 

 


・アラフォー既婚

・2児の母

・専業主婦(パートを始めるとしたら時給950円から)

・地方都市賃貸住まい

 


 

というお世辞にも「すごいね!」と言えるようなラベルの無い自分など

 

「無価値」

 

と自分で勝手に思い込んでいたんだなと。

 

 


 

実際長野から岡山に引っ越してきた際に転職活動をして、自分の履歴だと労働者としての市場価値がとても低いことを知りました。




その履歴も自分で全て決めてきたこと。今までの自分の選択が全て誤っていて取り返しのつかないところまで来てしまったと、自信が崩壊しました。

 


 

確かに怠け者なところは認めるけど、それなりに学生の頃は勉強も頑張ったし、結婚出産してからはフルタイムワーママも頑張ってきたのに、今まで積み上げてきたものは社会では価値がないと評価されるのだと。

 



 

けど違った。


 

 

「すごいラベル」がなくても、人には不変の価値がある。




生まれた時から無印の良品だった。


 

 

もちろん、自分だけが特別、と言いたいわけではなくて、まあ突き詰めればそうなんだけど、その特別に上下はなくて、社会から、人から評価されるものでもなくて、自分で自分の価値を認めてあげればそれで充分。

 


 

根拠のない自信というか、どんな状況でも、数字で評価されないできない、揺るがない価値を勝手に自分で自分に認めればそれでいい。

 


 

今まで自己肯定感って言葉がすごく嫌いだったのですけど、これが自己肯定感というものか、と、ある日突然なんだか急に腑に落ちました。

 

 


占いで鑑定の募集をするときも予約が埋まらなくて人気が無くて恥ずかしい、やっぱり自分には魅力も価値もないんだ、と思い知るのが怖くてなかなか開業する勇気もなかったし、自営業です、と名乗ることにも抵抗がいまだにあるけど

 

 


だとしても私という人間を否定する材料にはならない、

 

 


と、急に、ふと、根っこが生える感覚で思えるようになりました。

 

 


 

前職でウェディングの仕事をしていた関係で牧師の話を毎日聞いていて、

 

「皆神様に愛されている存在です」

とか

「私の目にはあなたは高価で貴い」

とか

 


本当に毎日毎日聞いていたけれど、言葉の上辺を聞いていただけで全然理解できていなかった。



まあ言いたいことはわかるし暖かい言葉だなとは思うけど、だからといってそんなきれいごと・・・と心のどこかで思っていたのだけど

 

 


え、その通りじゃん

 

なんだよ10年前からずっと聞かされていたのかよ

 

 

と、やっとなんだか聖書が世界中で読み継がれている理由が分かった気がしました。

 

あ、べつに、だからと言って「今日から私はキリスト教徒です、みんな一緒に聖書よもうぜ!」って言いたいわけではなく。


 

 

2000年以上前から「自己肯定感」というものは人間の課題だったんですね。

 

 

 

なんか急に宗教の方に話が飛んだのですけど、なんかもうこれって、何かのきっかけで自分で気づかないと腹から自分の価値を認めるって難しすぎる。

 


 

親としてはこどもに自己肯定感を持ってもらいたいって思うけど、親から愛されていた自信のある私ですらこんなんだから、親がいくら頑張っても自己肯定感を持てる子は持てるし持てない子は持てない、の境地なんじゃないかと思う。もちろん我が子には愛を伝え続けるけど。

 

 

そして



おめでとう!自己肯定感持てました!

やったー!

これですべて解決!



というわけではなく

 


この自己肯定感を持って、理想があるなら小さく行動していくことが大事だなと思ってます。

 


で、これをこんなとこに晒して人に読んでもらって、




みんなも今日から自己肯定感爆上げしていきましょう!わたしにもできたからあなたにもできる!




と思ってもらいたいわけでもなく。



なんか忘れてはいけない大事なことだなと感じたので頭の中を言語化するトレーニングと思いつらつらと書いた次第です。



(アウトプットすると内から出たものを再吸収できるから盤石になる。)


 



はい、以上が盛大な独り言パート2。

お目汚し失礼しました。

 


そしてご縁あり最後までお読みいただいた皆様ありがとうございました。

 

 




なんとなく、この記事に書いた中心星がコンプレックスになる感じと繋がると思ってます。