テポドン1@R2 SSSからの出発日記

メラメラ今の俺に大切なものは湾岸仲間メラメラ

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20年一緒だったペットの亀が亡くなった。

 冬が近くなるとペットの

 

 アカッピッピミシミシガメ!?

 

 いやいやミシシッピアカミミガメたちは部屋の中で過ごします。もう飼い始めて20年。きっと人間でいえば爺さんと婆さん亀。

 

 息子が小学1年生の時にホーマックで買った。

 

 水槽の中で「おじさん連れてってー!」って呼ばれた気がしたので、かわいくて買ってしまった。

 

 つけた名前はフセインとキムジョンイル。あの頃ニュースでよく出ていた名前。

 

 フー(フセイン)は雌だった。

5歳か6歳の時に卵を5個も産んだ元気もの。以来苦しかったのか産まなくなった。

 

 今回亡くなったのは雄の亀、その子の話です。

 

 キム(キムジョンイル)は雄でちょっと甲羅が富士山のようにもりあがった奇形があった。

 小さいころ水中の鉢の下敷きになり溺れそうになった。

 玄関で冬を過ごした時、水槽のヒーターの電源が切れていて凍死寸前。眼だけで「たすけろー!」と訴えていたこともあった。

 

 何年か前から名前が変わり、コヤジと呼ばれていたキム。それでも昨年までは元気に育って衣装ケースの底から私を見ては呪って楽しんでいたのだが、、さすがに寄る年波で、この春から右手が不自由になり動かなくなった。

 

 9月から食事もほとんど食べずにじっと過ごす日が多くなった。

 

 俺とコヤジ、老々介護です。

 

 動かなくなった右手、固まらないように毎日行っていたマッサージ、手の指で温めて血流を良くしてあげた手のひら、食事の介助はエビを細かくして与えていた。

 

 昨夜、最後の排便があったが、ほとんど体内から出たのは緑色の藻のようなもの。

 

 不安がいっぱい。今年を乗り越えられるか毎日心配だった。

 

 朝、目が落ち込み動きかなかった。心拍がなくなると一気に体中の張りがなくなっていた。

 

 息子には見せなかったけれど、涙がこぼれた。今も涙がこぼれおちそう。

 「俺が先かコヤジ、お前が先か」ってよく面と向かって話あっていたけれど・・・。

以前はキカナイ眼差しでニタリと笑っていたんだよな。

 

 庭の畑にお墓を作った。

 

 地中深く埋めるとき、涙がこぼれそうになる。いや、こぼれていた。

 

 書いているいまも・・・。

 

 「コヤジよ、また会おうな。」

 

 合掌。

 

北の国から

 手術から半年。

 

 コルセットが外れて生活はずいぶんと楽になりました。足の痛みはなくなりましたが時々しびれます。

 

 結構左足の筋力の回復に手間取りベッドにつくと ジーンとしびれることもあります。

 

 

 ほかの人より治りが遅かったので、慎重にゆっくりと暮らしております。

 

 

 コロナ騒動で、ちょっとTVをつけてもどこのチャンネルも同じ、恐怖のコロナ騒動とあおり。それなら年齢的にも体調から言っても 「かかればイチコロ」なんだな、俺は。

 

 そこで 今日は 久方ぶりの道央遠征。ご近所のお友達に旭川で興部牛乳のお土産を買いに ドライブでーす!車の中は息子と二人だから好き勝手な会話。

 

 月形近辺。HKSの話。

 

 砂川深川あたりでは、えーマジ!さんの初戦敗退カードポイすて大会事件。

 

 旭川はなんか一杯やばい話・・・。

 

           なんか、むっかしを思い出しちゃったぁ。

 

 帰りは留萌から日本海を見ながら帰ろうかなんて言ってたんだけれど。

 

 大笑いしながら旭川について牛乳を買おうと思ったら息子がどこに売ってるのか場所がわからない。旭川空港が一番いいみたいと言うので 留萌とは正反対の空港へ。

 

 ガラガラ。興部牛乳2本1512円、すごくフツーに見えるクロワッサン1個300円。ン?1個300円!?高すぎてやめた。

 

  「とりあえず、お土産は買ったので、さて帰りはどうする?海か?」とおやじ。

 

  「どっちでもいい。」 優柔不断な息子。

 

 

 帰りはハヤテさんの生まれ故郷?富良野を通って 「北の国からめぐり」をすることになった。

 

 2週間くらい前からチャンネル猫で放送が始まっていたので見てたんだ。新作でやってた頃はテーマ曲の「あああー」が嫌いで見なかった。

 

 でもあの当時の時代の記憶がストリーより自分の記憶がオーバーラップして、正直  「感動」 しながら見ていたのだ。

 

 息子も「『五郎さんの家』 見に行くかい?」なんて言うものだから。

 

 それでそこから富良野の麓郷を目指した。2時間ほどかかって6時ころ北の国共和国に到着。17時30分閉園でだれーもいなかった。

 

 

 みどころはたくさんあるが、事務所は既にしまっている。パスポート1500円も買えないので、遠くから見た

 

 

 拾ってきた家が50mほど先に見えた。

 

 2番目に作った石の家が近くにあるようだ。貸自転車があるからそれで行けってことなのかな。

 

 とりあえず車で移動。片道3kmほどの上り道。チャリなら俺死ぬな。

 


 やっぱここもだーれもいない。でも静かでよかったよ。石の家はここからさらに中に入り坂道を登ったところにあるらしい。

 

 今回は場所が分かったから 人生に余裕があれば また来ようと思ってる。

 

 

 なんか最近 涙もろくなって すぐに感動しちまうようになったよ。

 

 それでは  また。

退院してひと月 ほっ...。

 こんばんは。
50代に入ると苦しいことが多いですよね。湾岸やってていじめられても苦しくないけどねぇ。

 えーマジさんのきもちわかるなぁ。



 今俺は60代に。

 

 今、「僕は」とっても苦しい。胸いっぱいにきれいな空気を吸いたいと思うけど

 

それができない。

    (大きく胸が開けない 努力しても そんな感覚がいつも残る。)

 

 心療内科のお医者さんに「苦しくても呼吸が止まることありませんから・・。」

 

 そうなんだよね。動悸が激しくなり、べったりと首筋に汗をかき、何も手につかずウロウロする。しまいには真夜中に床拭き、壁拭き。 お掃除です。 何してんだか。

 

 そうでもしないと

 

   「なーんかいっそ死んじゃったほうがらくじゃない?」なんてささやきが部屋の隅から聞こえてきそうな気がする。

 

 

  安定剤を舌のしたでゆっくりと溶かし睡眠導入剤も飲む。

 

  不安な気持ちを無理やりの眠気で押しつぶすのね。幸いまだ効いてくれる薬があるから助かるな。

 

 ちょっと退院してから(今週で一月になります)一人で過ごす夜中が多くて薬に頼る場面が多くなった。

 

 入院中は、やさしい看護婦さんたちとお話をすることでずいぶんと心が癒されました。ほんとに素敵な方たちばかりなんです。

 

 それが定期通院の時だけになってしまったので寂しい。

 

 心の問題は、お話しできる人が一人でもいることが大切なんだと思うんだ。

 

 

 これが老人性うつ病の始まりかもな。

 

 早く腰を治して、えーマジ!さんのようにたくさんドライブに行きたい。バイクに乗ってツーリングに行きたい。

 腰の完治には(コルセットが外れる)後3か月。普通の生活には1年って言われた。

 

 そのころまでにコロナ おさまってほしいな。 さもなきゃ俺はかかったらまず死ぬしな。

 

 政治家たちよ。自分のことばかり考えていたら今の立場はなくなるよ。

 

 さすがに家の壁に20年以上貼ってあった自民党の看板、恥ずかしくて外してもらいました。

 

 安倍さんも習近平を国賓で迎えるあたりからおかしかったよね。

 

 

 これからしばらくは日本暗黒時代が始まるな。(世紀末救世主が出てこないと困ったことになるぞ。)

 

 

 さあ、世紀末の始まりだ。

 

 

 

 

 かれこれ1時間ほど薬が効き始めてきて眠たい。

 

 入院していた時の入眠のルーティンワーク 「ポッドキャスト」

 

 

 薬が効いてると目をつむるといつの間にか朝になって  「生きてる」

 

 

 思った生き方とは違うけど自分の体と社会の状況からこれで仕方ないと納得するしかないね。

 

 おやすみなさい。

 

13日の金曜日

 二度目の手術が終わり8日目。抜糸の日なのです。

 なぜか先生は半分しか抜糸して下さいませんでした。

 残りは明日に。

 という事はまた退院が伸びました。

 またまた上手くくっついていないのかな?

 明日、全部抜糸か、終わって

   今日退院!って言われたら、

 13日の金曜日にコロナウイルス真っ只中にほぼ抵抗力なしで出されちゃうのね。


 湾岸と同じサバイバルイベントだな。

2度目の手術

 一月末に手術した後、予後があまり良くなく、本日二度目の再手術になりました。

 内部で使った糸と、身体の相性が合わなくて、再度開いて、洗浄(ゴリゴリ、ブシュー、ジュルジュルいってたみたい)、皮膚はホッチキスでパッチン。
 場所によっては七連発くらい撃たれた。

 霞のケンシロウ君が張太炎に必殺技喰らった感じを思い出してもらえると、まさにあの感じですかね。


 退院できる頃には、いまのコロナ騒動が収まってくれるといいな。

 だってマスク買う暇なかったモン!

昨夜の雪



 昨夜からの雪でくるぶしほど積もった。
 5時くらいから近所の除雪機が動き出す。

 二月、何度かこの音で目を覚ました。

 昨夜、市のグレーダーが路肩の雪をおおかたまくって行った。

 向かいの駐車場も、朝からの仕事だなぁと思いながら睡眠薬に負けて眠りについた。

何時も5時前に目覚めさせてくれるロータリーのエンジンがかからない。

 カーテンを静かに開けて下を見る。

 いつも作業して方が半分近く手作業で雪を押し続けていた。車10台分ほども。
汗をかいたのか紺のジャケットは脇に脱いでいた。

 再度ロータリーのエンジンをかけた。ややしばらくして、ようやく息を吹き返して、残った半分と歩道で仕事を終えた。

 病室の窓からしか見続ける事が出来ない自分が情けなかった。

 しかも彼は私の知人であった。

75歳万歳?

先日の検査の結果だと、私の血管の推定年齢は 75歳 だと。

ドクターは優しく、「詰まりも無いし、流れもいいですよー。」


そう言われても、しっかりと 75歳 とプリントされると なんとも言えねー。

万が一、75歳まで生きた時、このテストしたら 100歳 近くになっているな。


夜になると、痛みが増して、ちょい辛い。

明日は今日のCTの結果を見るみたい。
後、レントゲン撮影。

けっこう放射線まみれです。

傷痕大公開。

先週抜糸しました。



シャワーの後の 自撮り。

あんまり身体をひねることが出来ないけど、一生懸命とりました。

たいしてジジイのけつなんか見たくないよねー。

まだ少し痛みがあるけど、手術前に比べれば雲泥の差。

それでも退院までは未だ遠いないぁ。

三次元の生活が始まる

朝の回診で抜糸。

今日では糸ではなく医療用ホッチキス。二十数個はずしました。

これでようやく3階だけの生活から1階まで行ける生活ができるようになりました。

レントゲン終わり、あったかいコーヒー飲みたくて自販機にたどり着き、100円入れた。

ガシャ!

と音が聞こえて、氷。

寒いフロアーでアイスコーヒー飲みましょか。

血の気多し?

術後4日目。背中の血液パックが取れるかもしれないって看護師さんたちに言われていたけど、残念だけど今日はパス。

まだまだ血が出ることもありそう。

普段の行いが良くないか、血の気が多いから?

シャワーも浴びることも出来ないのが辛い。


痛みがなくなってくると  暇だなぁ。

と、昨夜投稿しようと思ったら、時間切れ。

9時消灯って早くないかい。まるで小学生だね。

朝の回診でようやく慣れた血液パック君が外されました。

ヌルッヌルッって抜かれました。

俺の身体全体的に回復力がないのか、タラタラと血が滴っているらしい。明日もこのままだと 縫いますねーと言われた。

元気なんだか、ひっ乾びてんだか。
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