おはようございます、4児母mimi4ですニコニコ

1ヶ月ほど前、
心療内科で「今つらいこと」だけでなく
「私は障害があると思うから調べたい。」と
相談しました。

専門病院での検査予約は10月以降になるそうです。

しかも予約は7月から。

その間に、
障害があると思う理由3つを振り返っています。
  • 幼少期のこと
  • 学生時代のこと
  • 結婚後のこと

心療内科で
「どーして障害があると思うの?」と聞かれ

「コミュニケーションが苦手な気がして、
 なんとなく生きづらくて…」

と、ふわっとしたことしか言えませんでした。

なので、
自分を知るために振り返っています。

サクッと振り返るつもりが、
学生時代が長くなってしまいました魂が抜ける

やっと結婚後のことです笑

結婚1回目

群馬でNと生活していたところ、
妊娠が発覚。

あまり深く考えずに結婚することになった。

といっても、
結婚となると親に報告しなければならなかった。

ただの結婚報告ではなく、デキ婚。

「授かり婚」という言葉が出始めた頃だった。

当時は「できちゃった結婚」はあまり良いイメージじゃなかったし、

私の親にとっては最悪のイメージだった。

久しぶりに実家に帰り、
恐る恐る報告した。

案の定、呆れていた。

「結婚するなら絶縁します。」

そう言いながら、
結婚式だけは挙げさせてくれた。




長男出産

無事に結婚式を終えて、
私達は私の実家の近くに引っ越した。

親とは絶縁するのに。

飲食店の契約社員だったNは、
近くの映画館の契約社員になった。

そして
私は24歳のとき、無事に長男を出産した。

一人目の育児で、
私はすっかり育児ノイローゼになった。

長男はすごく可愛いのに、
夫になったNにとにかくイライラした。

2人とも未熟だった。

毎日のようにケンカをして、
物を投げつけてガラスが割れることもあった。

契約社員のNの給料では生活もやっとだった。

でも親には頼れなかった。

絶縁された親に、絶対自分から連絡したくなかった。

浮気?DV?

長男が生まれてから、
Nは仕事の帰りが遅くなった。

休みも少なくなった。

私は浮気を疑った。

長男がいて身動き取れず、
証拠を探すこともできなかった。

被害妄想かもしれない。

大声で怒鳴られることもあった。

殴られそうになったこともあった。

怖かった。

私も負けじと怒鳴ったし、

物を投げつけて抵抗した。

私が抵抗できてたから
この程度はDVには入らないのかもしれない。

世の中にはもっとツラい思いしてる人がたくさんいる。

私がいけないんだ。

そう言い聞かせた。

救いの手

長男が5ヶ月になった頃、
久しぶりに高校の友達Fが会いに来てくれた。

友達Fは私を見て驚いた。

ふくよかだった高校時代からは想像もつかないほど
痩せ細っていた。

自分では気付かないうちに
顔色も悪くガリガリになっていた。

そんな私を心配して、
友達Fは食材を送ってくれた。

そして、
私の親に連絡をしたらしい。

実家

友達Fが来てくれた後、

しばらくしてから突然
絶縁したはずの親が訪ねてきた。

痩せ細って顔色の悪い私。
散乱した部屋。

「とりあえず帰ってきなさい。」

詳しくは聞いてこなかった。

聞かなくても分かる状況だったんだろう。

私は長男を連れて実家に帰ることになった。

長男が6ヶ月のときだった。

協議離婚不成立

実家に帰ってまず言われたこと。

それは
「ほら、だからやめた方が良いって言ったでしょ。」

「あなたのことはママが一番分かってるのよ。」

母は嬉しそうだった。

私が母の思い通りに失敗したから。

そして、
離婚に向けて話を進めた。

Nの両親と私の両親もそろって、
話し合いが行われた。

Nの両親はひたすら謝っていた。

でも
Nは謝らなかった。

私も謝らなかった。

Nは「離婚したくない、
親権も渡したくない」と言い始めた。

まともに働いたことのない私は、
泣くことしか出来なかった。

でも
Nも子育てにほとんど参加していなかった。

Nは自分が親権を欲しい訳じゃなく、
Nの両親にとっての初孫を手放したくなかっただけだと思う。

私は絶対に長男と離れたくなかった。

結局、話は平行線のまま。

協議離婚は不成立。

離婚調停することになった。

離婚準備

私は調停で不利にならないよーに、
長男を連れてすぐハローワークに行った。

長男を連れて行っても平気な
マザーズハローワークを予約して行った。

運良く、
すぐ近くで正社員の事務職を紹介してもらえた。

そして、
市役所に行って保育園も申請した。

これまた運良く
空きのある保育園にすぐ入れることになった。

本当に運が良かった。

いつまでも実家の世話にはなりたくなくて、
子供と生きていくために必死だった。

私も母親になって少し強くなった気がした。

離婚調停

離婚調停は思うように進まず、
ただただ時間だけが過ぎていった。

3回ほど長男を連れて裁判所へ出向いた。

Nから少しでも養育費を貰うために、
親権を渡さないために必死だった。

でも
裁判官から言われるのは毎回同じ言葉。

「Nさんは離婚したくないみたいですよ。」

「もう一度やり直してみては?」

私は相談しに来た訳じゃない。

離婚するために来たのに…
調停は1ヶ月に1回、収入印紙2万円。

3回目にはNが出向しなかった。

時間とお金のムダだ。

もう養育費は諦めよう。

離婚成立

職場にも慣れ、
自分の収入がしっかり貰えるようになった。

子供のためなら頑張れた。

「もう養育費はいらないから
とりあえず離婚してください。」

この頃には、
Nが親権を欲しがることはなかった。

別居してから8ヶ月も経ってしまった。

長男はもう1歳2ヶ月になっていた。

やっと離婚が成立した。



つづく…