ハリケーンカトリーナがニューオリンズを襲ってから、丸3年が過ぎた。
今年もハリケーンシーズンがやってきて、来週月曜日にもハリケーンがニューオリンズにくるかもしれない、らしい。
ニューオリンズの友人たちから、また、くるかもしれない。と、次々電話が入る。
LAにやってきてから、よくカトリーナの被害について聞かれ、そして、よく言われたのが、
そんなにしょっちゅうハリケーンに襲われる、しかも海抜以下の街に、なんでみな好き好んで住んでいるのか
といったもの。
これって、なんというか、
知ってて住んでるんだから、自業自得だろ┐( ̄ヘ ̄)┌
みたいなものが感じられて、あまり気分のいいものではない。
ニューオリンズはアメリカでも有数の観光地だし、もちろん、人々の生活設備もきちんと整った、れっきとした近代都市だ。
ハリケーンがくるから住まなきゃいい
と、一言ですますわけにはいかないだろうに。
とはいえ、避難中は友人知人はもちろん、見ず知らずの人たちにも、とてもお世話になった。
車のナンバープレートでルイジアナから来たと分かれば、みな声をかけてくれた。ガソリンスタンドで、ガソリン代を払ってくれた人。食事をすべておごってくれたウエイトレス。避難先の友人宅には、山のような食料が届けられた。シェルターでは快く犬をあずかってくれたし、仕事探しやアパート探しにも、多くの助けを借りた。
LAで避難中、日本食レストランがたくさん集まる通りがあるから、気晴らしに行ってくるといい、と友人に言われ、ある夜、ちょっと出かけてみた。
日本食レストランなんて街に数件しかない、というニューオリンズから来た私には、通りのどっちを向いても日本食レストランがある、という光景は、かなりめずらしく、しばらくあちこち見て回ってから、一件のレストランに入った。
入ってみれば、働く人はみな日本人、ちらほら見える客も日本人が多い、日本語のメニューがあたりまえに貼りだしてあって、入り口には日系の新聞までおいてある。
すごい。(°д°;)
かなりきょろきょろしながら店内に入り、カウンターに座っても落ち着きなく、あちこちを見ていたので、前に立っていたスシマンは、なにか感ずるものがあったのだろう。
ご近所にお住まいですか?(;^_^A
私は、答えた。
いえ、ニューオリンズからです。(^_^;)
この先の会話はだいたい予測できた。いろいろ尋ねられるのだろうが、まだ自分たちにも分からないことが多すぎた。かまえていると、彼は、かなり私の予想を裏切る質問をした。
へー。いいところですね。L.A.には、何日くらいご滞在ですか?(・∀・)
え、知らないんですか?(゜д゜;)
といいますと、何が?(;^_^A
私はこの時、ニューオリンズを出てはじめて、実はハリケーンに襲われまして避難生活中です、という説明をしたと思う。
どこへ行っても、え、ニューオリンズから? 家は大丈夫か? いつか戻れるのか? 家族はみな無事か? 何か手伝えることはあるか?と尋ねられることに、私は慣れっこになっていたのかもしれない。ちょっとした悲劇のヒロイン扱いされることに、驕っていたのかもしれない、と反省した。
けど、まったく知らないって…。orz
実際、その店のスシマンたちはみな、私が世紀の大ニュースだと信じていた、「ハリケーンカトリーナ、ニューオリンズを襲撃」を知らなかった。
日本人コミュニティーの中だけで生活できるということは、こういうことも珍しくないんだ。LAってすごい。
と、その時、妙に感心してしまったのを、今でも覚えている。