前々回と前回とで、自称サバサバ系をモデルにどうして自称サバサバ系がヤバいのか、そして自称サバサバ系に紐づく白黒思考がどう危険でどう自分を追い詰めて行くのかというお話をしましたね。
で、今回は自称サバサバ系や白黒思考の人が苦手になってしまう 「言葉」 についてお話ししていきたいと思います。
自称サバサバ系や白黒思考の人が苦手になってしまうのが 「言葉」 。
「言葉」 といっても特定の単語やポジティブやネガティブな言葉などではなく、それは 「言葉が持つニュアンス」 の事。
ニュアンス・・・改めて言われると・・・どう言うんだっけ となる方も多いですよね。
ニュアンスとは、言葉や色彩、音色などの微妙な差異・・・と、いろんな所で書いてありますが・・・ん~分かり難いですよね・・・
この 「ニュアンス」 をよく使うのは芸術系、演劇系であれば言葉を、服飾系や絵画系などであれば色を、ミュージック系ならば音を表現方法として使いますね。
これら芸術系で活躍する人はよくTVの密着取材なんかにも出ていて仕事の様子が紹介されたりして、その時に微妙な声のトーンや間、音のテンポやタイミング、色合いなんかにとても拘りを見せて微妙な違い(ニュアンス)を伝えるために色々と説明している様子がよく紹介されていますね。
あれが正にニュアンスを掴もうとしていたり伝えようとしている現場です。
前回のお話しで 「世の中の90%はグレイゾーン」 と言ったのを覚えていますか
この芸術系で活躍する人達の中ではグレイゾーンはただのグレーではなく、限りなく白に近いグレーから限りなく黒に近いグレーまで何百通りも何千通りもありグラデーションしているのです。
例えば、「どうしたの」 という台詞があったとしたら
「どうしたの」 もあれば 「ど・・・どうしたの」 もあるし
「ど、ど、ど、どーしたの」 や 「どう・・・した・・・の」 など幾通りもの 「どうしたの」 があるわけです。
どれも 「どうしたの」 という意味だけ伝えるのであれば素人の棒読みでいいわけですが、話の流れや場面の雰囲気や人物そのものの感情を伝える為には細かな拘りが必要になります。
その、細かな拘りが 「差異」 つまり 「微妙な違い」 で、これが 「ニュアンス」 です。
ただこの 「どうしたの」 の台詞も作家と演者と監督とで捉え方や表現の違いなどがあり、それがニュアンスの違い(微妙な差異)でドラマや映画などの現場ではこのニュアンスの違いを照明さんや音声さんなどその作品に関わる全てのスタッフと共にすり合わせ一つの形にして行くわけです。
ね人によっては、白と黒だけの世界では考えられない数のグレーが存在するし、反対にグレーを理解出来ていてもグラデーションせずただ一色のグレーの人もいるわけです。
「白と黒は境目がハッキリしていて隙が無くてスッキリしていて凄く気持ちいい、だから思考も発言も白黒ハッキリ」 と思うのは 「白と黒の対比のイメージ」 に思考が引っ張られているから・・・
白黒思考に偏ってしまうと人とコミュニケーションをとる為の言葉の微妙な差異(ニュアンス)を伝える事も理解する事も出来なくなるわけです
家や身の回りの整理整頓には 「キッチリ、スッキリ、ハッキリ」 など感じるのは良いのですが・・・
これが 「白か黒かという『思考』」 に結びつくと本人も気が付かないうちにメンタルが厄介な方向に傾き始めます
TVではよくきれい好きタレントさんが汚部屋住人のお掃除する特集などをやってますが・・・
カウンセラーとして汚部屋住人と過度なキレイ好きさんとどっちが心配かと聞かれたら心理的には過度なキレイ好きさんの方が心配ですと答えるでしょう。
汚部屋住人の方もそれなりに問題はあるのですが物理的にもビジュアル的にも精神衛生的にも汚部屋住人の人の方が比較的解決しやすいのですが・・・
過度なキレイ好きさんは精神面に特化した問題が表面化しているので原因が根深くまた、周りも 「普通にキチンとしている」 くらいにしか見ていないので周りが気づいた時には深刻な状態になっている事もよくあります
特に芸術系の人は自由で微妙な違いが要求されるグレイゾーンが仕事としての主なフィールドなのに 「こうでなければならない」 という白黒思考特有の考え方に囚われると表現の幅が狭まるだけでなく心のバランスを崩し深刻な心の病気に発展する事もあります
自由なフィールドで活躍したいと希望しながら思考は自由ではないのですからそりゃ健全ではいられないでしょう
これはとても苦しい事です
思考が白と黒に固定されている為、アイディアが出ない・・・イマジネーションが湧かない・・・表現が出来ない・・・いわゆるスランプ状態になるわけですね
こうなって来ると物事の微妙な差異(ニュアンス)が分からなくなるので本人としてはパニックですよね
会話は出来るのに伝えたい言葉が見つからない・・・人が話している言葉が頭に入って来ない・・・響かない・・・そんな 「沼」 に嵌ってしまうんです
特に日本語は一つのものを表現するのにいくつもの言い方があったり、文字も漢字、カタカナ、ひらがな、と3種類も存在します。
その為、世界でも話し言葉、書き言葉共に理解するのが難しい国の一つとされますが、これが日本人の繊細さだとも言われています。
ただ 「沼」 に嵌ってしまうと伝えたい言葉が見つからず同じ言葉を繰り返し使うようになったり、イライラして攻撃的な言葉を使うようになったりします
また、人によってはイライラしている事さえ表現出来ずに絶望感に襲われたり、何とか会話をしよう(言葉を出そうと)と頑張ってしまって言葉を探す為、会話がテンポよく進まず周りが困惑してしまう事もあります
「心」 は見えませんし触れません。
しかし、とても繊細です。
そしてとても錯覚しやすい・・・つまり、騙されやすい・・・
この錯覚がいい方向に向く事もあれば、悪い方向に向く事もあります。
悪い方向に行かないように予防するには 「考え方を縛らない」 事が大切です
良いか、悪いかで判断すれば自分が選んだ方がいいに決まっているのですから判断は一番最後にしましょう。
先ずは、自分とは真逆の人達が何を考えて何を言っているのかに気を配ってみましょう。
反論したり、反対に受け入れたりせずただ聞くだけでいいのです。
これだけでも人それぞれグレイゾーンが違うのだと分かりますし自分の心の傾きの予防にもなります。
これらを聞いた上で自分の答えがどのへんなのかを見れば真っ黒や真っ白になる事はまずなく、数あるグレーのどこかに当てはまるでしょう。
最期に脱線話しを一つ・・・
自然界には100%の黒は存在しません。
そして人口色でも95%くらいまでしか黒色が作れないそうで、人口色でも100%の黒は無いんです
真っ黒は人の心の中だけで作られる色なのかも知れませんね・・・
このお話が誰かの心のヒントになれば幸いです
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