コンクール指導をしていたら別の先生のところに生徒が去っていきショックを受けたという話は、あちこちで伺います。

 

最近では、ふだん習っている先生のほかに、アドバイスレッスンを受けるというような行動は普通になってきていますが、昔は、それは先生方に失礼だという考えが主流でした。


私が大学に通っていた頃、大学の授業で受ける個人レッスンの先生のレッスン内容が気に入らないので、別の先生にこっそり習いにいっていたという人の話は結構よく聴きました。


私はこっそり・・・というほどでもないですが、高校まで師事していた先生にときどきみてもらっていました。

 

ただ、先生によっていうことが違う、というのがよくあるんですよね。こっちの先生は「ここを強く」あっちの先生は「ここを弱く」みたいな。どっちにすればいいのかわからなくなってしまう。だから、レッスンしてもらう曲は別々にする、というのがよくある方法でした。

 

そのように面倒だった昔を考えると、最近は、ネットで先生を探して簡単に門下生の演奏を聴いて実績も調べてコンタクトもとれる。気に入らないなと思ったら昔よりは先生を変えるのは簡単です。そこで起こるのが、コンクールに一生懸命になってくると先生の移動をする現象。

 



当然ながらコンクールは名誉を賭けて高いお金をつぎこむ戦いでもありますし、成果が出なければ去っていく生徒がいる。先生としては面白くないけれど、成果が出ない理由は生徒だけでなく先生にもあると考えれば、仕方ない。


でも、成果が出てよかったねと喜んでから、もっとランクの高い先生のところに去っていく生徒もいるんだそうです。こうなると、一生懸命に頑張って指導した先生は、捨てられたような気がするかもしれないですね。

 

それでも、来る気がない生徒を引き留めることはできないし、強制的にレッスンを続けさせることもできません。

 

コンクールの成果は、誰のものなのでしょうか?

 

生徒のものではあるけれど、先生も貢献はしているものです。

 

美しいあり方として、生徒は「先生のおかげです」と感謝し、先生は「あなたが頑張ったのよ。私は応援しただけ」と控えめにする。

 

逆の場合。生徒は「先生ではなく私の頑張りです」と主張し、先生は「私の指導があったから成果がでたのに、なんて恩知らずな!」

 

レッスンを受けているならば、100%生徒だけの頑張りというのはありえないけれど、先生が恩着せがましく「私のおかげで成果が出たのに」と感謝を強要するのも怖いし見苦しい。

 



先生側が感謝が足りない、軽く扱われたという怒りを覚えるのならば、それは、頼まれていないのに必要以上に与えすぎて、自分の負担になっていて、それが自己満足であることに気づいていない可能性があります。


けっきょくは、徹底的に一生懸命教えるのって、先生側の自己満足なので、それを自分で自覚していることが重要です。

 

私は本を書くときに身を削るような思いで原稿料や印税でもらう分の何百倍ものエネルギーをかけてやっていますが、それは誰かのためでなく、自分が納得いくまでやりたいから。

 

レッスン料として感謝はいただいているはずなのに、なぜそれ以上の感謝がないと腹正しくなるのか?


いただいたお金以上の労力の投入は自己満足であることに気づかず、「相手のため」と思い込んでいたら、腹が立つかもしれません。


感謝されないと腹が立つという現象自体は、当たり前のような気もしますが、自分がやっていることは謝礼の範囲外の自己満足なのだと気づくことで、楽になれます。

 

ちなみに今わたしが師事している先生方と、コンクールに挑戦している門下生の皆様、みんな美しい在り方のかたばかりで、美しく過ごせています。


ピアノの世界は果てしなく、追求には終わりがない沼のようなもの。


沼のなかでもがくのは楽なことではありませんから、覚悟もなく入ってこないほうが良い、無理に入らなくて良い、私は好きでこの沼にいるだけだから、そう思っています。


指導者としてはその立場ですが、

習う側としては、先生が見えない場所で私のためにたくさん心を砕いてくださっている、そのおかげで自分が支えられ、勇気をもらっていることを常に忘れずにいたいです。





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