せっかくグランドピアノが置ける家に引っ越したんですけれども・・・のところから続き。

1年後ぐらいに娘を授かりました。もう30歳になっていました。

当時私は必死に単行本デビューを目指して、初のノンフィクション作品を書き上げようと

取材と執筆に明け暮れていて。

新潮社からお話をいただいたんです。



いきなりただの雑誌ライターが新潮社ですから。

やっぱり執筆に必死になっていて、

ピアノはもちろん弾いていたけれど

必死になって何か曲を仕上げるというほど練習していなかった。


5月に本が出て、6月におなかに娘ができたことがわかりました。

そして容赦なく始まったつわりがひどくて、

1ヶ月ほどほとんど寝ていたので手足の筋肉が落ちて細くなってしまったほどでした。入院には至らなかったのだけどずっと妊娠中はしんどくて

その後、娘が無事に生まれて、育児に突入します。


こうなるともう、夜も寝られないし、仕事もほとんどできないで休んでいるし

生きがいだったライブ通いがしばらくお預けでした。といっても夫にお留守番してもらって月に1-2回は行っていたんですけれどね。


週に1~2回だったのが月1ぐらいに減って、

インタビューの仕事も当分の間お休みして、

これは何よりもこたえました。


赤ちゃんが生まれて幸せだったのだけれど、

外に出られない、原稿書けないというのが、監禁された気分で死ぬほどつらかった。


娘が眠っている間、窓から見える雲が流れているのをじっと見ながら、外に飛び出していきたい衝動と必死に戦っていたのを思い出します。

 

子ども欲しかったし、お母さんになりたかったのにね。

毎日、寝る時間もなく、ごはんをつくる時間もなく、生きていくだけで精一杯で、ピアノを弾こうという感じではなくて時々少し音を出してみるくらいでした。

 

すぐに保育園に入れる決心がつかなかったのだけれどこのままだとおかしくなってしまうと思い

娘が8ヶ月のときに保育園にお願いして、入れることになり仕事を再開しました。


それから娘が1歳、2歳のあいだは、しばらく仕事ができたのでその期間に、3冊本を出しています。めちゃくちゃ原稿書きたくて爆発的な状態だったんですね。


でも、仕事と育児だけで日々、限界まで張りつめていたのでピアノを弾くこと、なんだかんだいって、忘れていました。


時々は弾いていましたけどね。

何か仕上げるとかレッスン行くとかいう感じじゃない。


あんなに一緒に暮らしたかったのに。

もう少し子どもが大きくなって落ち着いたら弾けるよね。

娘にもピアノを教えたいし。

そう思っていました。

このころ、生徒さんも頼まれて少しだけ教えていました。

 

娘が2歳の夏、夫が「アメリカに行くことになっちゃった」と帰ってきていいました。

普通は喜ぶところなのかな。

全然嬉しくなかった。


やっと落ち着いてピアノ持ってこれて

保育園に入れたのに。

やっと仕事できるのに。

どうしようと思ったら涙が流れていました。


喜ばないで泣いている妻。夫には申し訳なかったです。

 

アメリカにピアノを持っていけるか調べましたが、送料その他考えると現実的ではありませんでした。

仕事も休んでピアノも置いていかなければならない。

産後の監禁生活に逆戻りです。


行先はニューヨークでもないサンフランシスコでもない

サクラメントの近郊。

私が行きたいライブなんてまったくやっていない場所。

サンフランシスコまでは車で2時間。電車は1日5本。

やっぱり監禁生活。

 

ピアノと仕事を手放してアメリカにいくのは嫌だった。

でもピアノと仕事のために私が日本に残るとなると娘は夫と4年間離れ離れで生活しなければならない。夫がアメリカから帰ってきたら7歳。

 

それでも家族としてやっていけるのだろうか?

 

ついていかない選択をする人もいるでしょう。

でも私は子どもがその年齢のときに離れ離れで生活して、家族でいられる自信がなかった。

夫と娘と私がバラバラになってしまうような気がした。

 

仕事は、帰国してからでもできる。

ピアノは、弾く暇ないかもしれないけど、むこうで買えるかもしれないし。

 

なにより、私の仕事とピアノのために、娘がお父さんと過ごす4年間を奪ってしまうことは、できないと思った。


子どもが嫌いで、学芸大に行ったのに教員免許をとらなかった超理系の夫が

娘が生まれたらメロメロになって「世界一可愛い」と自分でお風呂に入れて

とにかくいいパパになったんです。娘もお父さんが大好きだったし

私が残ることはできなかった。

 

 

1月に夫がまず先に渡米して家を探したりしてくれました。それから2月21日に

いまも日にちを覚えています、

うちの荷物をアメリカと、倉庫と、実家に送る引っ越しの日まで

全力で原稿を書き続けました。それが単行本の

「子どものセンスは夕焼けが作る」です。

 

ピアノは夫の会社が費用を出してくれるというので倉庫に預けました。

いつ帰ってくるのかもわからない、

むこうでピアノを買ってしまったら、このピアノとは別れなければならないかもしれない、

でもいま売ることもできないから預かってもらう。

 

2006年3月3日に渡米しました。

書きかけの本のゲラはアメリカまで送ってもらいましたが、

再配達は翌日以降しかできなくて、受け取るだけで気が遠くなるほど大変でした。

アメリカに著者が来てしまって、なんのプロモーションもできなかった。



アメリカでは電子ピアノを弾いていましたが、1年後にピアノを買ってもらいました。


仕事をしていなかったのでピアノを弾く時間はあって、置き場所もあって

娘を保育園に入れて必死に仕事していたときの貯金があった。

日本から送金して、夫にも足してもらって、ペトロフのグランドピアノを買いました。


それからはさすがに毎日弾いていましたよ。1-2時間ぐらい。

ドビュッシーのアナカプリの丘とか、ショパンのエチュードとか、

カプースチンとか、バッハとか弾いていました。

 

それから半年もしないうちに、息子がお腹にできたんです。


そこからまた、重いつわりが始まりました。

娘の育児をしながら朦朧としながら家事をして、本当にゾンビだったな。あの頃。

あまりに悲惨な顔で写真に撮られたくないから

写真はないんです。


アメリカにいるときの私の写真は唯一の楽しみだったショッピングで見つけたお洋服で、カリフォルニア風カジュアルスタイルでキメてるものが多い。今見ると専業主婦で学校の送り迎えやスーパーや公園,習い事しか行く場所ないのに、何をそんなに気合い入れてたのか。そうでもしなければ惨めで、仕事できない寂しさが埋められなかった。



そしてアメリカの病院で息子を元気に出産、

またもや寝る暇もない

ご飯を食べる暇もお風呂に入る暇もない毎日に突入します。



息子も娘も可愛かった。幸せでしたが

音楽とピアノを取り上げられた

状態は、私の心を空っぽにしてしまい

自分ではない自分が今ここでいったい何をしているのだろうかという違和感がずっと離れなかった。なぜ音楽をしていないのか? 

音楽をしないでいる自分への強烈な違和感。




ピアノ・・・

息子がぎゃんぎゃん泣いているのを放っておいて数分弾いたり

おんぶしながら弾いたりはしたかな。


練習らしい練習はできなかった。

とかいってるうちに息子が2歳半になり帰国が決まりました。

 

結局ピアノあんまり練習してないんですね。

この間。

せっかくペトロフ買ったのに。

日本人の生徒さんは教えていましたが、自分の練習はあんまりできなかった。

帰国したのは2010年12月25日。39歳のときでした。

 

ただの雑誌ライターだった私が単行本デビューして、1冊じゃなくて

何冊も本を出して、2児の母になり、アメリカで駐在妻もして

怒涛の日々で全然弾けなかった30代。

 

帰国するときにピアノは持って帰りました。

いくらかかるかわからないというけれど、とにかく日本に持って帰る。


5年ぶりに日本の自宅に戻り、

 

アメリカから送ったピアノが届くよりも先に、

日本の倉庫に預けていたピアノが

うちに来ました。

 

またもや5年間も別居生活でした。

しかももうすぐ、アメリカで弾いていた新しいペトロフが届きます。


カワイは、売らなければならないのです。置いておく場所はないので。

 

ひどいですよね。

 

これって、まるで、売れない頃から尽くした奥さんを売れたら夫が捨てて

新しい奥さんに乗り換えるみたいじゃない?

 

ピアノは人間じゃない。

そんなの私の過剰な思い入れ。

そんなセンチメンタリズムに振り回されていたら、家族と仕事を持ちながら

ピアノを弾く時間を確保なんてできないよ。


ピアノを持っていることじゃなくて

ピアノに触れている時間が大事なんだから。

 

ピアノと再会したとき、すぐに別れるとわかっていたけれど、

もう、私は泣きませんでした。

人生のなかで家族も仕事も大事にしながらピアノに触れる時間は

限られているのだから。

 

泣いている場合じゃない。

 

それは、母になって10年間、次々に出てくる問題を途方に暮れながら解決し、

解決できなければひたすら耐えながら、変わった部分。

 

買い手が見つかって、運送屋さんが引き取りに来てくれた日は

この子はどこに行くのかなと思って、さすがに涙が出ましたけど。

 

ずっと持っていてあげられなくてごめんね。

新居に来てくれてから、子育てに渡米に、私の都合で結局ろくに弾いてなかったね。

アメリカで新しいピアノを買ってしまってごめんね。

勝手な私でごめんね。

ごめんね。

ごめんね。

ごめんね。

ごめんね。

 

どんなに胸が張り裂けそうでも、

母になったら、悲しんでいる暇はなくて。

 

ご飯をつくって子どもたちに食べさせて片づけてお風呂に入れて

どんどん日にちが過ぎて、アメリカから送ったペトロフがやってきました。

 

続きはまた。