選択したことが正解かどうかは

おそらくずっとわからないんだなと

アメリカに行ってから思うようになりました。

 

 


 


2006年から家族で夫のアメリカ駐在に

帯同していました。

同じ立場でアメリカに来て、仲良くなった日本人のお母さんたちと、

食事の席などで盛り上がってきたころに

ぽろっと出る本音。

 

「アメリカに子どもたちを連れて来た選択が

よかったのかどうか・・・」

 

特に、中学高校生のお子さんを持つお母さんたちが

悩んでいたように思います。

 

中学高校生の時期にアメリカに行くのは、

英語という面ではメリットですが

そのほかの教科の学力をつけるという意味では

デメリットな部分が多く

勉強の負担もすさまじいため、

消化不良になって帰国後

結果が悪いケースもあるのです。


家族そろって暮らせることや、アメリカでの生活を経験できることは何ものにもかえがたい反面

アメリカ人のティーンエイジャーのなかに入って、

英語が良く話せないのに

日本人と同じような友人関係ができるのも難しい。

などなど。

 

いったいどっちがいいのか。

駐在を早めに切り上げて

帰国されるご家族もいました。

めいっぱい滞在されるご家族もいました。

 

どっちがよかったのかなぁと、帰国してから再会したときもずっとみなさんおっしゃっていました。

 

私自身、アメリカについていくのと、

ついていかないのと

どっちがよかったのか、考えることがあります。

アメリカで経験した、たくさんのストレスや仕事ができない環境、子育てサポートの

不十分な環境を考えると、ついていかないのも

正解だっただろうなと思います。

ついていった結果、日本にいたら一生知らなかったであろう場所、人にふれあえたこと

経験できたこと。これを考えるとついていったのは

正解だったとも思います。

 

実際に選択したことを肯定したいから、そちらが正解だったと思いたいですが

おそらく選択しなかったほうも正解だったのではないかと思うのです。

もしかして50年か100年ぐらいしたら、どっちがよかったのかはっきりわかるかもしれないけれど。

 

よく、こういう生徒さんがいて、ピアノ教本をこっちとこっちのどっちがいいのか迷ってるんですけど

どちらにしたらいいですか? みたいなご質問を受けます。

「たとえばこういうのを使ってみる方法ありますよね」という話はできる。

ただ、それが必ずしも正解かどうなのかは、

私には保証できません。

Aを使った結果と、Bを使った結果は

おそらく違っていて

どっちがいいのかは簡単にいえないでしょう。

 

正解はわからない。

でも、日々決断は迫られます。ピアノの先生は、生徒さんの本をどれにするのか

選ばなければいけない。

 

正解はわかりませんが、とりあえず決めてみて、

それが正しい・間違いでなく、

「合っているかどうか」を観察して

合っているようならば、とりあえず正解。

でもそれが来週も正解とは限らない。

 

そうやって「とりあえず決めて、様子を観察しながら」

というふうにやっていたら、

「正解」という概念が、とても大ざっぱな感じがしてきませんか。