「埼玉ディス」マンガ、
翔んで埼玉。
翔んで埼玉。

同級生の大須賀クンのFBで知って以来、TUTAYAにも平積みしてあるし、
気になって気になって仕方がなく、
たかがマンガに買う価値があるのか?
嫁があっさり買ってしまった。
もったいないから、少しづつ読んでます。
かなり面白いです。
嫁は東京23区の出身なのを本人は気にしてはないといいながらも、
たまに言葉の節々にTOKYOを感じさせる。
それはテレビとかで銀座が映ると
「銀座かぁ、よく行ったなぁ」と、
東京在住の人と
埼玉在住の人が言うのには
言葉の重みが違う。
田舎出身の俺は少し卑屈になる。
例えば浦高、浦和一女に、
「すごいね、やっぱり中学のときっていっぱいべんきょうしたの?」
の答えが、
「私べんきょうきらいだし~」
という感じに似ているかもしれない。
夕食時になると村人が庄屋様の家に集まって見物しています。
この庄屋様っていうのは浦和周辺でいうと、
い○い家、よ○の家、がそれに当たる?のかな?
翔んで埼玉の
翔んで~
ってところは、
翔んでイスタンブールと重なるのかな。
パーマやカラーの待ち時間に読みたいお客様は言ってくださいね。

日の出通り
ちなみに下の新しい写真の一番高いマンション2Fにうちのサロンがあります。

さくら草通り
下の写真、郵便局のウラにかつて”居酒屋力(りき)”浦和レッズの聖地との呼ばれるところがあったかな。

旭通り。今とそんなに違わないかもですね。
都市開発で消滅する噂。

浦和越谷線(越谷街道とも)
新しくなったとはいえもうちょっと広さが欲しいところですね。バスがすれ違うとかなりスレスレでした。

2002埼玉スタジアムができる前はここでJリーグやってた。
当時の職場にもサッカーチームがあったっけ。
と言うことで、
わたくし地方出身のため、
就職先は目一杯がんばっちゃって、
ギロッポン(正確には麻布十番)で
その天才的な技術を都会で開花させることが出来ず、
ナンチャッテ東京カブレに成り下がった後は、
雑誌に出てくる
「アニエスb」を
アニエスべーかアニエスビーだか
どっちかも分からないまま
「アニエスね~最近よく出てくるよね~」
(何々だよね~とか、何とかジャンって言うのも都会っぽくない?)
(何々だよね~とか、何とかジャンって言うのも都会っぽくない?)
ってごまかしていた頃、
浦和に移り住んだ。
まだ浦和駅では切符に鋏を入れる駅員さんがいたような気がする。
まだ浦和駅では切符に鋏を入れる駅員さんがいたような気がする。
浦和駅東口とヨーカドーをつなぐあのキツイ急階段がなくなり、浦和駅北口ができるんだそう。
そこ工事現場で、なつかしい昭和浦和写真が飾ってあったんでUPしときます。










