生まれつき、背中に団子のようなこぶがあり、17歳くらいまでは、毎日、苦しい、苦しいとのたうち回っていたカント、
ある時、巡回で来られた町の医者に、
父親が、どうせ駄目だろうけれどと思うけれど、せめてこの苦しさだけでも軽くしてやりたいと、連れて行った
ところが、その時、医者が言った言葉が、カントを世界的な偉い人にしてしまったそうです。
以下は天風先生が読んだ、カントの自叙伝に書いてあったことです。
お医者さまのお言葉は以下の通りでした。
「気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒だな、と言うのは、体を見ただけのことだよ。よく考えてごらん。体はなるほど気の毒だが、苦しかろう、辛かろう、それは医者が見てもわかる。
けれども、あなたは、心はどうでもないだろう。心までも、見苦しくて、息がドキドキしているなら、これは別だけれど、あなたの心は、どうもないだろう。
そうして、どうだ、苦しい、辛いと言っていたところで、この苦しい、辛いが治るものじゃないだろう。ここであなたが、苦しい、辛いと言えば、おっかさんだって、おとっつあんだって、やはり苦しい、辛いわね。言ったって言わなくたって、何にもならない。ましてや、言えば言うほど、よけい苦しくなるだろ、みんながね。
言ったって何にもならない、かえって迷惑するのはわかっていることだろ。
同じ、苦しい、辛いと言うその口で、心の丈夫なことの喜びと感謝を言えばいいだろう。
体はとにかく、丈夫な心のおかげで、お前は死なずに生きているじゃないか。死なずに生きているのは、丈夫な心のおかげなんだから、それを喜びと感謝にかえていったらどうだね。
出来るだろう。そうしてごらん。そうすれば、急に死んじまうようなことはない。
そして、また、苦しい、辛いもだいぶ軽くなるよ。私の言ったことはわかったろ。そうしてごらん。一日でも、二日でもな。わからなければ、お前の不幸だ。それだけが、お前を診察した、私のお前に与える診断の言葉だ。わかったかい。薬はいりません。
カントは、医者に言われた言葉を考えた。
じっと考えているうちに、
「そうだ、あの医者は
『心は患っていない、それを喜びと感謝に振り替えろ』
と言ったけれども、
俺は今まで、喜んだこともなければ、感謝したことも一ぺんもない。ただ、朝起きると、夢の中でも苦しかった、辛かった、そればかりがおれの口癖だった。冗談にも、嬉しいとか、有難いとか言ったことはない。それを言えと言うんだから、言ってみよう。言ったって損はないから言ってみよう。」
親爺が「もう、寝ろ、寝ろ、」と言うと、
「心の丈夫なことは、有難うございます。」
「何をくだらないことを言っているんだ。」
「いえ、今お医者さんに言われたことを、ここで一生懸命、おさらいをしているんです。」
「くだらないことを言わないで、早く寝ろ。」
「くだらなくないよ、お父っつあん。さっき連れて帰ってもらってから今まで、一ぺんも、痛いも苦しいも言わないだろ。」
「ふん、言わないな。痛くないから、言わないんだと思った。」
「ただ、医者の顔見ただけで、痛いのが治ると思うかい。
『痛い、苦しいと考えても治らないことを考えるのはやめるんだ。とにかく、止めるだけ止めてみろ。そして有難うござんす、嬉しゅうござんすと一生懸命言うんだよ』
と、そう言うから、
嬉しい気持ちになるかならないか、わからないよ。
でも、そう言っている間、痛い、辛いと言わないだけでも、おっかさん、おとっつあんたちは、心配しないだろ。」
「ああ、心配しないよ」
「しなければ、それでいいんだよ」
寝て起きて、また明日、医者に言われたことを考えるだけで、喜びと感謝の毎日。
そのうち、三日ばかり経つうちに、カントの頭の中にこういうことがひらめきました。
「人間と言うものは、こういう気持ちでいるだけで、今までとはいくらか違ってきた。
苦しい、辛いと言わない。こういう気持ちでいると、当分死なないだろう。死なないけれども、炉端で、ただそれだけを考えているのでは、死んだのと同じだ。どうせ三年でも五年でも、死なずに生きているとしたら、心はなんともないんだから、まず、心と体と、どっちが本当の俺なのか、これを一つ、考えてみよう。」
そこから、思索を深めていった結果あの世界的な大哲学者カントが生まれたのでした。
そして、カントは、近代哲学の祖と呼ばれるくらい偉大な業績を残し、79才で亡くなったときは、 本人は簡素な葬儀を望んだにもかかわらず、葬儀は二週間以上にわたって続き、多くの参列者が死を悼んだとのことです。
そんなことを聞いても
私たち凡人は、痛いときは痛い
苦しいときは苦しい
辛いときは辛いと思うし、そう言ってしまいます。
もちろん、私もそうでした。
でも、あの天風先生でさえ、国の内外を問わず、たくさんのすごい方々に会い、さまざまなお勉強をされたけれど、このような境地に至るまでは何年もかかっておられます。
ただ、このカントの伝記のことを、時期が来て、インドの山奥の修行の中で思い出され、このような悟りを開かれたとのこと。
今は、このような境地にはなかなかたどり着けないかもしれませんが、
カントや天風先生のように、
病を克服し、
病に感謝できる日がきますように…