今日の朝
というブログをアップしました。

信じるってどういうことかなって考えたときに
昔、中学の時の教科書に載っていた話を
思い出しました。
私と同じ世代で同じ教科書を使っていた人には
ちょっと懐かしい話かも。
ザクッとあらすじを書くと、こんなお話です。


「一切れのパン」
第二次世界大戦の話で、当時ドイツと同盟を結んでいたルーマニア人の主人公が、2週間ぶりに帰港したところドイツの水上警察に捕まってしまう。
1週間前にルーマニアがドイツの敵国のソ連と手を結んだからという理由で、捕虜になってしまったのだ。

主人公は、脱走する前にユダヤ人のラビから、ハンカチに包んだひときれのパンをもらう。

「あなたに一つだけ忠告しておきましょう。そのパンは直ぐに食べず、できるだけ長く保存するようになさい。パン一切れ持っていると思うと、ずっと我慢強くなるもんです。まだこの先、あなたはどこで食べ物にありつけるか分らないんだから。そして、ハンカチに包んだまま持っていなさい。その方が食べようという誘惑に駆られなくてすむ。私も今まで、そうやって持って来たのです」と、言う言葉とともに…。

何度も危ない目に合い、何度もそのパンを食べようとしたが、その忠告を思い出して、主人公は食べずに我慢する。「いや、このパンを今食べてはならない。今はこのパン切れだけが、まだ俺に力を与えてくれる唯一の物だ」と思い、飢えや恐怖に耐え、主人公は最後まで諦めずに逃げ通した。
別の方向に逃げた仲間は殺されたりしたが、主人公は、無事に帰宅できたのだ。

帰宅後 主人公は ハンカチをあける。

自分を救ってくれた、一切れのパン、
だが、ハンカチからポロリと落ちたものは、一片の木切れだった。

「一切れのパン」 F・ムンテヤーヌ著 / 直野 敦訳




というお話です。


この話 どんなふうに思われましたか?

私が思ったのは、

「信じる者は救われる」ってこと。


信じるって言うことは、

あるかないかわからないものをあると思い続けること。


それかどうかわからないものを

そうだと思い続けること。


この場合だと、ハンカチの中身が木なのに、

パンだと思い続けてたわけです。


実際は木だったのにパンだと思い続けていたから

救われた。

というように、私は思いました。


世の中にはそんなふうに信じてたけど

そうでなかったということもあるかもしれませんが、

それでも、そんなふうに信じてたから得られる力とか安らぎがあるなら、

そんなふうに信じている方が救われる



もちろん、盲信や妄信は良くないですよ!



でも、自分が幸せになる方向で信じると言うことは

たとえ、信じていたことがそうでなかったとしても

幸せに導く力になるんじゃないかな。



例えば、

私は〇〇だと信じていたのに

❌❌なんてひどい

信じてたけど、裏切られたわ〜〜‼️


っていうのは


○○か❌❌かわからないものを

○○と思い続けてたけど

実は❌❌だったって言うだけの話だと思うし。



月にウサギがいると思ってたけど

実はいなかったとしても、


月のウサギのことを考えて

心豊かに過ごせたんだったら 

そんなふうに思えた方が幸せな気もしますしね。





とまた長々と書いてしまいましたが、どうしてこんなことを書いたかというと、


今辛い方のお悩みを聞いてると、

そうなるかどうかわからないのに、

〜〜になるかも、〜〜になったら困る、

〜〜になるに決まってる、と、

〜〜の中に、自分を不幸せにすることばかり入れてる人が多いような気がするんです。



私もそうでしたが、悩みや苦しみの真っ只中にいる人は、誰でも、どうしてもそういうふうに考えてしまうものだと思うんですが、


今いろいろと自分にとって

不幸せなことばかり考えてしまう人が、

ちょっと視点を変えて

自分を幸せにするようなことを信じられるようになれると、きっと幸せで健康な方向に導かれるのではないかなと思いました。


希望ってものすごく大切だと思います。



今辛い方が災い転じて福になりますように…💕