はい、今日はこちら
旧岩瀬町にあります延喜式内社「鴨大神御子神主玉神社」(かものおおかみのみこかみぬしたま神社)(長い)(^_^;)の紹介です
ナビでは「鴨神社」となってました(^_^;)
名前の由来は、元々、この神社は、上中下の三社だったらしく上社(別雷神)中社(御子神)下社(皇祖神)で、現在のご祭神は、主玉神(御子神ですが、誰なんでしょうか(^_^;)から来ている様です
配神、太田田根子、別雷神となっている様ですが
太田田根子って珍しいですね(^_^;)大物主神の子孫で、三輪山の神主になった人だったと思います(^_^;)
また、創建が神武天皇八年(皇紀によればBC652)で、常陸では鹿島神宮、吉田神社に次ぐ古い社と言われますが、なんで、常陸七明神に入らなかったんでしょうか?
(そもそも、吉田神社は十二代景行天皇の皇子、日本武尊を祀っているのに、初代天皇在時に創建した神社より古いのもおかしな話ですが)(^_^;)
一応、そう言う事です
こちらは、抜粋した逸話です
「鴨神社は常陸国新治郡三座の一つの延喜式内小社である。佐竹氏、足利氏、宍戸城主宍戸四郎他の信仰が厚かった。阿部氏討伐のため源頼義が鴨神社に祈願した。康平5年(1062) 前九年の役で源頼義・義家の軍は安倍貞任・宗任の軍をおおくの年月をかけて滅ぼした。
境内にある塙瑞比古氏撰和歌碑、藤原光俊の和歌はこの戦勝から約100年後の歌と推定される。」
妖術使いの鬼婆
〔義家が東北へ討伐に赴く前、鴨神社に祈願したとき神社のまわり37町村で恐れられていた腹の子を食う妖術使いの鬼婆を竹やりで退治し鴨神社の鳥居にかけた。と伝わる伝説がある。〕《岩瀬町史研究第五号・加茂部/前川康司氏から》
では、神社ですが、神社の100mほど手前に注連縄の掛かる木があります
生鳥居と言うそうで、この神社の特徴です(^_^)
道を挟んだ木立に、この石碑がありました
北畠源守吉之碑(南朝方の武将だと思いますが、検索しても判りませんでした、誰なんでしょうか?)(^_^;)
ただ、石碑下部には「五本骨扇」の家紋がありましたので、佐竹氏と関係がありそうです(^_^)
神社入口
こちらも「生鳥居」
それほど太くありませんが、御神木的な杉
石段を上がるとすぐに狛犬があります
手水舎
水道の蛇口がありましたが、見た感じ、水は出なそうです(^_^;)
由緒書き
石碑
拝殿
拝殿右手の石碑と祠
本殿横
鹿島神社らしいです
本殿は中々良い造りです
佐竹氏統治時代のものだそうです(^_^)
本殿左は日吉神社だそうです
本殿裏手の祠と石の境内社
拝殿左手
神輿庫でしょうか?
延喜式の由緒ある古社ですので、お近くにお立ち寄りの際は、参拝してみて下さい(^_^)